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高澤 信也

心理カウンセラー(公認心理師)

カウンセリングオフィス トリフォリ 代表

高澤 信也

カウンセラーのプロフィール


はじめまして。
カウセリングオフィストリフォリの高澤です。

 

心理カウンセリングの知識と技術をクライエントさんが身に着け、その力を使って自分助けができるようになることを支援の目的に据え、福岡で心理教育カウンセリングを提供しています。

 

クライエントさん自身が自分を助けるカウンセラー役を担うことができたら、もうカウンセリングに通わなくてよくなりますからお得ですよね。

 

そういった支援をしていることもあって、子育てに悩む親御さんにも子育てよりも先に「まずは自分育て」に取り組んでもらっています。

 

ここに至るまでは長らく
アダルトチルドレン(以下AC)の回復支援
を専門に取り組んできました。

 

今は支援する側の自身もかつてはアルコール依存症者のいる家で育った子ども(AC:Adult Children of Alcoholics)でした。

 

暴力、暴言、怒鳴り声、悲鳴、侮辱が飛び交うわが家で幼少期から思春期を過ごした影響か、『安全』と『絆(つながり)』は子どもの頃からひどく脅かされていました。

「自分に生きる価値はない」
「人は信用ならない。世界は安全じゃない」
「素の自分なんて誰からも愛されない」
「自分は無力で弱い存在」
etc.

幼少期には既にこういった思い込みを「事実」と信じ込んでいて、低い自己肯定感、強い対人不信(恐怖)、対等な人間関係を築くことの困難さなどにずっと取り憑かれていました。

 

その苦しみが限界を迎えたある時、一念発起して自分助けに着手。心理療法をベースとしたセルフケアをフル活用することで生きづらさを断ち切ることができました。

 

それまでに得た知識と技術、生きづらさを克服できた経験を活かして2010年にカウンセリングオフィストリフォリを開設。10年で16,000回以上のカウンセリングを実践してきました。

 

近年は「生きづらさの連鎖」を防ぎたいという想いから、特に子育て中の親御さんの支援に力を注いでいます。

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↓もう少し詳しいプロフィール↓

悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切

心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、クライアントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が非常に重要なポイントとなります。

 

ですので、私がどのように育ち、どのように悩み、どのような経緯で悩みを克服しカウンセラーになったのか。
興味のある方はぜひご覧ください。




小さい頃の私と幸せな記憶

小さい頃の私は「いつもニコニコのほがらかちゃんだったよ」と近所の人たちから教えてもらったことがあります。

 

そのころはまだ子どもらしくいられたのではないかと思います。

 

我が家は父、母、8歳上の兄、6歳上の姉、そして私の5人家族。

とある母の日、まだ幼かった私はカーネーションと絵を母にプレゼントしました。

それを見てすごく喜んでくれた母。これが幼少期の一番幸せな記憶です。

 

 

父のアルコール問題と母へのDV(ドメスティックバイオレンス)

記憶として残っている最初の場面は私が5歳頃のこと。我が家では父のアルコール問題が深刻化していました。

 

浮かんでくるのは、酒に酔って暴れる父、殴られる母、固まる子どもの私たちという我が家の風景です。

 

お酒を飲んだ父はとてつもなく怖い存在でした。怒鳴る、食卓をひっくり返す、湯飲みを投げつけガラスを割る、そして母を殴りつける。

 

何がきっかけでキレるのかがわからず、飲み始めると私たちは全身をアンテナ状態にして警戒したものです。

 

子どもたちの私たちも殴られることはよくありましたが、何より恐ろしかったのは母への暴力です。

 

いつか母が死んでしまうのではないか、嫌になって家を飛び出すのではないか、そんなことを心の底から心配していた私は、毎日ベッドの中で「お母さんが死にませんように」「お母さんがいなくなりませんように」と声を殺して泣きながら神様に祈っていたことを今も覚えています。

 

小学校へ通うようになってもこの問題が改善することはなく、父への恐怖心と母への心配が尽きることはありませんでした。

 

