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アダルトチルドレン(AC)専門の心理カウンセラー高澤信也 公式サイト

「絶対にうちの親みたいにはならない!」が子育てを苦しくする理由|AC子育てtips

「絶対にうちの親みたいにはならない!」が子育てを苦しくする理由|AC子育てtips

 

毒親卒業トレーニングブログ管理人&アダルトチルドレン支援カウンセラーの高澤です。

 

その昔、アダルトチルドレンという概念を広く知らしめたと言われる書籍があります。(下記リンク先は改訂版の情報です)

『私は親のようにならない』(クラウディア・ブラック著)

(↑Amazonサイトへジャンプします)

 

このセリフ、子どもの頃に親から望ましくないかかわりをされたことがダメージになり、生きづらさを抱えた方が大人になったとき、あるいは親になったとき、一度は心をよぎる言葉ではないでしょうか。

 

相談に来られる親御さんも同様で

「絶対にうちの親みたいになりたくない!」

「私はあんなひどい親にはならない!」

 

そう固く心に誓っていたはずなのに、気づけば似たような状態になっていた…。

なんとも悲しい連鎖です。

 

心に固く誓ったはずなのに、なぜそうできなくなったのか。

それどころかなぜ決意とは反対方向に向かってしまったのか。

 

そうなったにはそれ相応の理由があるのです。

 

「私も毒親になってしまいました…」

子どもの頃、事あるごとに父親からは「バカ」「クズ」と罵られ、母親からは「私が辛いのはあんたのせい」「あんたさえいなければ」と存在を否定されて育ってきたヒナコさん(仮名)。

 

家が嫌でたまらなかった彼女は早すぎる自立ではありましたが、家を若くして離れました。

その後出会った男性としばらく交際したのち、結婚。

そこからほどなくして妊娠、出産。

 

彼女もほかのAC当事者同様に

「絶対に私は親みたいなことはしない!」

「死んでもあんな親みたいにはならない!」

と固く心に誓っていました。

 

しかし子どもは欲求と感情を全開で訴えてきます。

母はそれに応えていかねばなりません。

 

わが子の日々の訴えにある時応えられなくなった彼女は、気づけば「うちの親」と同じようなことをしていました。

 

膝から崩れ落ちるほどのショックだったことは想像に難くありません。

 

 

子育てする自分を追い詰めるもの

ただでさえ大変な子育て。

自分を慈しみながら、人の手を借りながらでないと到底もたない難事業です。

 

それがあっても日々の肉体的疲労、感情的疲労でてんてこ舞いになるのが子育てです。

 

しかし彼女は自分の大変さを労うこともせず、人に手を借りることもせず、

「ちゃんと子育てしなきゃ!」

「私みたいにしちゃいけない!」

と自分にプレッシャーをかけ続けていました。

 

そこに未回復のAC当事者であればほぼ抱えている

自分で自分の感情をなだめることの困難さ

という課題が拍車をかけます。

 

⚫︎日々わが子の訴えに応えていくだけでも大変

⚫︎その大変さに気づくことができないとさらに大変

⚫︎大変な子育てを頑張っている自分を慈しめないと何倍も大変

⚫︎「つらい」「くるしい」のに人の手を借りることができないと何十倍も大変

⚫︎そんなこんなでいっぱいいっぱいになった自分の感情的動揺(昂った神経、興奮した脳)を自分で落ち着かせることができないと何百倍も大変

 

そしてあるとき、「うちの親」と同じことをしてしまうという、最も避けたかった結末が訪れることがあるのです。

 

だからといって、子どもを罵ったり、存在を否定していいわけはありません。

そんなこと無いに越したことはないのは当然です。

 

でも、親が自分をそこまで追い詰めてしまう理由には、親自身が幼少期に受けたダメージが影響しているという側面も否めません。

 

だからこそ私はこの連鎖を「悪い」とは思えず、「悲しい」と感じるのです。

 

 

「追い詰める」から「慈しむ」へ

こういった事例から見えることは、子育ては「覚悟」や「決意」だけではどうにもならないことがある、ということです。

 

「絶対に親のようにならない!」と誓っても、いえ、そう誓うからこそ、過剰なプレッシャーに囚われ、完璧な子育てを目指しがちになります。

 

しかしそれが結果的に自分を追い詰め、最も避けたかった結末を引き寄せます。

 

