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アダルトチルドレン(AC)専門の心理カウンセラー高澤信也 公式サイト

世代間連鎖の傷を癒すための小さな一歩

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ブログサイト〔毒親卒業トレーニング〕へようこそ

 

タイトルの「卒業」には

①毒親(機能不全家族)の負の影響から卒業

②毒親になる不安やそうなった後悔から卒業

という2つの意味を込めています。

 

このサイトが生きづらさ克服と子育ての両方に役立つことを願っています。


 

こんにちは。カウンセリングオフィス トリフォリの高澤です。

 

最近のネットニュースではネット上の誹謗中傷についての記事が散見されますね。ある方は匿名の第三者たちから日々なされる辛らつな誹謗中傷により傷つき、命を絶つ選択をなさったという記事もありました。なんて悲しいことでしょうか。胸が痛みます。

 

攻撃性の連鎖

当事者ではない見知らぬ第三者が為す、とうてい意見などとは呼べない「誹謗中傷」は、まるである国が何の利害もない他国に突然爆弾を落とすような愚行だと私は思います。

 

実害を受けた方がする行為なら理解できますが、そうでない人が為す攻撃はあまりにも場にそぐわないため、理解に苦しみます。

 

次いで起こることは誹謗中傷した者への攻撃。「正しさ」を盾に「悪者」を成敗したい気持ちは理解できますが、それもまた無関係の第三者が為す攻撃。結局は同じことが繰り返される無益な争いです。

 

でも実害を受けた人なら攻撃して良いのでは?という話になるかと思いますが、たとえ相手が不当なことをしてきたとしても、こちらが攻撃してしまえば争いの火は燃え上がりこそすれ、鎮火することはありません。

 

結局はどれを選んでも戦争という悲しい連鎖は終わりません。

 

 

場にそぐわない怒り

ところで場にそぐわない他者への攻撃はどこから生まれてくるのでしょうか。

 

親子であれ夫婦であれ他の誰かであれ、他者との葛藤に関する話を聞いてきて感じるのは、相手への過度な怒りや攻撃衝動というものはほとんどと言ってよいほど

被害者意識

がそこに横たわっていたということです。

 

被害者意識とは

「悪いのあの人。かわいそうな私」

という認識のことを指します。

 

この視点が「悪いあの人」に向けた攻撃性として発動するケースをこれまで頻繁に見てきました。怒り、攻撃性、責任転嫁、被害者意識。いろんなものが問題に見えませんか?

 

そんなときは場にそぐわない怒り(攻撃性)を探索し続けるとわかることがあります。問題が怒りを統制する力の脆弱さというわけでもなければ、強い攻撃性という問題でもなく、その大元にあるものは

過去の心の痛み

であるということ。

 

見知らぬ第三者が為す理不尽とも言える誹謗中傷も、その毒に触れて強い怒りが湧いてきた人も、いずれも元を辿ればその人自身が何かの刺激によって「過去の心の痛み」が発動した可能性を否定できないと思っています。

 

 

マキさん(仮名)の事例

かつてマキさんからこんな訴えがありました。

 

ルーティンの散歩でいつもすれ違う仲の良い親子を見るたび、「許せない」という思いと、強い怒りが湧いてきて睨みつけてしまう。そのうち文句を言ってしまいそうで怖い…と。

 

このときの怒りは場に合っているでしょうか。全く場に合っていません。

この通りすがりの仲良し親子は「悪い」でしょうか。誹謗中傷を受ける理由はあるでしょうか。もちろんあるはずがありません。

 

ではマキさんはいったい何に反応していたのでしょうか。

探索した結果わかったことは、彼女は幼少期に母親から怒鳴られたり無視されたりすることが多く、通りすがりの仲良し親子とは正反対の環境で育ったため、仲良し親子を見るたびに子ども時代の痛みが吹き出してきて、その痛みが怒りのように感じられていた、という仕組みでした。

 

マキさんがここから脱却するために必要なことは何でしょうか。心もからだと同じで、痛みを感じているときに必要なことは手当てです。心の手当てとはつまり癒しのことです。

 

 

癒しの障害要因

しかし被害者意識が癒しを妨げます。

被害者意識とは「悪いあの人。かわいそうな私」という認識でしたね。

 

「悪いあの人」に拘泥すれば恨みが増すばかり。自分の内側は業火で焼かれてしまいます。

 

一方、「かわいそうな私」に留まりつづけてしまうと自己憐憫に苛まれます。そのままでは自分が無力で卑近な存在にすら感じられてしまうでしょう。

 

いずれも苦しみを肥大させはしても、癒しからは遠ざかるばかりです。

 

 

癒しのスタート

苦しみから抜け出すために、癒しにシフトしていくために、「悪いあの人」でもなく、「かわいそうな私」でもない第三の選択をしたいところです。

 

まずは癒しの起点に立ちましょう。

それは

★自分の「痛み」に気づくこと

 

人は自分の痛みに気づいて初めて手当てをするものです。「悪いあの人」を見て怒りにすり替えても、「かわいそうな私」を見て自己憐憫にすり替えても、傷の痛みはどこにもいきません。むしろ放置されて化膿するだけです。

 

無関係の第三者を誹謗中傷する人であれ、その「悪い人」のことを誹謗中傷する人であれ、日常で場に合わない他者への怒りが湧く人であれ、いずれであっても「自分の痛み」に気づくことが癒しの方向に舵を切り直し、無益な争いを手放せるようになる第一歩です。

 

自分の痛みに気づいたら「今、ここ」でできる癒しに取り組んでください。

 

痛みのルーツを探索するのはもっと後で構いません。でも気づくことは避けないでください。手当てを後回しにしないでください。放置していれば化膿、それすらも放っておけば壊死に至ることだってあるのですから。

 

 

さいごに

被害者意識を手放し、癒しへと進んでいくための流れを最後に簡単にまとめみますね。

 

痛みを癒していくには、、、

①場に合わない自分の怒りに気づく

②怒りの下に隠れている心の痛み(傷つき)に気づく

③癒す

 

ただし注意点。

「悪いあの人」を攻撃することも、「かわいそうな私」に浸ることも、どっちも癒しではないことは忘れないでくださいね。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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