こんばんは。
子育て感情セラピストの高澤です。
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生きづらさを解決したくて
頑張ってるのに
全然楽になれない!
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そんなお悩みありませんか?
「ダメな自分」を
「ちゃんとした自分」に
しようと懸命に頑張る。
人に迷惑をかけないように、
不快にしないように、
傷つけないにように、
「いい人」になろうと懸命に頑張る。
怒りをはじめとした
「嫌な感情」は抑え、
「良い感情」だけを出せる
自分になろうと懸命に頑張る。
あるいは
誰からも批判されないように
「完璧主義」
でお尻を叩きながら生きていく。
こんな努力を続け、
気づいたときには疲れ果て、
何のための人生なのか
意味がわからなくなる。
いわゆる
*燃え尽き
です。
燃え尽きの原因は
すごくシンプル。
こんな努力を続ける
目的を自問自答すると
その答えが見えてきます。
Q)私は何のために
こんなことを続けているの?
そこに隠されている答えが
今日のタイトルの答えになります。
それが、、、
・
・
・
・
私は人からどう見られているか?
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根底にあるものはこの
【恥】の感情
なのです。
別名「シェイム」と呼び、
・自信がない
・漠然と「私はダメ」な気がする
・自己肯定感が低い
・自己批判をやめられない
・劣等感が強い
・自分のことが嫌い
・すぐ人と比べてしまう
・完璧主義をやめられない
etc.
などといった
“症状“として現れます。
恥という感情には
必ず「相手」が存在します。
人は無人島で
恥を感じることはありません。
根底に恥があるから
「人は私をどう見てる?」
に囚われる。
人から悪く見られることを恐れ、
嫌悪されることを恐れ、
批判されることを恐れ、
拒絶されることを恐れる。
だから
自分で「ダメ!」と
思っている部分を、、、
*バレないように隠す
*取り除こうとする
しかしこの努力は
「ありのままの私」
を消し去ろうとする努力。
決してうまくいくことは
ありません、いえ、ありえません。
こんな生き方を
続けていればどんな人でも
燃え尽きますって。。。
そもそも仮に
完全に隠せたとしても、
自分を否定的に見る他者を
この世界からゼロにはできません。
だって人には皆
自分独自の
*感じ方
*考え方
*価値観
がありますもの。
恥を隠す努力は言い換えると、
他者の
・感じ方
・考え方
・価値観
を変えようとする
無茶な努力。
他者は変えられない。
だから行き詰まる。
だから苦しくなる。
その苦しみを取り除こうと
また同じ悪循環を繰り返す。
ニーバーの詩と呼ばれる
『平安の祈り』
とまるで正反対の生き方です。
===============
<平安の祈り>
神さま 私にお与えください。
私に変えられないものを
受け入れる落ち着きを。
変えられるものは
変えていく勇気を。
そしてその二つを見分ける賢さを。
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この悪循環から脱したいなら、
為すべきことは超シンプル。
人は変えられないという
ごく当たり前のことを
受け入れていく。
どんなに
「ああして欲しい!」
「こうしないで欲しい!」
があったとしても、
無理なものは無理!
と諦めるのみです。
(超ムズですが 汗)
そしてもう一つ。
こっちが本丸です。
それは
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こんなのバレたら絶対に
嫌われる!
批判される!
拒絶される!
バカにされる!
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と信じて隠している
自分の「部分」を
逆にオープンにしていく。
繕ったり
偽ったり
装ったりしている
メッキ
^^^^^
を剥がして
生身の自分を晒していく。
それはとっても
勇気がいる行為です。
だけど
客観的に考えてみてください。
自分の
・弱点
・欠点
・失敗
といった「隠したい部分」を
臆せずオープンにしている人を
ダメだと思いますか?
嘲笑いますか?
きっとその反対に
「すごいな!」
「勇気あるな!」
と思いませんか?
人って不思議なものですね。
自分の生身を
晒している人を見ると
「すごい!」
「格好いい!」
って思うのに、
自分を晒すことを想像すると
「バカにされる」
「嫌われる」
「批判される」
「拒絶される」
「攻撃される」
なんて真逆の想像をする。
これも
【恥】
がなせる技とも言えますが。
もし本気の本気で
\生きやすくなりたい!/
を願っているなら
やるべきことは一つ。
「恥じている部分」を、
「等身大の生身の自分」を、
包み隠さずオープンにする!
これが生きづらさを
根本から取り除き、
真の生きやすさを育む
唯一無二の秘策です。
生身の自分。
弱くて脆くて情けない自分。
そんな等身大の自分を
晒した先に待っているもの。
それが
★本物のつながり
です。
ありのままを晒す
▼
この世界にはそれを
受け入れてくれる人がいる
▼
その人と出逢う
▼
メッキなんか不要な
真のつながりが持てる
だからと言って
誰にでもオープンにするのは
決して得策ではありません。
自分が「安全」と感じられる
“信頼できる人“に明かす。
批判的な人は
もちろんNGですが、
上っ面の称賛を述べる人は
もっとNGです。
まずい行為は
「良くないと思う」
と正直に言ってくれる。
だけどその一方で
存在自体は
「それもあなたでしょ♪」
と受け入れてくれる。
そんな誠実な人です。
身近にいれば
その人の力を借りる。
身近にいないなら
自助グループや援助者の
手を借りる。
そうやって
「隠す」
をやめていくほど
そしてそれを
信頼できる他者に
受け入れてもらうほど
【恥】
は薄まっていきます。
【恥】が薄まるほどに
「人は私をどう見てるか?」
に囚われなくなっていきます。
その囚われが減るほどに
\自然体で生きる!/
ができるようになっていきます。
生きづらさの根っこにある
【恥】を突破できれば
生きやすさはゲットできますよ。
だけど
「生身を晒す」
がすごく難しい。
だって
【恥】と「隠す」は
ベッタリ共依存関係ですから。
だからこそ
安全で信頼できる場
^^^^^^^^^^^^^^
で徐々に開いていく。
勇気は必要ですが、
コンフォートゾーンと言う
変化成長のない現状を抜け出すには
この恐怖に打ち勝つことが必須!
安全な場(相手)で
ぜひとも
\生身を晒す!/
にチャレンジしてみてください。
私ごとの余談ですが、
今の奥さんと
お付き合いできる直前に、
それまで自分がやってきた
数々の悪事(汗)を玉砕覚悟で
洗いざらい告白しました。
すると驚くことに
過去は過去、今は今
として受け入れてくれました。
そのお陰で恥が薄まり、
自分を偽ったり
悪事を隠し続けたり
しなくて済んだんですよね。
お陰で今も夫婦仲良く
暮らせています。
だからこそあの時の自分に
ぜひともこう言いたい!
「あの恥まみれの自分を
よくぞ隠さずに明かした!
頑張ったな!えらいぞ!!」
って。
よかったらぜひご一緒に♪