「私は価値がない」「ダメ人間」という思い込みを『セルフコンパッション』で解く
【記事を書いた人】
カウンセリングオフィス トリフォリ 高澤信也 福岡で子育てと生きづらさ克服をお手伝いしています。公認心理師。 |
「そもそも私はダメな人間なんです。なんの価値もありません」
残念なことにこういったセリフをこれまでに数え切れないほど聞いてきました。
「行為・行動」にとどまらず、自分で自分の「人格」「存在」をも否定したとき、私たちのエネルギーは大きく損なわれます。それはときに生きる気力を失うほどに。
ここを突破することなく「生きやすさ」にたどり着くことは困難です。
そこで今回はそこを突破させてくれる強力な策をズバッとお伝えします。
それは、、、
★自己慈悲(セルフコンパッション)
これは
「私は○○(能力、容姿、お金、地位、学歴、ブランド品etc.)があるから、私という人間は◎」
といった条件付きの自己評価とは大きく異なります。
自己評価はその○○がある内はいいですが、それがないとあっという間に「私は××」に陥ります。したがって○○頼みは容易に依存と化し、執着を生む危険性をはらんでいます。
一方、自己慈悲は自分を○とか×とかそもそもジャッジしません。現実の自分がどれほど不完全であろうと、不十分であろうと、その自分を慈しむというかかわり。
自己慈悲が育てば育つほど、自己肯定感(自尊感情)は大輪の花の如く大きく開きます。なぜなら自分が自分の最大の味方になるのですから。なんと力強いことでしょうか。
ここでは
・自己非難がなぜ問題なのか
・自己慈悲とは何か
・どうすれば自分に慈悲を与えられるのか
それを詳しくお伝えします。
自己非難が生む苦しみ
カウンセリングで
「何のために自分を責めるの?」
を時折尋ねます。
回答の大半は
「自分のお尻を叩いて頑張らせること」
お尻を叩く目的は
「いま以上に自分をダメ人間にしないため」
つまりハッパをかけて自分を頑張らせているからまだ今くらいの“マシな”状態にあるだけで、それをやめたら「ほんとうのダメな自分」に成り下がってしまう、、、という認識です。
ここで話を終わらせると「なるほどね」となるかもしれません。
しかし話をここでは終わらせることはできません。なぜならこの頑張りが自分をさらに苦しめる悪循環を引き出しているからです。
自己非難の悪循環
「私には価値がない」「ダメ人間」は表面的な考え方の癖を超えた信念です。信念はその人にとってのほぼ事実ですので、何もしなければ変わることがありません。
歩行者信号が青なら渡るし、赤なら止まる。これを私たちは自動でやっていますが、信念もこれと同じで、私たちを自動で動かし続けるのです。
【メモ】
これは認知心理学でいうところの「スキーマ」の仕組みによるものです。自分でも気づけないままオートマティックに私たちを動かすメインプログラムです。
ところで、たとえばある方が「私はダメな人間」「価値がない」という信念を持っているとします。その場合、対処は概ね次の3つのうちのどれかです。
●対処①
その信念を鵜呑みにする
↓
結果「しょせん自分はダメ」を強める
●対処②
正反対に「ダメじゃない!」と完璧を目指す
(完璧は到達不能な目標。つまりどれだけできても「失敗」)
↓
結果「やっぱり自分はダメ」を強める
●対処③
「私はダメ人間」と感じる場や機会を避ける
↓
回避している自分を「つくづくダメだ」と強める
この信念が厄介なのは、スタートもゴールも「私はダメ」に設定されており、何がどうなっても結局は「私はダメ」から出発して「私はダメ」にたどり着く、という仕組みがあることです。
したがって「なぜダメだと思う?」という問いに対しても、「ダメな私」を証明するための考えしか出てきません。相反する考えは却下されてしまうのです。
認知的不協和理論
この難儀な仕組みは「認知的不協和理論」でも説明できるものです。
たとえば人が心から褒めてくれたとします。しかしこの出来事は「自分はダメ」という認知(考え)と不一致を起こします。
不一致のままでは葛藤が起こりますので、それを解消する必要に迫られます。
そのときの方策は二つ。
一つは出来事という事実に基づいて自分の認知を修正する
もう一つは認知を「正しい」とみなすために事実を歪曲する
生きづらさが続いているなら、選ばれているものはたいてい後者です。
たとえ人からどれだけ認められたところで、、、
「何か裏(狙い)があって言っている」
「私がこれ以上ダメにならないよう気を遣ってくれただけ」
と事実を歪曲することは珍しくありません。
自分の考えを「正しい」と信じていても、それと異なる事実が人生ではたびたび起こります。
そのとき客観的事実に基づいて考えが修正されればよいのですが、事実を受け入れる代わりに歪曲して無理やり自分の考えに合わせるやり方を続けるほど、生きづらさはより維持・強化されていくのです。
認知的不協和の観点からすると、「自分はダメというわけでもない。それなりにOK」ということを示す事実がどれだけ出てきたところで、結局は「私はダメ」を正しいと見なすための考えしか出てきません。
まるで後出しジャンケンみたいな仕組みなのです。
自己非難の輸入元は?
