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アダルトチルドレン(AC)専門の心理カウンセラー高澤信也 公式サイト

今日の質問:「どうやって回復したんですか?」|毒親卒業ブログ

今日の質問:「どうやって回復したんですか?」|毒親卒業ブログ

 

こんにちは。アダルトチャイルド支援の高澤です。

 

私は現在は援助職として活動していますが、以前はそれなりに生きづらさを抱えておりました。

 

それをどうにかしたくてなんやかやと試しつづけた結果、お陰さまで今では「生きててよかった!」とか「幸せ!」などと感じながら生きております。

 

何よりもずっとずっとほしかった

“心の穏やかさ”

が得られたときはほんとうに嬉しかったです^^

絶対に「ムリ!」って思っていたんですけどね。

 

クライエントさんやセミナー・講習の受講者さんがたも同じような悩みがあるからでしょうか、

「どうやって回復したんですか?」

と度々尋ねられることがあります。

 

そこで今日はこの質問に個人的主観全開(汗)でお答えしてまいります。

 

 

物事の捉え方・考え方の癖を見直す

レストランの店員さんにちょっと愛想悪くされただけで「舐められた!許さん!」と怒ったり、仏頂面的な人の表情や態度に「酷いことされるんじゃないか」とビビったり、かと思えば人と比べて「自分はダメだ…」と存在を恥じたり…。

 

当時の私はこんなふうでして、表向きは平気そうに、偉そうにと強がってはいましたが、実は内側では感情の大波小波でアップアップなること度々でした_| ̄|○

 

その改善に当時大きく役立ったものが2つあります。

ひとつは〔認知行動療法(CBT)〕

もうひとつは〔論理療法(REBT)〕

 

完璧主義が強烈だった私にはREBTがすごく助けになりました。

 

ところでこの2つには共通点がありまして、ざっくり言うと

苦しみ(感情)は出来事が引き起こしているのではなく、“認知”(思考、イメージ、記憶)によって引き起こされている

という前提です。

 

たとえば店員さんの例で言うと、愛想悪くされたから私は怒っていたわけではなく、その態度に対して「舐められている!」「良くない!」「ちゃんとしろ!」などといった考えが頭の中をよぎり、その考えが刺激となって<怒り>という感情が湧いた、という捉え方です。

 

こういった仕組みに当時はこんな感じで対処していました。

①苦しい感情に気づく

②(少し落ち着いてから)その直前の認知(思考)を探索する

③その認知をバランスのとれた考え方に見直す

(もしくは「これは事実ではなく考え」と線引きする)

 

事実と考えの線引きとは例えば、、、

「舐められた(下に見られた)を事実と思ったけど、それが事実かどうかはさておき、少なくとも自分は“そんな気がした“んだなぁ

という感じです。

 

【認知=事実】と長いこと信じてきたことで余計に生きづらくなっていたことをこの時初めて知りました。

(ほんとうは【認知≠事実】だったわけですけれども)

 

長いこと「性格だからしょうがない」と諦めていたことが、実はただの考え方の癖だと知って、そしてそれに対処する方法があることを知って、それはもうまるで趣味の如く日々セルフヘルプワークをゴリゴリにやりつづけておりました。

 

お陰でストレス対処力は大幅アップ!

日々の暮らしはグッと楽になりました。

 

 

 

鎮まらない「強い情動」に対処する

お陰さまで日常生活はたいへん楽になりました。

感情的な苦しみレベルが中くらいのものまでなら思い悩むこともなくなってくれました。

 

「これでOK!」と思いきや、残念ながらそう簡単にはいかず…。

それは特定の場面で湧いてくる強い感情(情動)がなかなか収まってくれず、ちょっとした行き詰まり状態。

 

特に強度の恥(シェイムといいます)と強い怒りには手を焼き、当時はほかの手立てもなかったためやむを得ず先の方法を繰り返すことでしのいでいましたが、時折出てくるこの地雷みたいなのが続くのかと思うとちょっとしんどくて、どうにかならんのかなとあちこち探索しておりました。

 

そこで得た新しい視点は

〔ゲシュタルト療法〕から

〔再決断療法〕を通って

〔フェルデンクライス・メソッド〕を少し。

 

簡単に言うと

強い情動は言わば身体の反応の集まりなので、身体という「自分の内側」に気づき、探索し、”いい感じ”を増やしていくためのことをすると、その結果内的な穏やかさという心の平安が得られる、、、といった感じです。

 

最近はこれに〔ポリヴェーガル理論〕という視点を加味して活用しておりますが、

①交感神経の覚醒(脳の興奮)をなだめる呼吸法で呼吸を整える

(たとえば「スージングリズムブリージング」という呼吸法)

②「思考」ではなく「身体」に意識を向ける

(「苦悩している時=思考に囚われている時」がほとんどですから)

③エクササイズ等で筋肉の緊張を緩める

(ストレッチなんか簡単でいいですね)

 

…などといったことを日々地味につづけております。

これにはほんとうに助けられました。

 

・「粗末にされた!」と感じた時の激怒反応

・「やられる!」と感じた時の恐怖反応

・「自分に価値はない」と感じた時の毒恥反応

 

変化はゆっくり徐々にではあったものの、人生において実感できるほどに和らぐことがなかった「粗末に扱われることへの恐れ」「虐げられることへの恐れ」「批判されることへの恐れ」が和らいでいくのを実感できたとき、安堵の気持ちから涙が出たこともありました。

 

 

 

自分の育て直し

これで人生はバッチリ!

