こんにちは。
子育て感情トレーナーの高澤です。
あなたはこれまでに
カウンセリングやセラピーなどを
利用した経験はありますか?
もしくはその予定がありますか?
そういったものを受ければ・・・
誰もが元気になっていく!
なりたい自分になっていく!
・
・
・
となるかと言うと
必ずしもそうではないんです。
カウンセラーってどんな人間?
私はかつて2人のカウンセラーさんに
お世話になったことがあります。
一人目の先生はとてもやさしくて、
私が迷惑をかけたときでも笑って
「大丈夫」と言ってくれる方でした。
穏やかで優しくていつも笑顔の
The カウンセラー!
なイメージにぴったりでした。
とても気分的にはよかったのですが、
なぜか自分の成長はほとんど感じられず、
被害者意識が強まった記憶があります。
もう一人の先生も
やさしく話を聴いてくれました。
でも大きな違いがあって、
*やるべきことはやるよう直言される
*自分助けから逃げたときには叱られる
といった厳しい一面がありましたよ。
で、どっちが助けになったかと言うと、
圧倒的に後者の先生。
カウンセラーのイメージに
ぴったりの前者の先生では
回復できなかったのです。
変化・成長を左右するもの
ところで、当所ではコロナ以前は
グループセラピーという名の
グループ活動をやっていました。
そこでは
・同じことを
・同じ時間に
・同じだけ
共有していたにもかかわらず、
変化、成長の度合いが人によって
大きく異なっていました。
理由は何だと思いますか?
これはマンツーマンのカウンセリングで
変化成長しやすい人・しにくい人
にも共通している要因です。
それは
:
:
:
★取り組む姿勢が主体的か、依存的か
の違いです。
先の前者の先生に
お世話になっているときの私は、
きっちり依存的だったと思います(汗)
「とにかくこのつらい状態を
先生の力でどうにかしてほしい!」
そんな思いでいっぱいでした。
解決したいはずの当事者が
依存的な態度に陥ってしまうと、
こんな悪循環が起こりがちです。
・苦しい
↓
・どうにかしたい!
↓
※カウンセリングを受ける
↓
・アドバイスをもらう
↓
・だけどあまり実践しない
↓
・変化しない
↓
・苦しみは続く
↓
・「ここは役に立たない!」
↓
・ほかのカウンセラーを探す
↓
・上記の※に戻る
こうやって順序だてて書くと
効果が出ないのは一目瞭然ですよね。
ですが、かつての私同様、
不思議なことにこの悪循環を
繰り返す方はゼロではありません。
この悪循環にはそれを維持する
見えない仕組み
が隠れています。
それにカウンセラーもクライエントも
気づかないままだと、この悪循環は
繰り返されてしまいます。
その隠れている仕組みとは・・・
↓
↓
↓
*自分の苦しみを
「人にどうにかしてもらいたい!」
といった依存的な姿勢です。
たとえば登山。
山頂まで登ることができれば
ものすごい達成感を得たり、
観たことのない美しい景色を
観たりすることができます。
とてもいい感じ!
だからといってそこまでの道のりが
楽だったかと言うときっとそうでは
ないはずです。
・登山の知識習得
・現地の下調べ
・体力トレーニング
・道具の準備
・平地での練習
などなどやることはたくさんです。
そしてそのどれもが
*面倒くさくて
*しんどい
ことばかり。
「もっと楽だったらいいのに!」
「いっそ誰かが代わりに
全部やってくれたらいいのに!」
なんて愚痴の一つも
言いたくなるでしょうね。
だけど、いずれも
登頂という「目的」
を達成するには必要なものばかり。
「しんどい」
「面倒くさい」
を通って初めて、、、
登頂という
★ほんとうに欲しい結果
を手に入れることができます。
自分がやるしかないことを
人が代わりにやってくれたところで、
知識も体力も技術も何一つ得られません。
カウンセリングも同じです。
得たい結果を得るためには、
必要な取り組み
は決して避けることはできません。
なんて当たり前の話!
