「大嫌いな親」みたいになりたくないなら、「親のようにならない」と決めてはいけない | 子育て感情セラピー|カウンセリングオフィストリフォリ
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「大嫌いな親」みたいになりたくないなら、「親のようにならない」と決めてはいけない

「大嫌いな親」みたいになりたくないなら、「親のようにならない」と決めてはいけない

 

こんにちは。公認心理師の高澤信也です。(趣向を変えて肩書を入れてみました)

 

「あいつ(ら)は毒親」

「大嫌い」

「許せない」

「顔も見たくない」

「でも頭から離れなくてしんどい」

 

相談初期に多くの方が訴える悩みです。

 

突然ですが、あなたは自分の親が嫌いですか?

いつから嫌いですか?最近?それとも子どもの頃から?

今もその親と一緒に暮らしていますか?

 

もし自分の親が嫌いで、それは子どもの頃からで、しかも今も同居しているなら、今が大変につらい状態ではないかと思います。

 

あるいは子育て中のお母さん・お父さんであれば、子育てについて批判されたり口出しされたりして、「お前が言うな!!!」なんて言いたくなること度々ではないでしょうか。

 

受け入れがたい親の言動に直面するたび、「絶対にあの親みたいにならない!」と固く心に誓ってこられたかもしれませんね。(ちなみに昔の私はそうでした)

 

でもその固い決心が反対に自分自身を苦しめるとしたら!?

 

親が大嫌い

「うちの親は頭がおかしい」

「わがまま、自分勝手、自己中」

「過干渉、コントロール、支配してくる」

「好きになれない、嫌い、許せない」

「ひどい、怖い、近寄りたくない」

 

こんな思いがあるでしょうか。もしあるのなら、そうとしか思えないような親御さんの言動がこれまでにあった(もしかしたら今もある)のでしょうね。

 

ちなみに<嫌い>を抑える必要はありません。<嫌い>は感情ですから、たとえ相手が親であっても“感じること“自体には何の問題もないですよ。

 

私は生タマネギが大嫌いですが、「嫌ってはいけない」理由はありませんよね。それと同じです。

 

「嫌いなものは嫌い!」

それでOKです。まずはここから始めましょうか。

 

 

 

親のどこが嫌い?

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんてことわざもあるように、嫌いの度合いが強まってしまうと、その人であるだけで嫌いなんてことはよくあることです。

 

私は個人的にどうしても苦手な人が一人だけいますが(昔は限りなくたくさんでした…)、「その人のどこが嫌い?」と聞かれると、「全部!」って言ってしまいますもの(汗)

 

あなたはどうでしょうか。

自分の親のどこ(何)が嫌いでしょうか。

 

上からの物言い? 偉そうな態度? 怒鳴ること? 家族に配慮しないところ? 怒ったように見える仏頂面? 思い込みでキレること? 飲んで暴れること? 押し付けてくること? コントロールしてくること? 暴言や暴力? 自分のことで手一杯なとこ?etc.

 

挙げればきりがないですね。あなたは自分の親のどこが嫌いでしょうか。整理の意味合いで一回書き出してみてもいいかもしれません。(嫌な気分になるとは思いますが…)

 

 

 

なぜその部分が嫌い?

以前私は父の怒鳴り声+破壊行動と、母へのDVが特に大嫌いでした。

なぜそれが嫌いだったか。前者は「自分が破壊される恐怖」、後者は「母が殺される恐怖」。いずれにしても死を予見させる恐怖でしたね。

 

こういった逆境体験では苦しい感情を感じます。苦しいけれど、その感情の裏には間違いなく大切な求め(ニーズ)が隠されているものです。

 

私が感じていた<恐怖>の裏にはこんな“ニーズ“がありました。

*傷つくことなく心穏やかに過ごせる安全な環境

*家族が「つながっている」という安心感

 

あなたはどうですか?

 

先の例もそうですが、私たちが親のその「部分」を嫌うに至った大元の体験では

*満たされなかった強い欲求(ニーズ)

*満たされなかったことで感じた強い感情

の二つが存在しているものです。

 

傷つき体験とは忌み嫌うような体験という側面もありますが、それ以上に苦しい感情を通じて自分が満たしていくべきニーズ(「欲しい」ではなく「必要」)を教えてくれるサインという大切な側面も持っています。

 

先の私の例でいえば

身体が安全を感じられること

人とのつながり(絆)を信じられること

が満たしてあげるべきニーズだったのでした。

 

 

 

「親のようにはならない!」と決心しなくていい

私もかつては全力でこう決心していました。

 

あの親みたいに、、、

・暴力を振るってはいけない

・怒鳴ってはいけない

・人を傷つけてはいけない

・弱い人間であってはいけない

etc.

 

さらに殴られている母を助けられる自分になるために、、、

・強い自分でなければならない

・怖がってはいけない

・負けてはいけない

・引き下がってはいけない

etc.

 

こういったことを全力で決断したはずなのに、気づけば決断とは程遠い自分がいました。まるで親と同じ自分に愕然としました。当時はそんな自分に反吐が出るほどの憎悪を感じていました。許せないレベルでしたよ。

 

でもこうなったには理由があったのです。実はこの決心こそが自分を追い込むという悪循環を招いていたんです。あとで知ってびっくりでしたが。

 

なぜでしょうか。

それは意外とシンプルな理由です。私たちは自分に禁止や要求を課せば課すほど身動きが取れなくなってしまうものです。

 

たとえばこんな感じです。

・右を向いてはいけない

・左も向いてはいけない

・下も向いてはいけない

・上も向いてはいけない

 

そろそろ向くところがなくなってきましたね。

 

 

 

自分のための新しい決断

「親のようにならない」という決断は、実は土台無理な話なんです。

 

なぜなら

*そうならない代わりに、自分はどうなりたい?

が設定されていないから。

 

親がどんな人間かと無関係に、自分はどんな人間になりたいのか?

親の人生と切り離した上で、自分はどんな人生を送りたいのか?

幼少期の家庭はさておき、自分はどんなつながりを築きたいのか?

 

これが「自分専用」の大切な目的地になります。

ここに親は関係ありません。

 

そもそも「親のようにならない」と言っている時点で、残念ですが親にがっつり囚われた状態。そこに「自分独自の人生」なんてものは皆無なのです。

 

難しいかもしれませんが、とにかく親と自分の人生を切り離す。

その上で「親のようにならない!」ではなく、、、

★「自分で自分を幸せにしてあげる!」という決断をする

 

過去の親を頭の中から叩き出しましょう。

その上で自分を幸せにしてあげることにエネルギーを注ぎましょう。

その先に親に囚われることのない自分の人生が待っています。

 

大変かもしれませんが不可能ではないですよ。

健闘を祈っています!

 

 

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