こんにちは。アダルトチャイルド支援カウンセラーの高澤です。
以前私はこんなことでとても困っていました。
頭で言い聞かせても身体が理解してくれない
たとえば初対面の人たちの集まりに参加した時、仏頂面の人と目が合うと、瞬時に身体が緊張して警戒モードに突入。
近づかれると緊張は一気に加速、漠然と怖い感じがしておりました。
(当時は怖れをニセモノの怒りで隠していたので、自分が怖がっていることを認めていませんでしたが)
現実の状況は何の危険もない。
相手は何もしていない。
ただそこにいるだけの人。
だから懸命に頭で自分にこう言い聞かせていたわけです。
「別に何も起こってないじゃないか!何も怖がる必要なんてないじゃないか!」と。
しかしどうしても身体が勝手に警戒モード。
毎度お馴染みのこの身体の反応が度々起こってはクタクタになっていました。
さらに自分はどこかおかしいのではないか、、、などと余計な自己否定まで付け加えたりもしていました。
当時これには非常に困っておりました。
なぜなら、親しい知人友人でもない限り、たいていの他者はふだん真顔(仏頂面)でいるのがふつうです。
その度反応していたら身体が到底持ちません。
身体の記憶・神経の記憶
のちに分かったことですが、この反応は認知的な知覚によって起こっているものではなく、神経回路レベルでの知覚が招いている反応でした。
これを「身体の記憶」とか「神経の記憶」なんて私は呼んでいますが、これをニューロセプションと言うそうです。(ステファン・ポージェス博士という方の造語です)
外界の情報を知覚するスピードは、認知的な知覚よりもこのニューロセプションという「神経回路レベルでの知覚」のほうが遥かに素早いので、先の私がどれほど頭で自分に言い聞かせてもうまくいかなかったわけです。
認知レベルの知覚<神経レベルの知覚
この知覚のことを知らないままだった私は、度々起こるこの反応を取り除くために「考え方の癖」を変えるという認知的な手法を使っていましたが、それがどうにもうまくいかず行き詰まった時期があります。
認知とは簡単に言えば思考のこと。ものの見方・捉え方、想像、イメージ、記憶などなどです。
幼少期から持ち越してきた生きづらさが認知的な手法で軽快しないとき、もしかしたらニューロセプションが関係しているのかもしれません。
もしそうであれば、この「神経回路レベルでの知覚」について知ることは、セルフヘルプにとても役立つと思います。
神経レベルの知覚が過敏になったワケ
次のエピソードはわが家の昔話です。
父親は時々急に不機嫌になる人でした。理由はたいていの場合不明です。その時の表情は典型的な仏頂面です。
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その顔を見ると私の緊張が一気に高まります。
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緊張した私の顔を見た父は「文句あるのか」と怒鳴りながら迫ってきます。
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それに恐怖して身構えます。
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硬直した私の態度(おそらく無表情)を見た父はさらに怒りを強めて暴れ出します。
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闘うことも逃げることもできず、ここで私は完全にフリーズします。
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そのありようがさらに父の逆鱗に触れ、今度は母に「お前の子育てが悪い」と言って母に暴力を振るい始めます。
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こういった体験から当時の私の身体(神経)はこう学んでいます。
「仏頂面の人が近づいてきたら酷い目に遭う」
身体の記憶の書き換え
本当は脅威が迫ってきているわけではないのに、神経がこう学んでいるため、まるで脅威が眼前にあるような反応が自動的に起こってしまうわけですから、神経システムに「そうじゃないんだよ!」ということを学んでもらう必要がありそうですね。
ではいったいどんなことをすると、ニューロセプションという神経レベルの知覚がそれを学んでくれるでしょうか?
そのポイントは
*心地よさ
*穏やかさ
例えると、寒空の下にある露天風呂に浸かったときのあの感じ。
身体の力が抜けて、ゆったり穏やかになっていくあの感じです。
これは好きなアーティスの歌を聴いてノルとか、お笑い番組を見て笑うといった、若干の興奮を伴ったものとは異なるものです。
小さいものだと、金曜日の仕事を終えて背伸びした瞬間とか、子どもの寝顔を見て気持ちがほっこりした瞬間とか。
「これが正解!」というものがあるわけではないので、「心地よさ」「穏やかさ」を少しずつ探索してみて、自分に合ったものを増やしていくと良いのではないかなと思います。
ちなみに究極は、(小さい子どもであれば、ですが)おかあさんからの抱っこ。
オギャーと泣き叫ぶ瞬間であっても、抱き上げられ、心地よいリズムで揺らされ、優しい声かけをされ。そうやってなだめてもらうことで子どもの覚醒した神経は穏やかに落ち着いていきます。
私たち大人にとって、この「おかあさんの抱っこ」の代わりになるものは何なんでしょうね。
これが見つかればきっと、自分をよりなだめてくれる資源になるののだと思います。