自称、子どもの心の代弁者! 子育て感情トレーナーの高澤です。 今でこそ 激昂するなんてことは なくなっておりますが、 その昔はそれはそれは 怒りんぼうの私でした。 人が他者に怒るときって 例外なく 「私は正しい!」 「相手が間違ってる!」 と思い込んでいるとき。 もちろん私もそうでした。 むしろ「正しさ」を盾に 人に怒りをぶつけている 自分のほうがまずいわけで。 そもそもいつも 自分が正しく、 相手が間違っているなんて さすがにないわけで。 ここにまず一つ目の課題。 ↓↓↓ ●べきねば! (べき思考) 自分の価値観を絶対視、 他者の価値観は軽視。 だから自分の価値観を 人に求める(押し付ける)わけです。 私なんて スーパーべきねば野郎! でしたよ( ̄▽ ̄) ・ルールは守るべき! ・常に人に配慮すべき! ・自分のことは自分ですべき! ・人に迷惑をかけてはいかん! ・自己中であってはならん! などなど。。。 字面だけ見れば いずれも正しく見えます、 が!どれもこれも ただの 「正論」 です。 口先だけなら 子どもだって言えるやつ。 人間はそんな 理想通りになんて 生きていけるわけがない。 こんなべきねばを 偉そうに主張している 自分がすでにこのべきねばに 違反してましたし_| ̄|○ 「人に配慮すべき!」 を盲信しているから 人への配慮を欠いた人に 強い怒りを覚える。 そして時に その人を責める。 口で言わなくても 心の中で責める。 ね。 この自分もすでに 人への配慮に欠けてるでしょ? 相手にどんな理由や 事情があるかなんて 全然視野に入ってない。 まさに子どもがやる ただの『正論』ですわ…。 でもですよ、 職場の同僚やらママ友やらに 怒りをぶつける人は少数派。 速攻で 「ハラスメント!」 ってなりますから。 なのになぜかしら *パートナー *わが子 には怒りをぶつける人は 結構多い。 つまり べきねば以外にも 課題があるってことです。 その課題って? それは、、、 ・ ・ ・ ●甘え 妻(夫)にだったら、 わが子にだったら、 / 出してもいい! \ という甘えです。 幼い子どもは わが家でも保育園でも わがまま出すでしょ? あれと同じで、 「許される」という 思い込みから生まれる 甘えなんです。 だんだん バツが悪くなってきた方も いらっしゃるかもですね。 私も自分の課題の一つが 「甘え」だと知った時は かなり抵抗しましたもの。 「違う! 俺は大人として 正しいことやってんだ!」 みたいに。 でもね、 やっぱり人を選んでるから 間違いなく甘えなんです。 当時はそんな自分に ガッカリもしましたが、 課題として向き合って 解決に取り組めたし、 お陰で仲良し夫婦、 幸せ親子をゲットしたから 結果は超オーライです♪ ここまでで 課題が2つ出ましたね。 ①べきねば(べき思考) ②甘え そろそろ しんどいでしょうか? でもまだ続きます(ーー;) 「べきねば」で怒りを作り出し、 「甘え」で子どもにぶつける。 ここまでだったら 該当する方はそれなりに いらっしゃることでしょう。 ただその中には べきねば+甘えで わが子やパートナーに 怒りをぶつけたとしても、 しばらくして そのことを振り返ると、、、 「あぁ、またやっちゃった」 と後悔する人は少なくない。 やってしまったことは もうしょうがありません。 だったらせめて 「ごめんなさい」 が言えれば救いがあります。 相手がパートナーなら 即!見捨ててやる!! までは行かないでしょうし、 相手がわが子なら 「ぼく/わたしのせい…」 などと無用な自己否定感を 刷り込まずに済みますから。 だけどこれまた 謝れない人がなんとも多い。 「べきねば」で怒り、 「甘え」でぶつけたあと、 反省して謝る人もいれば 謝らない人もいる。 ということで 「謝らない人」には 第三の課題があるということ。 それは、、、 ・ ・ ・ ●低い自己肯定感/自尊感情 (強い自己否定感、劣等感) 「私はこの私で良いのだ!」 とは到底思えない。 だから 人より下に落ちないよう、 何なら上に立てるようにと 「勝ち」を目指す。 