» 「かわいそうな私」でもなく「悪いあの人」でもなく、「私にできること」
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「かわいそうな私」でもなく「悪いあの人」でもなく、「私にできること」

「かわいそうな私」でもなく「悪いあの人」でもなく、「私にできること」

子育て中のアダルトチルドレン支援に尽力中の高澤です。

 

泣き止まない2歳のわが子を母親が布団でグルグル巻きにした結果、その子は亡くなってしまったというニュースを見ました。

https://www.fnn.jp/articles/-/55923
(リンクは貼っていません)

 

その子はどんな気持ちだったでしょうか?

なにを訴えたかったのでしょうか?

どうしてもらいたかったんでしょうか?

 

それを思うと胸が張り裂けそうになります。

 

人それぞれの考え

このニュースを伝えていた別のサイトにはコメント欄があり、いろんな意見が載っていました。

 

「子どもがかわいそう」

「虐待だ。ありえない」

「大変だったは言い訳にならない」

という「子どもは被害者」「母親が加害者」論。

 

「育児疲れで追い詰めらていたんだろう」

「夫は何してたの?このお母さんかわいそう」

「きっとワンオペで大変だったに違いない」

という「母親が被害者」「夫が加害者」論。

 

人それぞれですね。皆さんはどんな意見をお持ちになるでしょうか?

 

 

 

個人的見解です

私はと言いますと、「被害者ー加害者」という二元論的な視点自体がそもそも好きではありません。

 

犯人探しで誰かが幸せになるとは思えませんし、仮に厳然たる「加害者」がいたとしても、その人を罰したり排除するよりも、本人がその経験から学んでやり直すことのほうが何倍も大事だと思っているからです。

 

だって人はすべからく過ちを犯す存在ですから。

 

 

 

私ごとですが

私自身、過去に人を傷つけたことは1度や2度ではありません。今更ながらに申し訳ない気持ちが残っています。

 

特に一人目の奥さん(私バツイチです)にはきちんとお詫びできないままで現在に至っていますので、余計に申し訳ない気持ちが残っています。

 

しかしどれほど悔いても人を傷つけたという事実は変えられません。

でも自分にできることがあります。それが「傷つけた人への埋め合わせ」です。

(ACの12ステップでも述べられています)

 

直接会えるときには謝罪に出向きました。

会えなくても住所がわかる方にはお詫びの手紙を送りました。

会えない、もしくは会っていただけない方に対しては、自分の生き方を変えていくことで埋め合わせとしました。

 

直接会うのは怖くてたまりませんでしたが、ほとんどの方が許してくださいました。それどころか今の生き方を応援してくれることが大半でした。

 

「ダメな私」と無用な自己卑下に止まることなく、また「自分は悪くない!」と否認することもなくいられたのは、この許しのお陰です。本当にありがたかったです。

 

 

 

体験で学んだこと

埋め合わせに取り組む前はまるで自ら罰を受けに行くくらいの重い気持ちでいましたが、実際にはまるで正反対の結末でした。

 

この体験で学んだことは、償い(埋め合わせ)とは「罰を受けること」ではなくて、人を傷つけてしまった痛みから逃げることなく、その力を使って自分をよりよく育てていくこと。

今はそう確信しています。

 

この確信に至ったのは許しをいただけたお陰が大きかったのはもちろんですが、それ以上に大きかったものがあります。

 

それは

自分の人生から逃げなかったこと

 

これが不完全で不十分で過去には色々やらかしてきた自分すらも誇りに思わせてくれました。

 

 

私にできること

私たちが加害者になることなく、また、被害者の立ち位置に止まることもなく、主体者として生きていくために何ができるでしょうか。

 

大人という立ち位置であれば

*自分で自分を助けてあげること

 

そこに親という立ち位置が加われば

*子どもに安心安全を提供すること

 

そのために「私にできること」を小さくていいから一つひとつ積み上げていく。

そんな些細な日常の先に、生きやすさという宝が訪れるのだろうと思っています。

 

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