毒親卒業トレーニングブログ管理人 兼 アダルトチルドレン(特に未回復で子育てしている親)支援の高澤です。
「一体どうしたら私のこの苦しみはなくなるんですか?」
毒親、アダルトチルドレン、機能不全家族。
こういった言葉は自分の苦しみを取り除く方法にたどり着くための「手段」。
目的はこういった“原因と思しきもの”との出会いを通じて「自分を助ける方法」を知ること。
苦しみを取り除く方法を知りたい。
至極当たり前のことだと思います。
毒親、アダルトチルドレン、機能不全家族
先日久しぶりにこういったキーワードを検索してみたところ、2つのびっくりに遭遇しました。
ひとつは、検索キーワードがどの程度検索されているのかが分かるサイトで、「毒親」「機能不全家族」「アダルトチルドレン」という言葉を検索してみたところ、「毒親」でのヒットは大量に、「機能不全家族」はそこそこ、ところが「アダルトチルドレン」はほぼヒットなしだったこと。
それ以上に驚いたのは、現在ではそんなふうにマイナーになった「アダルトチルドレン」という言葉が大辞林(辞書)に載っていたこと。
これには非常に驚きました。
アダルトチルドレンとは
ちなみに大辞林にはこのように掲載されていました。
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アダルトチルドレン【adult children】
①〔adult children of alchoholics〕アルコール依存症の親を持って育った大人。AC。
②親の虐待、不仲、感情抑圧などによる機能不全の家庭で育ち、外傷体験を持った大人。また、その影響を自覚する人。親の問題の責任を負おうとする、自己評価が低い、親密な関係が苦手などの特徴が指摘され、適応上の困難を持ちやすい。AC。
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世にはいろんな定義がありますが、これは非常にシンプルで明快な定義だなあと思います。
ちなみに毒親という言葉はどうなんだろう?と疑問に思って調べましたが、探した限りでは辞書には載っていないようでした。
毒親とは
辞書にはなかったものの、ウィキペディアにはこうありました。
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毒親
毒になる親(どくになるおや、英:toxic parents)は、毒親(どくおや)と略し、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年にスーザン・フォワード(英:Susan Forward)が作った言葉である。学術用語ではない。母の場合は毒母、毒ママ、父の場合は毒父等と称されている。スーザン・フォワードは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親について語られることが多い。主に母親が対象として取り上げられる。毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。
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両者を見てみると、「アダルトチルドレン」という言葉には「影響を受けた本人」にフォーカスが当てられている一方、「毒親」という言葉には「影響を与えた親」にフォーカスが当たっているあたりが大きな違いなのかなと思います。
定義はできたけれど
漠然とした生きづらさ、例えば親密関係の困難さ、自己肯定感の低さ、感情調整の困難さ、欲求の鈍麻etc.の原因がわからない状態で生きていくことはとても大変です。
そんなときに「アダルトチルドレン」「機能不全家族」「毒親」なんて言葉に出会うと、自分の生きづらさの原因にようやくたどり着けたと感じるものです。
(HSP(Highly Sensitive Person)という言葉もその一つかもしれません)
こういった「原因と思しきもの」との出会いによって渇望していた”回復の糸口“への光が感じられ、その瞬間は救われたような、心がスッキリするような感覚を持てることでしょう。
しかし、現在抱えている困難の原因が特定のひとつであることは少ないでしょうし、仮にある特定の原因があったとしても、
原因がわかること
と
回復の術が得られること
が必ずしも一致するわけではありません。
さらに、仮に「親が原因」だったとしても、そのことによって自分が抱えている困難が無くなるわけではありません。
「ようやく理由がわかったのに…」
「それなのにどうすればいいかがわからない…」
私も昔ここで大きくつまずきました。
多くのクライエントさんからもこの声を聞いてきました。
回復の術を探す旅
「どうしたら自分の苦しみが取り除けるのだろう?」
「どうしたもっと穏やか気持ちで生きていけるのだろう?」
20数年前の私はこの問いの答えを必死で探していました。
そしてそれらしきものを見つけるたびに片っ端から取り組みました。
病院受診と服薬(内科→外科→心療内科→脳神経外科‥)、鍼灸などの東洋医学、自己啓発、精神科医によるカウンセリング、心理療法、(問題解決技法としての)仏教、などなど。
あと、ここだけの秘密ですが、真冬に滝行を1回、護摩行を1回、火渡りの行を1回なんてことも経験済みだったりします。
今から考えるとかなりとっ散らかった感じで動いていましたが、ともあれこういったことでそこそこ落ち着くことができました。特に個人的には心理療法と仏教のお陰でかなり苦しい感じを取り除くことができました。
しかしこれだけやってもどうしても消えなかった苦があります。