そもそも自分は 人より「下」なんだから 「上」に立たなきゃ! と奮闘する。 これだとどんな人間関係も 全てが *勝ち負け *上下関係 *優劣 が大前提。 そこには ☆心の穏やかさ ☆居心地の良い人間関係 なんてものはありません。 そこにあるのは サバンナのケモノ同様 「弱肉強食」 の世界のみ。 ということで 三番目の課題が出てきました。 ①「べきねば」で自分を怒らせる ②「甘え」で相手にぶつける ↓ ③「低い自己肯定感」を 拭うべく、人の上に立とう、 人に勝とうと必死に奮闘する ここで躓いたままだと 自分が悪くても謝れません。 だって、謝ったら、 負けを認めることになるから、 いえ、正確には、、、 ●「自分が下」という認識 ●それに基づく恥辱感 に襲われるから。 そうなんです。 感じるのが非常に不快な 『恥』 を避けたいがあまり 大事な「ごめん」が言えないのです。 でもここがそのままだと 人生はずっと戦争状態。 身も心も すり減っていく一方です。 ・ ・ ・ ここを解決するには どうすればいい? それは! ↓↓↓ =========== 不完全な自分を受容する =========== と言いたいところですが、 その手前に大事なのがあります。 それは ↓ ↓ ↓ / 自分で自分を責める なんてのはやめちまえ! \ 口に出すなんて言うに及ばず、 頭の中でも自分を責める言葉を 呟かない! 呟きそうになったら 頭の中の自分の口を 塞いででも黙らせる! 自分を受容する前に 責めるのをやめよう! ってことです。 え?やめられない? だったらひとつ これと向き合ってみましょう。 「何の得にもならないのに 私は何のためにわざわざ 自分を責めるんだろう?」 「自分を責めることで どんなメリットを得ているんだろう?」 人はメリットがない行動を つづけることはありません。 どんなに強く 「嫌だ!」と願っていても、 その行動が続いているなら そこにはメリットが存在します。 自己否定のメリットって たとえば? ・ ・ ・ *自分のことを 「ちゃんとやってる人」と思える *改善行動に取り組む エネルギーを奪える (=行動しなくて済む) *人から慰めてもらえる (その可能性を高められる) *改善すべき現実から 目を逸らすことができる などなど。 かなり嫌な話ですが、 ここと向き合わないと 自己否定は止まりにくい。 その結果、 ずっと自分がしんどい プラス 成長もしない (むしろ衰退) でもね、私もそうでしたが これと向き合うのは非常に しんどい!しんどすぎる! じゃあどうすれば いいのさ!!! それは、 ここで度々触れている ・ ・ ・ / 安全基地を持つ! \ はい、そうです。 仲間を得るってことです。 同じ悩みを持ち、 同じ痛みを抱える人の中で *弱くて *脆くて *不完全で *欠点もたくさん の自分を開いていく。 それを仲間の輪の中で 互いに出し合い、 受取り合っていく。 そんなプロセスを通じて \この私でもいいんだ!/ が育っていくんです。 ここが育てばどうなる? 今日のプロセスが 順を追って改善していきますよ。 ①ダメな私でいいんだ! ↓ ②子どもに甘えてたなんて…。 でもこれも私なんだよね。 ↓ ③べきねばは最低限でいい! もう人に押し付けなくていい! このステップに乗れたら 生きやすさは爆増しまっせ! ちなみに正反対の努力だけど あるあるを最後にお伝えします。 それは、、、 ・ ・ ・ / すごい私にならなきゃ! 怒られない!責められない! そんな自分にならなきゃ! \ です。 これを追い求めるほど 逆説的に ↓ ↓ ↓ ●自己肯定感はダダ下がり ●人の評価にガチガチに縛られる ●恐れや不安は湯水の如く湧く ●人への怒りが恨みに悪化 ●体は超疲弊のクタクタ状態 ●喜びも幸せも遠ざかる一方 etc. こんな未来を 引き寄せたくない! 遠ざけたい! ならぜひとも 今日の記事を参考にしてみてください。 完全なる自分 理想の自分 そんな人間が存在するのは 妄想の中だけ。 それは目指しても 無理なんだ。。。 不可能だったんだ。。。 そんな白旗上げることが V字回復のスタートです。