人は誰しも悩むものです。
では悩みとはなんでしょうか?
それはこんなシンプルな仕組みです。
【期待】
↑
↓
【現実】
この
【期待】と【現実】のギャップ
を「悩み」と呼びます。
期待が満たされない状態ですから、
その時には不満を覚えるものです。
今日は対人不安が強い方向けの
セミナー業務だったのですが、
人間関係で感じる「不満」を聞くと
こんな答えが出てきましたよ。
●Aさん
「親が子育てにいちいち口出ししてくる。
それが鬱陶しくてたまらない!」
●Bさん
「夫はいつも文句と批判ばっかり。
口も聞きたくない!」
●Cさん
「相談相手が誰もいない。
ずっと孤立状態でつらい」
ではこの不満(悩み)を解消すべく
どんな行動をしているのか聞いてみました。
●Aさん
親の口出し
↓
言っても変わらないから諦めている
●Bさん
パートナーの文句・否定
↓
言ってもやめないから諦めている
(そして愚痴を友だちに聞いてもらう)
●Cさん
孤立
↓
どうにもならないから何もしていない
(諦めている)
これでは不満は
一切解消されません。
だったらその不満そのものを
解消する行動を選んだほうが
いいはずです。
たとえば・・・
●Aさん
親の口出しに対して
↓
何回口出しされても
毎回毅然と「ノー」で一線を引く
●Bさん
パートナーからの文句・批判に対して
↓
やめてと言う。
聞いてくれないなら別れる
●Cさん
孤立状態に対して
↓
集まりの場に自ら出向く
ところがこんな行動を
誰も取っていないわけです。
不満は募る一方なのに!
しんどさは増すばかりなのに!
それには理由があります。
それは、、、
・
・
・
・
・
/
不安を避けたいから!
\
「不満」は嫌ですね。
きついですね。
でもまだ我慢できます。
では「不安」はどうでしょう?
そのままにしておけるでしょうか?
これがなんとも難しいわけです。
不安にさらされるくらいなら、
不満があっても我慢するほうを
選択する人は少なくありません。
つまりしんどいのは
[不満 < 不安]
と言うことです。
不安を避けるために
不満を我慢するという生き方は
とっても生きづらいものです。
さっきの例だと
こんな不安があったようです。
●Aさん
親に何度口出しされてもその都度
「ノー」で一線を引けばOK!
↓
なのにそれをしないのは
↓
・親から責められること
・拒絶されること
…が不安だから
●Bさん
夫が批判をやめてくれないなら
離縁状でも叩きつけて別れればOK!
↓
なのにそれをしないのは
↓
・一人で生きていくこと
・2度とパートナーが現れないこと
(=ずっとひとりぼっちになること)
・新しい人と出会ってもうまくいかないこと
…が不安だから
●Cさん
孤立がつらいなら
人の集まりに自ら出向けばOK!
↓
なのにそれをしないのは
↓
・誰からも受け入れてもらえないこと
・傷つくような目に遭うこと
…が不安だから
不満と不安を天秤にかけ、
不安が現実化するくらいなら
不満に耐えたほうがマシ・・・
という生き方が選ばれているわけです。
その場では不安を避けられているので
ある意味成功しています。
でもその一方で、
こんなとんでもない副作用が
現れていることにはあまり気づけません。
<不安を避ける副作用>
・望みが満たされず不満が募るばかり
・ストレス対処力が上がらない(成長しない)
・自己肯定感が下がる一方
・
・
・
それよりも何よりも
★不安に対する耐性がダダ下がり
||
つまり不安という
「一番嫌なものを引き寄せてしまう」
というとんでもない副作用!
ということで
ここがターニングポイントです。
不安を避けることで
その場しのぎの安心感を
得ることを優先するのか?
それとも
勇気は必要だけど
不安を乗り越える自分に
なっていくことを優先するのか?
選択は自由です。
但し結末は大きく異なります。
前者を選べば
・繰り返し不安に苛まれ
・不満は解消されず
・むしろ不安傾向は強まり
・自尊感情は下がり
がくっついてきます。
後者を選べば
・自信
・自尊感情
・自由意志で物事を選択
・自然体
といったものが得られます。
あなたは
どちらが欲しいですか?
もちろんオススメは
/
★不安を乗り越える
ことができる自分になる!
\
です!
「そのために何をすればいいの?」
のその前に、、、
まずは本気で不安を乗り越えることに
取り組んでいくか?いかないか?
の決断がとても大切になります。
まずはそこからです。