中学に上がると背骨の病気が発覚し、上半身全体を覆う金属製のギブスをはめて過ごす日々。

あからさまに奇異の目を向けられたり嘲笑を受けることも多く、当時は羞恥心で身を焼かれる思いでした。

 

長年のストレスの反動だったのか、中学、高校とちょっとヤンチャ系に走りました。

 

酒、タバコ、バイク、夜遊びなどなど。力も付いてきて、父の暴力に対抗するために自分も暴力的になった時期です。

 

大声で怒鳴ったり、物を壊したり、やっていることは酔って暴れる父と同じ。冷静になると、そんな自分が惨めで情けなくてしょうがなかったです。

 

元来臆病な性格の私、このころは相当無理していたと思います。

 

本当は怖くて仕方ないのに、強いフリ、怖くないフリをして、弱い自分を必死で見ないようにしていました。

 

荒れた家庭はその後も収まることのなかった高校2年のある日のこと、尋常ではない暴れ方をする父を見てなんとか止めなくてはと追い詰められ、台所から包丁を持ち出して父を刺そうと飛びかかった私。

 

泣きながら土下座してやめてという母の姿と、兄と姉が羽交い絞めにして全力で止めてくれたおかげで親殺しにはならずにすみました。

 

その時の私は周りから見たら怒り狂っているように見えたでしょうが、心のうちは胸をナイフでえぐられるような深い深い痛みと悲しみを感じていました。

 

そのまま家を飛び出してバイクであてもなく走り回ったところまでは覚えているのですが、それ以降の記憶はありません。

 

 

「かわいそうな親」を助けられない「役立たずの自分」という思い

父がいない時の母はよく台所でさめざめと泣いていました。

 

心配になって声をかけると返ってくる言葉はいつも同じ。

「別れたい」「死んだほうがマシ」

 

幼いころの私は母がいなくなるかもしれないという恐怖で頭が真っ白になり、必死に母を慰めたものです。

 

「もう別れていいよ。ぼくは大丈夫だよ。」
私がずっと言い続けてきたセリフです。

 

しかし、決まってこう返されるのです。
「お前が小さから別れられない」

 

成長して小さい自分ではなくなっても、今度は「お前がいるから別れられない」と苦しそうに嘆く母。このやりとりは私が高校生になるまで続きました。

 

考えてみれば、幼いころから私は“かわいそうな母”を助ける役割をずっと引き受けていました。

 

でもどうあがいても助けることができません。
子どもだから当たり前ですよね。

 

だけど子どもの自分にはそんなこと思いつきもしなかったんです。

 

その結果、
「自分が生まれてきたせいだ」
「自分は無力な役立たずだ」
「生まれてこなければよかったのに…」

いつのまにか心の底からそう信じていました。

 

自分の存在を根底から否定する癖は、このときの“心の中での真実”から生まれたのだと思います。

 

 

身体と心に現れた異変が連れてきた人生のターニングポイントその①

18歳になると得体の知れない症状で苦しみました。

24時間めまいがおさまらず、まともに食べることも、自力で立ち上がることもできない状態が長いこと続きました。

 

いろいろな病院を回るも答えはいつも「原因不明」。

 

子どものころからの積み重ねもあり、生きていることの意味が見出だせなかった当時の私は、このとき生きる希望を完全に見失い、自死を試みましたが、死ぬには至りませんでした。

 

そんなときでも父の暴力がおさまることはありませんでした。

 

体の不調とともに心も閉ざすようになり、この頃は死んでいるのか生きているのかわからないくらい心が凍り付いていました。

 

さらに追い討ちをかけるかのように、心の支えの一人だった主治医から突然こう言われました。

「君、本当は仮病でしょ?何もしたくないだけでしょ?いい加減にしなさいよ。」

 

信頼していただけにとてもショックでした。

 

しかしそれと同時に猛烈な怒りも湧いてきました。

「絶対に負けない!病気が治らなくても、ちゃんと生きて見返してやる!」

 

このショック体験が私の人生における大きなターニングポイントのひとつとなりました。

 

