こんにちは。
子育て感情トレーナーの高澤です。
「子どもは褒めたほうがいいですか?」
「叱ったほうがいいですか?」
「どっちが正解かわからない…」
これは保育園や幼稚園などに
セミナー講師の仕事で行ったときに
よく尋ねられる質問の一つです。
これを私は
「褒める・叱る論争」と呼んでいますが、
あなたにもこんなお悩みありますか?
それに付随して
「褒め方がわからない
「叱り方がわからない」
という訴えもよくお聴きします。
子育ては、突然始まる
とても難しくてとても大事な
命と心を育む一大事業です。
それなのに誰も
そのための教育も訓練も受けていません。
指針がないままでは
混乱して当然の話です。
「じゃあどうしたらいい?」
と困ったときに選ばれがちなのが
愛や優しさといった美しい言葉に根差した
*褒める子育て
です。
そりゃそうですよね。
褒めることは大切という前提は
そこかしこにありますし、
大人の私たちも褒められると
嬉しいわけですから、
「そりゃ子育てにもいいよね!」
って話になっても不思議はありません。
もちろん子どもが頑張ったときに
褒めて(認めて)あげることは
自己効力感をあげる上では大切です。
親からの承認をもらえない子どもは
自分を好きにはなれませんから。
そんなこともあって、
「褒める=正義!」
と私も昔は信じていました。
但し今の仕事を始めるまでは。
今はむしろ 褒める一辺倒の子育ての
*弊害、副作用
を非常に危惧しています。
その理由は、生まれ育った家庭において・・・
●虐待体験などなく
●欲求はむしろ満たしてもらってきて
●叱られた経験なんてほぼ皆無で
●代わりに褒められてきた
・・・にもかかわらず
●自己肯定感が低い
●人間関係を自分から築けない
●対人緊張や不安が強い
●実際的な能力が低い
●依存的
●不快耐性が低い (不満を抱えやすい)
などといった傾向によって
生きづらくなっている人たちが
相談の場を訪れてきていたからです。
褒める子育てで育った子どもは
・自己肯定感は高く
・元気で快活
・人とも絆を結べる
というイメージを持っていたので、
援助者としてそんな人たちに
会ったときはとても混乱しました。
しかしその数が増えるにつれ、
「褒める一辺倒の子育ての弊害」の謎
がどんどん解けていきました。
なぜ褒めるだけの子育てによって
彼/彼女たちは生きづらくなったのか?
その理由は
・
・
・
★世の中には褒め100%の居場所なんてない!
から。
詳しく説明します。
人間には人の数だけ
・欲求
・感情
・価値観
が存在します。
その分折り合えなかったり
衝突したりすることは避けられません。
つまり人の中で生きている以上、
すべての人間は
*反目することも
*批判されることも
*嫌悪されることも
*否定されることも
避けられないということです。
(嫌ですけどね・・・)
かのお釈迦さまもこう仰ってます。
「世に謗(そし)られぬ者は居らぬ」と。
子どもが生きていく場が
家庭という閉鎖空間の中だけなら
それでも問題ないかもしれません。
しかし子どもをわが家に
死ぬまで閉じ込めておきたいと
思う親がいるとは思えません。
にもかかわらず
●褒める子育ては正しく
●叱る子育ては正しくない
という価値観が優位であるなら
/
☆子どもは社会の中で生きていく存在
\
という大前提が抜け落ちてはいないでしょうか。
親の大切な仕事の一つに
★子どもを社会に送り出す
というものがあります。
そのためには私たち親(大人)は
*何はやってよくて
*何はしてはいけないのか
*どんなときは自由でよくて
*どんなときには忍耐が必要か
などといったことを子どもの中に
育んでいく義務があります。
褒められるばかりで
叱られることがないなら、
子どもはきっとうれしいですよね。
でも彼/彼女たちが成長するに連れ、
社会の中に身を置く場面が増えるほど、
わが家と異なる「現実」に圧倒されて
生きるのが難しくなっていきます。
家庭の中で
●したくても、
しちゃいけないことはしてはいけない
●したくなくても、
すべきことはしないといけない
●その基本線を外したときには
「行動」を諌められる、 つまり
褒められるのではなく「叱られる」
といった”訓練”を受けていない子どもたちは、
コントロールできない「他者」たちの中で
自分を支えるだけの術も力も持っていません。
また、それに耐える力も低いため、
簡単にドロップアウトすることも
少なくありません。
怖いのは、褒める一辺倒の子育ての弊害は
子どもが幼いときには微塵も見えないこと。
しかし彼/彼女たちが徐々に
社会という「人の中」に身を置いた時、
時間を越えて生きづらさを招く
時限爆弾のようでもあります。
叱るか褒めるか論争の答えは、
それをすることによって
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★自分を頼りにできるか?
★人の中で協力しながら生きていけるか?
がわが子の中に育まれるか否かです。
目先の心地よさだけでなく、
わが子の未来の生きやすさは
私たち親の双肩にかかっています。
*子どもが傷ついたときには癒し
*行為ではなく「最善の意図」を褒め
*誤った行動をしたときには叱る
もちろん全て
“ほどほど“に。
それは何のために?
わが子が
*自分自身に対して
*他者に対して
*生きているこの世界に対して
★信頼感
を持てるようになるために。
ということで
叱り“すぎる“のも問題ですが、
褒め“すぎる“のも同様に問題です。
どちらにせよ
程度が「過ぎる」ときは、
★自分の目的
を自問自答することをお勧めします。
「私は何のために子どもを
褒めすぎる(叱り過ぎる)のだろう?」
「それによって何を得たいんだろう?」
さいごに、褒めすぎる目的がゆめゆめ
●わが子に嫌われないため
にならないようご注意くださいね。