①人に対する「安全な感じ」の持ちにくさ(目が合っただけで攻撃される気がして自動的に身体が警戒モードになる。ある時は怯え、ある時は激怒し)
・
②漠然と自分という存在に対して感じる恥の感覚(成果を上げても称賛されても根っこではくすぶっている「役立たず」な感覚)
・
③自分が「今ここ」に存在しているという実感の乏しさ(自分と外界が見えないヴェールで隔てられている違和感)
・
④原因不明の激痛が2つ。ひとつは右肩から腕にかけて電撃が走る原因不明の疼痛(10歳のある時突然起こった激痛で日に何回も起こる)。もうひとつは月に数回起こるお腹の激痛(トイレで気絶することもしばしば)
こういった苦しみはすべては別々の問題と捉えていましたが、いずれもトラウマの影響の可能性が高いと知ったのはかなり後になってからのことでした。
①は交感神経の過覚醒による「闘うか逃げるか」反応
②はトラウマにはつきもののシェイム(存在の恥)
③は背側迷走神経系による「凍りつき」(解離)反応
④はトラウマによる免疫系や内分泌系へのダメージの影響
まさか子ども時代のトラウマ体験が、自分の神経系、免疫系、内分泌系にダメージを与えていたなんて、そりゃ気づけるはずもないですね。
「どうすれば心穏やかになれますか?」
この問いへの答えをずっと追い求め、あっちこっちと迷走しつづけ、ようやく手に入れたものが
*“身体”に安心安全な感じを取り戻すこと
という視点でした。
自分の苦しみを取り除くための答えは、機能不全家族育ちや毒親育ちといったアダルトチルドレン当事者が生きづらくなった仕組みの中にありました。
当事者は幼少期に逆境的な体験に曝露
↓
他者とのつながりや穏やかさを感じる“神経システム”の発達が阻害
↓
安全な感覚の感じにくさ
↓
ある人は「闘争/逃走」でサバイバルし、またある人は「シャットダウン/凍りつき」でサバイバルする
↓
人とつながることが困難、認知の偏り、感情調整が困難、反応的行動、原因不明の身体症状…など多岐にわたる影響
↓
自分を落ち着かせるために嗜癖的な対処
(例:アルコール、薬物、ギャンブル、過食、性行為、ゲームやネット、特定の他者へのしがみつき等。ポイントはいずれも「過剰」)
↓
困難はまだつづく…
ACであれ毒親育ちであれ、逆境的な体験がもたらした最大の負の影響が「神経の発達の阻害」であったのなら、その神経を育て直すことができれば、その先に起こる様々な困難や障害も取り除くことができるということになります。
回復のコア
ではどうやって阻害された神経システムを育て直すことができるか。
それは
身体を落ち着かせてあげること
から始めます。
身体に「いい感じ」をインストールする
と言ってもいいかもしれません。
まずはすでに自分の助けになっている「いい感じ」の材料を明確にする。
落ち着ける場所、落ち着けること、落ち着ける人。
すでにもっている資源(リソース)をフル活用します。
自分を観察することも大切です。
ふだんの自分の神経の覚醒状態に気づくこと。
安全な場で必要以上に昂ってはいないか。
あるいは反対に下がりすぎてはいないか。
観察して気づくだけで十分です。
観察しているうちに自分の身体の繊細な反応に気づきやすくなります。
身体は今どんな感じ?内側にある内臓の感覚はどんな感じ?
最初はなかなか気づきにくいものですが、この感覚が私たちを安心安全に導いてくれる合図になります。
そしてまた最初に戻ります。
徹底して「自分の身体」が安心安全を感じられることに取り組む。
心地よい物に触れる、心地よい韻律を聴く、心地よい場所に行く、心地よいことをする。そして心地よい人(存在)とふれあい、遊ぶ。
ほかにも筋肉の緊張を緩めたり、心地よいリズムの呼吸をしたり。
何か特別のことみたいに書いていますが、いずれも子どもたちが自然にやっていることばかりです。
子どもが元々持っている力の中に、実は私たちが本質的に癒される術が隠されていたわけです。
私たち大人がこういったことができなくなってしまったのは、自分のニーズを「身体」ではなく「頭(思考)」で判断するようになってしまったから。
これはたとえると、音楽を視覚で聞こうとしている、風景を嗅覚で見ようとしている、、、そんな感じでしょうか。
プログラム参加者のSさんより
認知(思考)や行動を変えることで生きやすさを得ようと頑張っても、思うように楽にならないと困っている方にとっては、身体にフォーカスを当てることが突破口になると思います。
以下に掲載したメールをくださったSさんも同様でした。
身体の反応は結構な状態だったにもかかわらず、その自分の身体の反応にあまり気づかないままサバイバルしてきたSさん。
それが今回身体にフォーカスを当てることによって大きな変化を得られたと報告してくださいました。(下記メールはご本人の許可を得て掲載しています)
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高澤先生
おはようございます。
前回のプログラム以降、自分の体がいかに力みまくっているかがわ
自分の心よりも、体がどんな
身体の反応に目を向けるようになってか
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トラウマを受けた人の多くが筋肉の鎧でサバイバルしてきました。
子ども時代のわが家ではそうでないと生き延びることができなかったからです。
でも「今、ここ」に脅威がないのであれば、その鎧は脱いでも大丈夫なはず。
しかしそれを脱ぐのは簡単ではありません。
だからこそ人の手を借りて取り組むことが大切なんだと思います。
自力と他力の両方を使って、身体を内と外から落ち着かせてあげる。
そこを通って初めて真の「安心安全」が感じられるのではないかと思います。
Sさん然り、私自身然りです。