「病気が治らないままだったとしても、どうすれば今より心穏やかに生きられるだろう?」

 

この経験を境にこう考えるようになりました。そこで偶然手に取った本が心理学書でした。

 

まずは自分の心の仕組みを知りたいと思って開いたはずが、そこには家族の問題も記されており、長年の苦しみに対する答えが見つかるのではと、無我夢中で心理学に関する本を読み漁りました。

 

そこで知ったのは「自分がダメ人間というわけではなかった」ということ。

 

子どものころから抱えてきた苦しみが少し和らいでいくのを感じました。

 

心の変化とともに「ちゃんと生きて見返してやる!」思いもますます強くなり、その後、周りの方たちの力を借りながらなんとか寝たきりから脱却、最低限は動けるまでになりました。

 

 

20歳で訪れた突然の別れ

ようやく人生に光が差し始めたと感じた矢先、母が原因不明の突然死。49歳の若さでした。

 

知らせを受けて病院に必死に駆けつけましたが、死に目には会えませんでした。

 

母の人生はこれでよかったの?幸せだった?尋ねたいことは山ほどありましたが、もうどうすることもできません。

 

幼少期から抱えてきた「自分のせい」が再燃し、しばらくは「自分が死ねばよかったのに」という思いと罪悪感で苦しい日々がつづきました。

 

ですが、それがしばらくすると、「生きているんだから、もっとちゃんと生きよう」。
なぜかそんな思いに変わっていったのです。

学んでいた心理学のお陰だったのかもしれません。

 

その後も先の症状が続いてはいましたが、自力で生きていくため仕事に就き、必死で働いていた頃です。

 

子どものころから過酷な環境の中で育ったお陰か、持って生まれたものか、根性は備わっていたようで、仕事ではそれなりの成果を上げることができました。

 

自分に対して感じる無価値感を隠すかのように、「できる自分」を拠り所にして無我夢中で前に進んでいた時期です。

 

 

気づいていなかった真の問題と人生のターニングポイントその②

その後、職場の信頼できる仲間やパートナーのお陰で、一部症状は残ったものの日常生活に支障はないレベルにまで回復しました。

 

勤め先は大手の地場企業、26歳で結婚と順調な毎日で、子どものころからずっと切望していた“心穏やかな暮らし”がようやく訪れるんだと安堵したものです。

 

が、しかし、その期待もむなしく27歳で私は妻から捨てられました。

 

突然の離婚届。理由も告げられず、会う機会も得られませんでしたが、原因は間違いなく私の傲慢さ。

妻の気持ちや思いをことごとく踏みにじり、デリカシーのない言葉で度々傷つけていたにもかかわらず、当時の私は自分を「良き夫」と勘違いしていたんです。

 

これは死ぬほど堪えました。

 

これまでに起こった様々な問題に対して私はいつも心のどこかで「相手が悪い」と被害者面で生きてきました。

 

たとえ自分に非があったとしても、「自分は被害者だ」「悪くない」と自分をごまかし、問題に目を背けてばかり。

 

それが、優しく、親切で思いやりのある妻からの完全拒絶。さすがにもう逃げられないと感じました。

 

これが「自分には課題がある」と認識し、「自分が解決すべき問題だ」と気づいたきっかけです。

 

人生における第二のターニングポイントです。

 

 

自分と向き合い、自分を助けることで得た心の安定と安全基地

これでようやく自分が変わるしかないと覚悟が決まりました。

 

アダルトチャイルドという概念を知り、自分を助ける方法を必死に探しては実践を繰り返す日々。

 

諦めずに続けたお陰で、喉から手が出るほど切望していた心の穏やかさが徐々に増していきました。

 

そして30歳で現在の妻と出会います。

彼女はこれまでの人生で出会ったことのない健康的な人でした。

 

自分も他者もどちらも大切にできる。人格と行動にきちんと線を引くことができる。自分の責任と他者の責任をきちんと見分けられる。人の境界線内に侵入しないけどちゃんとつながることができる。

 

