「嫌いなあの親」を許すべきか許さざるべきかという悩み | 子育て感情セラピー|カウンセリングオフィストリフォリ
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「嫌いなあの親」を許すべきか許さざるべきかという悩み

「嫌いなあの親」を許すべきか許さざるべきかという悩み
【記事を書いた人】

カウンセリングオフィス トリフォリ 高澤信也

福岡で子育てと生きづらさ克服をお手伝いしています。公認心理師。

 

アダルトチルドレン(毒親育ち)当事者の多くから「親を許せない」「大嫌い」「恨んでる」といった言葉を聞いてきました。そしてこう訴えられます。

 

「許した方がいいと本に書いてあった。人からもそう言われた。でも許したくない。許せない。どうしたらいい?」

 

結論から言えばお勧めは

*許したほうがいい

です。

 

かく言う私はその昔

「死んでも絶対に許さない!!」

と思っていたにも関わらずです。

 

なぜ許したほうがいいのか。

その理由をお伝えします。

 

許さないことのデメリット

親を許さないデメリットとしては大きく次の2つがあると考えています。

 

①自分だけが苦しみ続ける

許さない状態とは

<怒り(恨み)>

に心を乗っ取られている状態です。

 

恨みは心の内側を焼き尽くす業火と言われます。そのままでは自分自身の内側から無尽蔵に苦しみが噴き出ししてしまうことになります。とても苦しい状態です。

 

一方恨んでいる「あの親」はどうでしょうか。同じように苦しんでいるでしょうか。

恐らく何も変わらず普通に暮らしているのではないでしょうか。それどころかこっちが「許せない!」と思っている今この時も、テレビを見て大爆笑しているかもしれませんね。

 

どれほど親を恨んだところで苦しむのは自分だけ。

これが許さないことの1番目のデメリットです。

 

 

②回復に役立つことに着手しない

親への恨みに囚われているとき、人は「今、ここ」で抱えている現在進行形の苦しみを和らげる、取り除くなどといった取り組みに手を付けることはありません。

 

目的は「親への恨みを晴らすこと」、正確には「悪かったのは自分だと認めさせること」ですから、その目的に合った行動だけを続けることになります。

 

つまりこの瞬間において「苦しんでいる自分を助けてあげる」という大切なことは棚上げされたまま。したがって先に述べたことと同様に、結局は自分だけが苦しむという状態が続いてゆきます。

 

 

 

許すことのメリット

一方で親を許せたらどうなるでしょうか。

 

自分で自分の苦しみを取り除いてあげることに取組めば、嫌でも「生きやすさ」「穏やかさ」は徐々に、でも着実に増えていきます。親が笑っていようといまいと、苦しんでいようといまいと、親の現状とは無関係に自分は助かっていくのです。

 

これが「平安の祈り」や「ゲシュタルトの祈り」という詩で言われている大切な視点ではないでしょうか。

 

*自分に変えられるもの(自分)を変えていく

*自分に変えられないもの(他者)は手放す

 

親が幸せであろうが不幸であろうが、私たちは自分を幸せにすることができるのです。

 

 

 

親を「許す」の意味

ここでちょっとだけわき道にそれます。

 

そもそも親を許すってどういう意味でしょうか?

神様や仏様のように「もう大丈夫ですよ」「あなたのことをゆるしますよ」と笑顔で慈悲を与えるということでしょうか。親に対して一切の負の感情をもたない自分になるということでしょうか。

 

もしそれが「許す」の意味なら、それはあまりに難しい、いえいえほぼほぼ不可能です。人は万人を愛することはできません。合わない人間に嫌な感情をもつことはごくごく自然なことですから。

 

では「許す」とはどんな状態でしょう?

ちょっとだけ私の体験談にお付き合いください。

 

 

 

親を許すまでの流れ

わが家で育った私はいわゆる王道のACでした。

 

王道とはACという言葉本来の

Adult Children of Alcoholics(アルコール依存症者のいる家に育った子ども)

という意味です。

 

酒に酔って暴れる父。

悲鳴を上げながら反撃する母。

フリーズする子どもの私たち。

 

その家で育ったことでいろんな影響が残りました。

人間不信、低い自尊心、緩められない警戒心、人を頼れない、感情調整ができない、人間関係が極端になりがち、などなど多岐にわたりました。

 

その生きづらさに直面するたび

「絶対に許さない!」

と親への恨みをかつては募らせていたものです。

 

でもそんな思いを口にすると、周りの人々の多くはこう言いました。

「気にしすぎ」

「もっと大変な人はいる」

「いつまでも過去に囚われるな」

「いいかげん大人になれ」

「親も精一杯やっていたはず」

 

このセリフは当時の私にとってはむしろ「火に油」。苦しいのに自分が責められている(と思っている)ことがなんとも不当に思え、さらに親への怒りの炎は燃え盛ったものです。

 

でもあるとき気づきました。

恨んでいても苦しいのは自分だけ。ぜんぜん楽にならない。何のための人生なのかわけがわからない。これはもったいなさすぎると。

 

そこから

*とりあえず親のことは親のこととして脇に置いといて

自分助けに舵を切りました。

 

その結果、(当たり前なのですが)どんどん楽になっていきました。楽さ(心の穏やかさ)が増えるほど、過去の親のことが「どうでもいいこと」に変っていったんです。

 

「つらかったけど、もうしょうがないよねぇ。あの人たちの力ではあれ以上のことは無理だったんだなぁ。でも今の自分は楽だから、別にいいや!」って感じです。

 

これって「許そう」と思ったから許せたというより、「楽になりたい」と思っていろいろ自分助けやって楽になったとき、気づけば「すでに許していた」というほうが正確ではないかと思います。

 

 

 

さいごに

ということは、私たちは無理して「親を許そう!」という目的を設定しなくても、自分のことをしっかり助けてあげさえすれば、結果的に親を許せるという結末を引き寄せることが可能と言うことができます。

 

そのとき親は何も変わっていないかもしれません。相変わらず課題満載のままかもしれません。

 

たとえそうであっても自分が楽(穏やか、しあわせ)だったら、それっておそらく「どうでもいいこと」になっているのではないでしょうか。

 

つまり進むルートが全然違ったということになりますね。

 

●「許す」を選べなかった旧ルート

スタート:(めっちゃ嫌だけど)「許さなきゃ!」

無理して親を許そうと頑張る(でも自分のことは後回し)

かなり頑張って少しは許せた、かも(でも大変そう)

前より楽になったの?

(実は自分助けやってないので元の苦しみはそのまま)

「やっぱり許せない!」(スタートに戻る…)

 

一方で

◎気づいたら「許せていた」の別ルート

スタート:「自分を助ける!」と決めた

セルフケアをやればやるほど楽になった

今が苦しくないので親のこと気にならなくなっていた

気づいたらいつの間にか親を許していた

 

ここから考えると、冒頭では「許す」をお勧めしましたが、自分助けさえきっちりやれば結果的にそこに到達できそうですね。ということは無理したり我慢したりして「親を許す!」ってやることはどうやら不要みたいです。

 

これまではあなたの頭の中にずっと棲みついていた「許せない親」が、こんなふうにしてアタマの外に引っ越してくれるといいですね。そのためにはまずセルフケア!健闘を祈っています!

 

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