こんにちは。 子育て感情トレーナーの しにゃ先生こと高澤です。 今日は先日LINE公式で触れた 『怒り』 の鎮め方をお届けします。 その前に、 LINEで何書いた? をお知らせしなきゃですね。 それはこちらです。 ↓ ↓ ↓ 「子どもが言うこときかなくて ひどく腹が立つ。 怒りがおさまらない」 それで子どもを 怒鳴ったり罵ったり手をあげたり。 しばらくして落ち着くと 自己嫌悪で苦しくなる。 「今度こそ怒らない!」 と決めても同じことの繰り返し。 このままだと 親も子もつらいものです。 ところで、状況は同じでも 怒る人もいれば怒らない人もいる。 湧いた怒りが 強い人もいれば弱い人もいる。 この違いは相手に対する 「べき」の強さ と言われています。 「子は親の言うことを聞くべき!」 という思い込みがある人が怒り、 その「べき」が強い人ほど怒りも強い、と。 確かにその側面はありますが、 怒りをそこそこに留めるのか、 爆発的に強めるのかの違いは、 「べき」にそぐわない相手に対する 「ジャッジ」の程度の違いです。 「親の言うことを聞くべき! 聞かないうちの子は、、、」 に続いて ①がっかり ②嫌い ③おかしい ④許せない ⑤価値がない ⑥人間のクズ ジャッジが エグくなるほど怒りも肥大。 強い怒りは なかなかおさまりませんね。 今夜のメルマガで そのあたりに詳しく触れてみます。 ・ ・ ・ ということでつづきです。 まさに今日のこと、 駐車場に車を駐車してたら 顔見知りのある方に 車のドアをぶつけられましてね。 100-0で責任は 完全に先方さん。 ぶつけたことを 正直に言いに来てくださり、 「修理代払いますから 修理してください」 とも言ってくださったんです。 ぶつけられたけど その真摯な姿勢に 「ありがたいな~」 なんて奥さんと話してました。 で、修理しないといけないので ディーラーに見積概算を 出してもらって修理範囲と 修理代をお伝えしたところ、 「元からの傷もありますよね」 「近くに安い修理工場ありますけど」 「保険切り換えたばかりだから 使いたくないんですよね」 などを始め、 ここには書けないような 「は?何言ってんの?」 が連打で出てくる出てくる。 ざっくり言うと 「全部自分のせいじゃない」 「あなたにも過失がある」 「安いところに修理出してくれ」 「保険使わせないでくれ」 って感じでした。 これ、若かりし頃の私なら 100万パーセントの ブチ切れ案件です。 自分がぶつけといて なんでこっちに譲歩させる! なんで若干 こっちが悪いみたいに言いよる! こっちはディーラーに 「あんまり高くならないような 修理でやってくださいな」 ってまで言ったのに! ふざけんな! このク○が! マジでしばくぞ! / 自分のミスやろがい! テメーのケツくらい 自分で拭かんかい!! このク○が!!! \ てな感じで以前の自分なら ブチ切れたことでしょう。 でも今はぜんぜん違ってて 「確かにそうですよね」 「ディーラー高いですもんね」 「私もぶつけたとき 同じ様に思いましたもの」 と苛立ちすらなく対応。 これ、人間的に成長した! すっかり丸くなった! ってわけじゃないんです。 「自分のミスは 自分で責任負うべき!」 という 『べき』 は何も変わってない。 ただ、その先が違っていて、 以前だったら 「自分のケツも拭けない奴は ただのク○だ!○ズだ!! 生きる価値ないわ!ぼけ!」 ってくらいに ジャッジしてたでしょうね。 それが今回は 「自分のミスは 自分で責任負うべき!」 までは一緒でも、 その先が違ってて、、、 「でもそれができない人もいる」 「合意はできんけど言いたいことはわかる」 「悪気があってしたわけじゃないし」 「どっか譲れるとこないかいな?」 になってました。 これが今朝のLINE公式で お届けした、、、 ↓↓↓ 「べき」があり、 且つそれが強いと 相手への怒りも強まる。 だけどそれ以上に 自分の「べき」に沿わない 相手をどう解釈したかの違いが、 怒りの火を、、、 *ろうそく程度に留めるか *大火事レベルに炎上させるか の違いを生むわけです。 ということで、 わが子だったり ほかの誰かだったりに 強い怒りを覚えたときは、 相手の 『期待外れのあり方』 にどんなジャッジを下したか セルフチェックしてみてください。 たとえば、、、 「自分のミスの責任も 負えない奴はただのク○」 「親の言うこと聞かない うちの子はダメ人間」 「私を粗末に扱う夫は 生きる価値すらない」 「自分を生きづらくした親は 殺されても文句言えない」 ここまではないにしても、 怒りの強さ=ジャッジのエグさ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ であることに違いありません。 自分のジャッジを 見つけ出せたら次の3つを 自問自答してみてください。 ①そのジャッジ(思考)は 論理的?理に適ってる? ②現実はそのジャッジ(思考) どおりになってる? ③そのジャッジ(思考)を 信じることが自分自身の 助けになってる?役立ってる? 以前だったら間違いなく 湧いていたであろう 私のジャッジでこれやってみます。 ●ジャッジ 自分のミスの責任も 負えない奴は人間のク○だ! 【問い①】 ミスの責任は負ったほうがいいけど しないからといって人間の○ズと までは言えない。 そもそも 責任負わない=人間のク○ と言える根拠なんて存在しないし。 【問い②】 「こいつマジで○ズやな~」と 思う人でも自分の責任を 負うことはある。 100%負わないなんてことは さすがにない。 逆に自分の好きな人であっても 責任逃れすることはある。 あ、 そう言う自分も結構やってたかも。。。 【問い③】 メリットはない! 怒りが強まるほどしんどいし、 色んな人に腹立てるほどに 人生つらくなるし。 心臓や脳の血管に ダメージ与えるばかりで 助けにはなってないよね…。 ・ ・ ・ ということで、 火に油のジャッジ(思考)を 再検討してみました。 これやれたら あとはもっと柔らかい 考え方はできないだろうか? 自分を楽にしてあげられる 考え方はないだろうか? と再考してみます。 結果はこんな感じ。 「ミスの責任を負わない人は 相変わらず好きにはなれないし、 自分はそうはなりたくない。 でもそれだけでク○と言うのは さすがに極端だよね。 自分がそうしなきゃいいだけだし、 他人がそうしたときは 『可哀そうな人だな~』 くらいに思ってればいいやん」 こんな感じで ジャッジを緩めていけたら 正比例して怒りも沈静化するもの。 1~2回やって変わるほど ジャッジは甘くないですが、 やっている内に柔らかくなり、 それが ★心の柔らかさ(レジリエンス) も育ててくれるもの。 怒りが湧きやすい人ほど、 怒りの強度が強い人ほど、 怒りの頻度が高い人ほど、 レジリエンスが育つと めっちゃ生きやすくなりますよ。 これは思考トレーニングであり、 自分と向き合うトレーニング。 自分を助けてあげることに これが役立てばうれしい限りです。 ファイト~!!