彼女は私の不適切な行動や物言いには物怖じせず「ノー」を言う一方で、人格の部分は一切否定も批判もせず、過去の至らなさをも含めて全て受け入れてくれました。

 

無条件の受容によって心が癒され、生まれて初めて「私は私のままでいいんだ」と心から感じることができたのです。

 

このときようやく私は、心の支えとなり、何かあったときにそこに戻ることで安心とエネルギーを得られる、いわゆる“安全基地”を手に入れたのだと思います。

 

心が安定していく中で、父との関係も変化しました。

 

度々衝突はしたものの、無事に和解を果たすことができ、父とのかかわりは増えました。

 

父の最期を見送ることができたことは、自分と向き合い続けたことで得られた大きな成果だったと思っています。

 

 

「人の手を借りること」への挑戦と「助けてくれる人」との出会い

セルフケアに取り組みながら過ごす中で、再婚、転職と人生はどんどん変化していきました。

 

自分で回復している実感はありましたが、大きな変化の中で躓くこともあり、行きつ戻りつの日々でした。

 

自力だけでの回復は難しいのかも…。

行き詰まりを感じた32歳のとき、怖いながらもなんとかカウンセリングを受けました。

 

何でも自分で抱え、人に頼ることをせずに生きてきた手前、人の手を借りることに対しては葛藤や不安がありましたが、勇気を振り絞ったこの決断は回復への大きな一歩となりました。

 

初めての先生は話を黙って聞いてくれる優しい方で、気持ちは落ち着きました。

でも生きづらさは解消しないまま。

 

二人目の先生も同じで、親身に話を聞いてくださるけれど、その先へ進めない。

 

求めていることがすれ違っているようで、「もう無理なんだ…」と諦めそうにもなりました。

 

でももう少しだけ頑張ってみよう。その矢先に出会った3人目がU先生。U先生も他の先生同様しっかり話を聴いてくれました。

 

でも明確な違いがありました。
それは私に甘えが出たときのことです。

 

自分助けに手を抜いた私に

「自分のことです。自分でやりなさい」
「君が自分のことに手を抜くなら、もう君のサポートはしない」

怯むことなく真正面から向き合ってしっかり背中を押してくれました。

 

大切にされているからこそ叱ってくれている。
生まれて初めて叱責に愛を感じた不思議で衝撃的な体験でした。

 

つらい時には優しく受容してくれる。
進むべき時には背中を押してくれる。

 

このとき私はU先生のなかに「やさしい母の心」と「毅然とした父の心」を同時に感じ取っていた気がします。

 

 

自分を助けること+人の力を借りること=カウンセラーの道へ

このときすでにカウンセリング講座に通って学んでいたのですが、その目的は自分助けの知恵と技を得ることであり、カウンセラーになる気は実はさらさらなかったんです。

 

その講座で得たものを使ってセルフケアを続けたお陰で「心の穏やかさ」はどっしりとしたものに育ち、生きづらさも着実に解消されていきました。

 

ただそれと同時に、U先生との交流を通じて人は自分助けの技だけではなく、人と交わることによっても心が救われることにようやく気づきました。

 

何でも自分で頑張ることは悪いことではありませんが、その頑張りを支えてくれる人がいることで効果がぐんと増すことを体験したのです。

 

結果、自分助けをすればこんなに生きやすくなるならこれを広めない手はない!それを助ける人も必要!このふたつの思いが、私がカウンセラーを目指すきっかけとなりました。

 

正しく学ぼうと思い立ち、大学に3年次編入して心理学を専攻。その後もさまざまな心理療法学会の会員となって心理療法のトレーニングを受けました。

 

次いで実践経験を積むためにとカウンセリングのボランティア先を探し回りました。

 

そこで私を受け入れてくれたのが私の生涯のお師匠様です。何者でもない素人の私を信じ、見守り、育ててくれました。

 

この出会いはカウンセラーとしてだけではなく、人としての大きな財産です。人とつながることの大切さを改めて教えてもらいました。

 

次は私が誰かにとってのU先生やお師匠様になれるよう、精進する日々です。

 

 