問題なし!

となるかと思いきや、思いもよらぬ伏兵登場。

 

それは自分の

 

「こうしてほしい」

「こうしないでほしい」

 

人は人にいろんなことを求めがちですが、そもそも「他者は変えられない」が大前提ですから、いくら「自分のほうが正しい」と信じていたとしても、それでも人を変えることはできません。

 

なのにそれを変えようとすれば悩みは一生尽きなくなります。

実際当時の私はここで苦悶しておりました( ̄▽ ̄)

 

ということで私がこの段階で取り組んだことは

*自分の欲を吟味して見直す

というもの。

 

特に怒りを感じている時がチャンスです。

なぜなら怒りは他者に何かを求めているけれど、それが満たされないときに湧いてくる感情だからです。

 

それに対してはこんな(↓)感じのことやってました。

(というか今もやっています)

 

①一秒でも早く怒りに気づく

②怒りの感情を消化する
ⅰ)場を離れる(タイムアウト)
ⅱ)「今、ここ」に集中する(例:2~30秒くらい目についた物の名前を次々言いつづける)
ⅲ)怒りが少し鎮まったら筋緊張を緩めて深呼吸

③自分の求め(欲)を探索する

④求めが過剰になっていることに気づく

⑤現実的な視点から過剰な欲を見直す

 

 

ここで活用した視点は

〔仏教(というかお釈迦様)の教え〕

です。

 

特に「因果の道理」という教え。

 

善因善果

悪因悪果

自因自果

 

良い種を蒔けば良い結果が訪れる。

悪い種を蒔けば悪い結果が訪れる。

結局は自分が蒔いた種が結果として訪れる。

 

といった教えです。

 

先のレストランの店員さんへの怒りの例に照らし合わせてみるとこんな感じです。

 

【原因(私が蒔いた種)】

「(私が望むように)丁寧に接客すべき!」

「(私が望むように)愛想よく振る舞うべき!」

という

【悪い結果】

自分の内側を焼くような怒り

 

「望むように」というところがミソですね。

「人は変えられない」という原理原則に反している以上、一見正しい求めのようであっても、因果の道理からするとこれは「過剰な求め」になってしまうのです。

 

この仕組みで自分を振り返ることは結構ハードでして、慣れるまではとっても、すごく、非常にしんどかったです。

なぜなら「望ましくない出来事」が起こったとき、「どんな良くない種を”私は“蒔いたのだろう?」を振り返らないといけないからです。

 

たとえどんなに「自分は悪くない!正しい!」と思ったとしても、、、なのです。

最近はそこそこ慣れてきましたが、それでもやっぱり大変です。

 

 

 

意外な回復リソース

こんな書き方をすると、まるでセルフヘルプだけでうまくいったように感じられるかもしれませんが、実はそうではなかったりします。

 

むしろこういったワザよりも遥かに私を助けてくれたものは意外なものでした。

それは三人の「人」の存在。

 

一人は高校時代からの親友。

何があってもずっと味方でいてくれた人です。

一方でよくないことをするとまっすぐ叱ってくれた人でもあります。

 

次いでは以前支援してくださったドクター(兼カウンセラー)。

否定も批判もせずじっと話を聴いてくれた方で、私の援助者のモデルです。

慈悲的である一方、逃げ出そうとしたときは厳しく叱ってもくれました。

 

最後は当時のパートナー(現在の妻)。

私がどれほど不適切な言動をしようとも、行為と人格に線引きをしてくれた人。

よろしくない行為には「イヤだ!」を訴えながらも、決して私の存在を「ダメ」とも「イヤ」ともみなさず受け入れ続けてくれた人。

ある意味私を救い出してくれた菩薩のような存在です。

 

 

こういったご縁をいただたいお陰で、人は「人の中」で傷つくことも多いけれど、救われるのも「人の中」なんだなぁと腑に落とすことができました。

 

昔の私が気づくことのなかった意外なリソースとは、知識やスキル以上に、「人」だったんだということです。まあ考えてみれば、同じ哺乳類の仲間だもんなぁ…なんて感じです。

 

しかしそれは身近に存在する人でなくてもいいのかもしれません。

 

私は誠に勝手ながらお釈迦さまやご先祖さまといった「自分を超えた存在」がきっと自分のことを

*守ってくれている

*受け入れてくれている

ってことにしています。

もちろん根拠はないんですけどね。

 

お陰で不快な出来事から肯定的な意味が見出しやすくなりまして、昔なら頭を抱えていたことにもさほど動揺しなくなりました。なんでもやってみるもんだなぁなんて思っております。

 

そんなこんなありまして、今は、現存する人であれ、自分を超えた存在であれ、いずれであろうと

“つながり”

によって私たちは救われるのだろうと信じているところです。

 

 

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