「わたし/ぼくはだめなこどもです。ごめんなさい」なんてへんてこりんなことを信じて生まれてくる赤ちゃんは世界中どこを探してもいません。
つまりどこかで誤って信じ込んでしまっているということになります。それはいったいいつ?どこで?でしょうか。
まず考えられるのは家庭。これはわかりやすいかと思います。
・家族(特に親)による子どもへの否定・批判
・子どもとの情緒的交流が希薄(子どもへの関心・関与が少ない)
・子どもを他者と比較して貶める
次いで学校。ここもそれなりに影響はあると思います。
・教師からのダメ出し
・周りの生徒たちからの蔑みや疎外
・友だち不在で孤立
・周りみたいには「できない自分」に直面
ほかには社会的要因。社会的思い込みと言ってもいいかと思います。
・男の子は男らしく・女の子は女らしく
・多数派と価値観や感じ方が異なっている
・期待に応えること=「良いこと」という価値観
・メディアから流れてくる情報による刷り込み
ほかにもあるのでしょうが、こういったところから自己非難を輸入している可能性は高いのではないでしょうか。
では輸入元の問題か?ということになりますが、悲劇は
「誤って信じ込んだ信念」を覆す機会がなかったこと
ではないかと思うのです。
のちの人生において心から信頼できる友人、ありのままを共有できるパートナー、良き方向に導いてくれるメンターといった「出会い」さえあれば私たちは救われるものです。
もしそれがなかったのであれば、それはとても不幸なことだと言わざるを得ません。
とはいえ、まあ、贅沢を言わせていただければ、、、ですが、子ども時代にかかわった大人たち(一番は親、あとは教師など周りの大人)が、自己非難という致命的なものを子どもに刷り込まないでいてくれたらどれほどよかっただろうか、、、と言いたくもなりますが。
自己非難から自己慈悲へ
自己慈悲とは
「○○がある自分はOK」
という自己評価とは違うのは先述の通りです。
不完全な自分、理想とかけ離れた自分、努力してもできないこと多々の自分、いくら頑張っても失敗する自分、、、。
そんな「○○ではない自分」に慈しみを与えることが自己慈悲です。
自己慈悲をセルフでおこなうためのセルフコンパッションや、援助者が心理療法として提供するコンパッション・フォーカスト・セラピーに関する書籍が近年ようやく増えてきました。
次の3冊は自己慈悲の実践で個人的に役に立ったと感じたものです。自己非難による恥に苦しんでいる方はぜひ一度ご覧になってみてください。
【参考図書】
①『セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる』
Amazon.co.jpによる詳細はこちら
②『マインドフル・セルフ・コンパッション ワークブック』
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③『トラウマへのセルフ・コンパッション』
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ついでにもう1冊ご紹介。
下記の書籍はいわゆるセルフコンパッションそのもののではなく、ACTという心理療法をふだん使いするための本です。これも自分を幸せにしていくための大切なことが書かれていますので、よかったらご覧になってみてください。
④『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』
Amazon.co.jpによる詳細はこちら
最初の一歩
ではここでは今日からでもできる自己慈悲をお伝えします。
但し、人によっては心理的抵抗が出てくることもあります。そんなときは、とりあえず見るだけ見て、良きタイミングが訪れたら使ってみよう、くらいのスタンスでお読みいただければ幸いです。
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●自己慈悲エクササイズ①
人生の中で「私をもっとも愛してくれた人」とあなたが感じている相手は誰ですか?
その人はあなたが困ったり苦しんだりしたとき、どのように接してくれましたか?
どんな言葉をかけてくれましたか?
その瞬間をありありと思い出してみてください。
●自己慈悲エクササイズ②
もしあなたに魔法が使えるとして、その魔法で親を「理想の親」に変化させることができたと想像してみてください。
あなたが苦しんでいるとき、つらいとき、その「理想の親」はあなたに何と言ってくれるでしょうか?
それをありありと想像してみてください。
●自己慈悲エクササイ③(オプション)
エクササイズ①も②も難しかった方は、自分がすごく苦しかったときを思い出し、そして自分の本音にこう問いかけてみてください。
「私はおかあさん(おとうさん)になんて言ってもらいたかったんだろう?なんと言ってもらえたら心が穏やかになっただろう?」
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親に対する負の感情が強い方は、きっとこのエクササイズは「したくないこと」でしょう。もしそうであるなら、だからこそ敢えてここでお伝えしておきたいことがあります。
それは、親への負の感情が強ければ強いほど、、、
*「してもらいたかった」想いが強く残っている
ということ
だからこそ先のオプションのエクササイズをやる意味があるのではないかと思っています。自分の本音と向き合う作業と言えるかもしれません。
とはいえ今すぐやるべき、ということでもありません。あなたにとっての良きタイミングが訪れたら、その時にトライしてみてもいいかもしれません。
さいごに
自己非難を突破する秘策。
ひとつは
*自己慈悲
ですが、それに負けずとも劣らないものがあります。
それは
*感謝
です。
「有り難い」という感謝の念は
★「私はすでに多くのものをもらっている」
という気づきあって初めて感じる感情。
私たち人間は、多くをいただくことができている自分自身を非難、否定することはありません。
したがって自己慈悲とともに感謝の念が育てば自ずと
「私は価値がない」
「ダメな人間」
という信念は薄らいでいきますよ。
これがあなたにとっての生きやすさのヒントになることを願っています。