って思いませんか?
ですが不思議なことに
カウンセリングといった特殊な場では
こんなことが意外と起こりがちなのです。
カウンセラー側の課題
言わばこれは「落とし穴」。
実はクライエント側だけでなく、
カウンセラー側も落ちている人が結構います。
実際に私の周りにもいますし(汗)
それはこんな悪循環です。
・クライエントが苦しんでいる
↓
・「何とかしてあげなきゃ!」
↓
・本人がやるべき課題を肩代わり
↓
・しかしそれは本人の代わりに
登山の準備をしているような
意味不明の行為
↓
・クライエントは登山できる状態にならない
(=自分を変化・成長させることができない)
↓
・苦しみは続く
↓
・さらにカウンセラーは
「助けてあげなきゃ!」を強化する
↓
・クライエントはますます
「助けてもらわなきゃ!」に陥る
ここに変化成長が訪れる余地は皆無です。
カウンセリングは虚業
カウンセリングは衣食住や医療といった
「それがないと生きていけないもの」
とは異なり、、、
「本来は無くてもいいもの」
です。
前者を「実業」
後者を「虚業」
と呼びます。
その虚業にわざわざ時間やお金や
労力といった大切なものをかけるのが
カウンセリングやセラピー。
だからこそ
*主体的に
*本気で
取り組むことが欠かせません。
「お金さえ払えば
何とかしてくれる!」
といった場ではありません。
その前提に気づかないままに
カウンセリングを使い始めると、
早晩行き詰まる可能性が出てきます。
双方が自分の役割を担う
上述のような状態、つまり、、、
・クライエントの姿勢は依存的
・カウンセラーの姿勢は過保護な親的
なままではどれだけの時間、
お金、労力を費やしたとしても
欲しい結果は決して得られません。
むしろ両者が協力して
苦しみを悪化させている
と言っていいかもしれません。
繰り返しになりますが、
カウンセリングとは生きる上で
必須ではない「虚業」です。
そこに大切なものをかけて
取り組む行為なのですから、
*主体性
*本気
が必須です。
これがクライエント側の課題です。
一方カウンセラー側の課題は、
*本人がやるべき課題に手出ししないこと
わが子が工作が苦手だからといって、
毎回親が代わりに作ってあげたところで
その子の物づくりの力は一ミリも増えません。
それどころか
「やってほしい!」
という依存欲求を強めかねません。
それではその子は
何一つ成長できないままです。
カウンセラー側は(親も)決して
このような過ちを犯してはならない
と強く思っています。
さらにその共依存的なあり方を
・愛情
・やさしさ
・思いやり
・共感
・寄り添い
といった美しい言葉、
しかし虚飾の言葉でクライエントの
成長を阻むべきではない!
そう強くも思っています。
ゲシュタルトの祈り
クライエント側は自らを助けるために
*主体性
*本気
をもって必要なことに取り組む。
カウンセラー側は
クライエントが主体的であれるよう
*クライエントの肩代わりをしない
(境界線を侵さない)
ことを死守する。
ここがカウンセリングを通じて
欲しい結果が出るか否かの違いを
左右しています。
今日は最後にその
原理原則
を如実に示してくれる詩をご紹介します。
支援者となって20年。
今もなお私を戒めてくれる
大切な言葉です。
+ゲシュタルトの祈り+
私は私のことをやり
あなたはあなたのことをやる。
私は
あなたの期待に応えるために
この世にいるわけではない。
あなたは
私の期待に応えるために
この世にいるわけではない。
あなたはあなた。
私は私。
もし偶然にお互いが出会えれば
それは素晴らしいこと。
もし出会わなければ
それをそれでしかたがないこと。
・・・・・・・・・・・・
当カウンセリングでは
★自分で自分の面倒を見れるようになること
を一番の目的に据えています。
それは生きる力となって自分自身を、
そしてわが子の育ちもこれからずっと
助けてくれますから。