こんにちは、アダルトチルドレン(AC)専門の心理カウンセラー高澤です。
「あんな親でも、、、許したほうがいいんですか?」
こう尋ねる人の、子ども時代のわが家は次のような環境だったことが少なくありません。
暴言や暴力がある、家庭内での争いが絶えない、親が自分で手いっぱい、そもそも不在(実際にいないだけでなく「情緒的に」不在も含む)、親の望み通りでないと冷遇、親の欲求充足の道具として濫用、無関心、愛情という仮面を被った支配・・・。
こういった安心・安全を欠いた環境で生き抜かなければいけなかった子ども時代の大変さを思うと、親を恨んだり「許せない」なんて言いたくなる気持ちは十分理解できます。
恨みの奥にあるもの
相談初期は身を焼かれるような母親への恨みで苦しんでいたユウさん(仮名)、対話の深まりに連れて恨みの奥に隠れていた“あるもの”に気づいた瞬間、こう言って泣いておられました。
「心の底から母を嫌いになれていたら、そっちのほうがよっぽど楽だったのに・・・」
子ども時代のユウさんには、母の愛を求めてやまない心があったからこそ、
*ほんとうは「話をいっぱい聴いてほしかった」のに聴いてもらえなかったこと
*ほんとうは「叩いてほしくなかった」のに叩くのをやめてもらえなかったこと
に対する深い悲しみがあった。
そして、その悲しみを抑えるには恨みが必要だった。
愛と憎は表裏一体と言いますが、親子ってなんとも厄介なものですね。
そして親になった
そんな私たちも大人になり、その中のいくらかの人々は結婚し(パートナー関係を持ち)、そして親になっていきます。
一人で生きていく分には何とかやりくりできていた人生も、子を持つ親となったとき、イヤでも自分と向き合う必要に強く迫られます。
子どもという「思い通りにならない欲求と感情の塊」という存在を育てる役割によって、これまではどこか目を逸らしてきた自分自身の課題が浮き彫りになるからです。
「毒親卒業」の2つの意味
「毒親卒業トレーニング」というブログタイトルの「卒業」には、2つの意味を込めています。
ひとつは、毒親(機能不全家族)「から」卒業するという意味。
もうひとつは、毒親(機能不全家族)「を」卒業するという意味。
ちなみに毒親とは、子どもを暴力や暴言で傷つけたり、思い通りにしようと支配したり濫用したりすることはあっても、子どもの心の育ちを促すような関わりの少ない、「毒」にはなっても「薬」にはなりにくい親を指します。
(語源はスーザンフォワード著『毒になる親』)
また機能不全家族とは、子どもの心身が健やかに育つ上で欠かせない大切な要素を提供できない家庭環境のことです。
したがって、毒親という概念は機能不全家族の一部に含まれます。
毒親「から」卒業する
子ども時代に毒親、あるいは機能不全家族と呼ばれるような家庭で育ち、生きづらさを抱えた人を「アダルトチルドレン」といいます。略称はAC(エーシー)です。
ACにとっては「幼少期にわが家で受けた影響のうち、今も生きづらさを維持しているもの」の克服が重要なテーマになります。
これまでの相談内容を振り返ると、
①この世界(社会)への安全感が希薄
②人との繋がりに対する安心感が希薄
③自分という存在に対する信頼感(肯定)が希薄
といった影響を受けていることが大半でした。
従ってこの影響を克服できれば、もう過去の親に縛られる必要はなくなります。
たとえば、度々暴力や怒鳴り声が起こる環境で幼少期を過ごしたアミさん(仮名)には「人から攻撃される恐怖」という“影響”が残りました。
通りすがりの人にすら警戒を解けないことも多く、まるで野生の熊に怯えながら森を歩いている、そんな苦しい状態でした。
そのアミさんも自分助けを続けていくことで徐々に人への過度の警戒心(恐れと緊張)が緩み、その結果知らない人と接する場面でも以前より楽になりました。
それに伴って、親という存在に対する見方も変化していきました。
・Before:「子どもに害を加えたひどい(ダメな)親」という[子ども 対 大人]の視点
↓
・After:「当時親になるには未熟だった人たち」という[大人 対 大人]の視点
受けた影響(生きづらさの元)が軽くなるにつれて、親の未熟さや不完全さに囚われる気持ちも比例して軽くなる姿、あるいは「親がどれだけひどかったか」「どれだけ至らない人だったか」への囚われから解放されていく姿を、これまでクライエントさんたちから見せてもらいました。
この“影響”を緩めていくことを、『毒親「から」卒業』という意味で捉えています。
ではもうひとつの、『毒親「を」卒業』とはどんなものか。
それはこちら↓の記事でお伝えしています。