「なぜ私だけがこんな目に?」 「こんなに頑張ってるのに!」 「誰もわかってくれない…」 「私は誰よりも不幸…」 心の中でしょっちゅう こんなこと呟いてないですか? ・ ・ こんばんは! 自称、子どもの心の代弁者! 子育て感情トレーナーの しにゃ先生こと高澤です。 もし先の呟きが日常茶飯事なら、 下記のチェックリストを読んで 自分を偽ることなく真っ正直に 当てはまるものにチェックしてください。 ↓ ↓ ↓ □なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのかと思う □「〜ならよかったのに」と繰り返し考える □自分は何をやってもうまくいかないと思う □自分は誰かの犠牲になっていると感じる □自分の不幸は特別なもので、誰も理解してくれないと思う □親しくなったと感じても、結局は裏切られることが多いと思う □周囲から見捨てられた気がする □怒りや恨みを表現せずにためこんでいる □他人の幸せを素直に喜べない □自分は精一杯やっている、自分こそ正しいと思う □助けを求めるのが苦手である □相手が自分をすべて理解して受け入れてくれないなら、何もしてくれないのと同じだと思う □誰かの助言をもらうと、それがうまくいかない理由をたくさん考えつく □助けはいらないと断るが、本当に助けてくれないと恨みに思う □誰かが自分をここから救い出してくれたら、と願っている □自分の存在には価値がないのではないかという不安がある □持っているものに感謝するより、持っていないものを嘆いている (ASK選書15 p.13より引用) ・ ・ ・ これは 自己憐憫(じこれんびん) の兆候に気づくための チェックリストです。 自己憐憫とは、 「なんて自分は不幸なんだ」 「なんて可哀想なんだ」 と自分を憐れむ気持ちです。 別名は 悲劇のヒロイン症候群 一見すると 自分を嫌う自己嫌悪に 似ていますが、 自己憐憫は、、、 ・惨めで ・不幸で ・可哀想な自分 に「酔っている」点が 大きく異なります。 両者を見分けるポイントは、 自己批判をしているとき 自己憐憫の人はほぼ間違いなく 「嘆きの涙」を流すこと。 自己嫌悪の人は 純粋に自分を嫌っているので、 嫌悪の表情を浮かべはしても 涙など一ミリも流しません。 自己憐憫の人は 自分ほど不幸な人はおらず、 「なんて可哀想な私」 と憐れむわけです。 自己憐憫が強い人ほど *全部を理解して! *自分を認めて! *特別扱いして! *望む通りにして! *不快な思いをさせないで! という非現実的で 強烈な欲求を持っています。 そのせいで 周り(特に家族など重要他者)が 意に沿わないことをすると、 速攻で 強烈な『被害者意識』 を発動させ、 「わかってくれない!」 「なんで私ばっかり!」 「ひどい!」 と癇癪を起こしては 相手を責める。 直接言わなくても 心のなかで非難する。 これが親子関係で起これば 時に「虐待」と化す。 そしてまた いつもの居場所に戻る。 ↓↓↓ 「なんて惨めな私」 「なんで私だけがこんな目に」 「誰もわかってくれない」 「なんて不幸な人生」 という自己憐憫に。 こんなことやってても 一ミリも幸せになれないし、 むしろ不幸を引き寄せるだけ。 なのになぜ それを延々続けてしまう? なぜなら自己憐憫は、、、 アルコール以上に *強烈な酔い ^^^^^^^^^^ をもたらすから。 被害者意識によって 他者を悪者にすることで 「私は悪くない!」 に安住することができるし、 「悪いあの人」 を遠慮なく攻撃(成敗)して 正義のヒーロー感を感じられるし、 「なんて可哀想な私」 と自分を憐れむほど ナルシスティックに酔えるし、 自己卑下を口にすると 周りの心やさしき人たちが 慰めてくれたりするし。 (つまり特別扱い) こういった強烈なメリットが 自己憐憫を維持どころか 強化しつづけます。 そして困ったことに、 この強烈なメリット(酔い)を 手にしつづけるためには、 「私は不幸!」 であることが必須になります。 だってもしも 幸せにでもなってしまったら、、、 「私は悪くない!」 を手放さないといけないし、 「悪いあの人」 を退治できなくなるし、 「可哀想な私。。。」 に酔うこともできなくなるし、 何より周りから 特別扱いしてもらえなくなる。 ということは これからは自分で自分のことに 取り組まなきゃならなくなる。。。 / そんな不幸は嫌だ! \ ということで、 アルコールや薬物よろしく 自己憐憫に依存し、 どっぷりハマっていくわけです。 だけどこの『依存症』も アルコールやギャンブル同様 いずれデメリットが上回ります。 自己憐憫『依存症』が もたらすデメリットとは何か? それは 周りからめっちゃ、、、 *嫌われ *疎ましがられ *拒絶され *本当に見捨てられる を引き寄せること。 自己憐憫に酔っている本人は、、、 つらさを切々と語っているだけ と思っていたり、 絶対的に正しいことを ただ主張しているだけと 思ったりしているけど、 聴く側からすれば それは聞きたくもない \ただの愚痴!/ 自分の不幸を語るほど 「私を不幸にした悪者」 の悪口を垂れているだけ。 そんなものを 聞きたい人なんて いないわけですよ。 それだけでなく 自己憐憫が強い人ほど \人の痛みに鈍感!/ 自分を可哀想な被害者に 位置付けている以上、 その時の相手は「加害者」に 位置付けられてしまう。 被害者意識は臆面もなく 加害者とみなされた人たちに 「ひどい!」 「あなたのせい!」 と攻撃を向けさせる。 たとえそれが まだ発達途上の 幼い我が子であっても。 そのとき相手が どれほど深く傷ついているかに 気づくことができない。 なぜなら 可哀想なのは相手ではなく 「不幸な私」 なのだから。 こんな人と 一緒に過ごしたい! と思う人はいませんって。 ・ ・ ・ この自己憐憫、 まさに依存症と同じ仕組みですが、 アルコールやギャンブルといった メジャーな依存症以上に 厄介で回復困難と言われています。 大抵の依存症は 周りが非常に困っていても 本人の困り感が当初は薄い。 しかしそれが徐々に 現実的な「困った」が 増えていく。 そしてようやく気づく。 「ああ、自分は依存症なんだ」 「自力ではどうにもできなくなってるんだ」 それが回復の起点に なることも多い。 しかし自己憐憫は、、、 ・めちゃくちゃ困る ・深く傷つく ・嫌でたまらない は周りであって、 *本人は全く困らない! というとんでもない 仕組みを持っている。 だから非常に厄介なんです。 自己憐憫で生きていると ほどなく嫌われる ↓ 「無理!」と感じた 相手から見捨てられる ↓ 見捨てられたことで 「可哀想な私」 をさらに強化させる ↓ これが先のメリットを生む ↓ 以下、無限ループ。。。 これが自分の課題だと 気づくことができない。 だから 白旗を挙げる好機も訪れない とんでもない依存症。 それが自己憐憫なのです。 すごく嫌なことを言いますね。 自分のことを 「哀れな子羊」 に位置付けている間は、 必ず周りの誰かを *ひどく傷つける という現実がこれからも続く ということを ぜひ胸に刻んでください。 それがわが子なら尚更 何倍も深く傷つけてしまう ということを刻んでおいてください。 そしてその痛みを逸らさない。 その先でようやく 自己憐憫に立ち向かえる 「勇気の人」 になっていけますから。