したがって「うちの親みたいになりたくない!」からこそ、これまでのパターンを「完璧」とは反対方向に変えていく必要があるのです。

 

まずは何をさておいても

①自分の大変さに気づく

 

「みんなもっとうまくできているのに」「自分だけがうまくやれていない気がする」なんて気がしてしまうと、「自分は弱い」「甘えている」なんて自分に言ってしまう人も少なくないですが、そもそも「しんどい」「たいへん」は人と比べる必要なんてありません。

 

自分で自分のたいへんさをわかってあげなければ、頑張っている自分は報われないではないですか。

 

「私は今しんどいんだ」「つらいんだ」

それを人ごとのごとくそのまま受け入れることができれば。ほんの少しかもしれませんが、心にちょっとした余地ができるものです。

 

・・・・・・・

続いては

②大変さを抱えている自分を慈しむ

 

つらいとき、くるしいとき、周りから何と言ってもらえたら少しは救われますか?

その言葉を自分に言ってあげてもよいのではありませんか?

 

ACの特徴の一つに「辛辣な自己批判」がありますから、自分に慈悲的に接するのは難しいかもしれませんね。

 

とは言っても「しっかりしろ!」「あの親みたいになるぞ!」「子どももお前みたいに苦しむぞ!」なんてセリフを自分に向けてもしんどくなるばかり。

脅かされることはあっても、勇気づけられることはありませんもの。

 

・・・・・・・

その次は

③借りることができる手を借りる

 

子育てとは、たとえると100kgの荷物を一人で持ちつづけるようなもの。

怪力で一瞬持ち上げられたとしても、それを持ち続けることは到底不可能です。

 

だからこそ

「その重荷を一緒に抱えてくれる人」の力を借りること

がいるのです。

 

もしかすると他者の手を借りることは

「したくないこと」

かもしれません。

 

たとえそうであってもこれは

「必要なこと」

ではないでしょうか。

 

家族、友人知人、社会資源…。

力を貸してくれる存在はこの世界には決して少なくありません。

「これは一人で抱えるには重すぎるんだ」と気づいて、力を借りることはきっと大切です。

 

・・・・・・・

そんなプロセスを少しずつ通ったあと

④自分で自分を落ち着かせる力を育てる

 

これは子ども時代から未解決のまま持ち越してきた課題への取り組みです。

 

そもそも自分をなだめる力はどのように育つかと言うと、、、

 

⚫︎ニーズが脅かされると、子どもの身体の内側で反応が起こる(例:空腹感、痛み、不快感)

⚫︎子どもはその内的な感覚に従って訴える(赤ちゃんならオギャー)

⚫︎養育者はこれに気付いて応答する(なだめる)

⚫︎子どもの神経の昂りが鎮まる(落ち着く)

⚫︎鎮まった子どもに影響されて親の昂りも鎮まる

⚫︎そのお陰でさらに子どもの昂りは落ち着く

⚫︎これを繰り返すことで子どもの自分で自分をなだめる力が育っていく

 

機能不全家族、毒親と呼ばれるような環境で育つ子どもはこの親子間の協働作業が著しく不足しているものです。

 

したがって自分で自分をなだめていけるようになるには、このプロセスをやり直す必要があるのです。

 

だからこれは「子育て」ならぬ

*自分育て

 

「子どものこと」ではなく「自分のこと」に取り組むの?

 

一見見当違いのように思われがちですが、これがひいては

*ゆるい子育て

*楽しい子育て

につながっていきますから、意外と捨てたものではないですよ。

 

 

大切なことは『平安の祈り』のなかに

私たち人間には「変えられるもの」と「変えられないもの」の二つがあります。

 

前者は自分。

後者は他者。

 

しかし前者の「自分」であっても

*変えることができる“部分”

*変えることができない“部分”

の二つがあります。

 

子育てを

⚫︎何でも

⚫︎ひとりで

⚫︎理想どおりに

…はさすがに無理すぎるのではないかと。

 

自分にできることとできないことを見分ける。

自分にできることには勇気をもって取り組む。

自分にできないことは潔く「できない」と認めて手を借りる。

 

そうやって互いに支え合いながら生きていけるようになることも、回復のひとつの形ではないかと思うのです。

 

 

【平安の祈り(前段)】

神さま 私にお与えください。

変えられないものを受け入れる落ち着きを。

変えられるものは変えていく勇気を。

そして そのふたつを見分ける賢さを。

 

 

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