「助けてあげる場所」ではなく「助け方を伝える場所」を目指して

私もそうだったように、いわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる人たちは、育ちの影響から何でも自分ひとりで頑張ろうとしがちです。

 

その気持ち、とってもよく理解できます。

 

ただ、人に助けを求めることは回復に向けた大きな勇気、大切な一歩になることを、私は身をもって知りました。

 

このカウンセリングルームでは、私がクライエントを助けるのではありません。

 

自分を助けるのはあくまでも自分自身

私はそれを横でお手伝いするサポーターに過ぎません。

 

私と同じように自力でなんとか回復したいともがいている人たちに、セルフヘルプのノウハウをお届けしつつ、上手に人の手を借りることを体験として提供する、そんな場所でありたいと考えています。

 

 

「わが家を安全で安心な場所に」を合言葉に、家族をまるっと支援したい!

DV、虐待、機能不全家族…、私はそういう環境の中で育ちました。

 

でも、様々な体験や人との出会いを経て、「自分にできること」は逃げずに立ち向かい、「自分にできないこと」は人からの助けをもらったことによって、こんなことに気づくことができました。

 

たとえ逆境的な家庭環境で育っても、、、
人は変われること。
自分で自分を助けられること。
大切な人とつながれること。

そして、幸せを感じられること。

 

私が体験したことを整理し、どうすれば自分を助けることができるのかを生きづらさを抱える人たちに伝えたい。そして、回復への道を歩く人たちを隣で支えたい。

 

そんな思いでカウンセリングをつづけています。

 

また、自分が家庭を築き子どもを育てる中で、そして多くのクライエントと向き合う中で、「わが家が安全で安心な場所」であることがどれだけ大切なことかを知りました。

 

人生においてストレスをゼロにすることはできません。なぜなら私たちは他者を変えることができないから。

 

でも、わが家が安全、安心ならそこでしっかりエネルギーを補給することができます。

 

そのエネルギーを使って私たちはこの「思い通りにならない」世界をしっかり生き抜くことができるのです。

 

私には今、愛する妻と息子がいます。お陰でわが家では日々幸せを感じています。

 

息子はよく笑ってくれます。気持ちをちゃんと伝えてくれます。自分らしく元気でいてくれます。その姿を見るだけで今も涙が止まらない、、、そんな親バカな私です。

 

でも世の中には、
笑いたくても笑えない
泣きたくても泣けない
怒りたくても怒れない
怖くても逃げられない
苦しくても助けてもらえない・・・

 

そんな環境の中で育つ子どもたちがいます。

それがとてもつらいです。

 

子どもには子どもらしくその子らしくいてほしい。どの子の“わが家”も「安全で安心な場所」であってほしい。

 

だからこそ、死ぬまでに子どもも親もまるっとサポートできる“子育ての学校“みたいな場所を作る!そう決めています。これが支援者としての私のミッションです。

 

 

今はまだ生きづらいあなたへ

自分の人生を振り返ってみると、いま身に着けているセルフケアの方法があればもっと短い期間で解決した悩みばかりです。

 

当時、その方法を知っていれば、もっと早く悩みから抜け出せたのに。貴重な時間を無駄にせずにすんだのに。

そういう思いもあります。

 

実際にご相談者の方もこのように言われる方も多々おられます。

「もっと早く知りたかったです」
「そしたらもっと早く楽になれたのに」

 

かつての自分のように悩みの中にいて生き辛さを感じている方。毎日が辛く、生きていくのがやっとだという方。そこに子育てまでのしかかって苦しい方。

 

その苦しみを自力で克服したい!何とか解決したい!
そんな思いで暗闇でもがき続けている方に受けていただきたいと思っています。

 

心理カウンセリングを初めて受ける時は、とても不安があると思います。

「良くなりたい。楽になりたい。」
「でも、本当に良くなるのだろうか・・・」

 

このような葛藤があると思います。

 

でも、ほんの少しの勇気があなたの未来を素晴らしいものにしていくのです。

 

どうぞ、安心して何でもお話ください。

 

心のセルフケアのプロがあなたを全力でサポートいたします。

 

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