今日は平和記念日。 79年前に広島に 原爆が投下された日。 ・ ・ こんにちは。 自称、子どもの心の代弁者! 子育て感情トレーナーの しにゃ先生こと高澤です。 息子が保育園の時から 男旅なるものを ずっと続けてきました。 年一回の 私と息子だけの二人旅。 思春期真っ只中の息子と 今年訪れた先は広島でした。 そこで目にした原爆ドームは 当たり前だけどとてもリアルで、 戦争や爆弾が招いた悲劇に 胸が痛みました。 振り返れば私は 幼稚園児の頃にはすでに 争い大嫌い! 平和がいい! って強く望んでいたことを はっきり覚えています。 私は戦争というものを 記録でしか見たことがなく、 その悲惨さをリアルには 知りません。 じゃあなんで そんな幼子がそこまで? だって、 戦争を起こしているのは 国と国だけじゃないですよね。 職場でも地域でも起こる。 それ以上に家庭では 日々争いが起こっています。 個々人の心の中に 争いの火種がある限り、 戦争もきっと無くならない… そんな思いがあります。 例えば ・機能不全家族 ・毒親 のもとで育った子どもたち。 他の誰よりも 争いを忌み嫌ってきたはず。 心の平安を切望してきたはず。 なのにいざ大人になると、 そして親になると、 その自分が家庭の中で 戦争を起こしている矛盾。 平和を切望しているはずの 人間が戦争を起こしている。 これって不思議じゃないですか? 一般論でよく言われるのが、 「自分がされて嫌だったことを 普通は人にはしないよね!」 という常識論。 確かにそうあるべきだし、 そうあってほしいと願います。 だけど現実は そうじゃないことが大半。 いったいなぜそんなことに? それは、 国と国の戦争だって、 夫婦や親子間の争いだって、 結局は争いの火種が 自分の中にあるから起こる。 つまり、 いくら争いを忌み嫌っても、 自分の中にその火種がある限り 戦争は終わらないんです。 ではその火種とは何? それが、、、 ・ ・ ・ ============= 人は 「こうであってほしい!」 「こうあってほしくない!」 という『欲しがる心』 ============= ・もっと優しくしてほしい ・尊重してほしい ・窮状を理解してほしい ・言うことを聞いてほしい あるいは ・不快な目に遭いたくない ・嫌われたくない ・責められたくない ・バカにされたくない こんな「欲しい」が 心の中に渦巻いている。 だけどその多くは得られない。 なぜなら私たちは ・他者を ・世界を ・人生を そして ・自分自身を 思い通りに動かせる 超能力を持っていないから。 欲しいものが 望み通りに得られないのは 世の常であるにも関わらず、 それを諦めきれなくて 求め続ける。 しかしそれは 得られない。 するとそこで 「怒り」 が湧いてくる。 思い通りにならない他者に、 思い通りにならない人生に、 思い通りにならない自分に、 怒りの炎を向ける。 他者に向ければ恨みが、 人生に向ければ絶望が、 自分に向ければ存在の恥が、 自分の心の内側に渦巻く。 そう、 もうこの時点で 戦争は起こっています。 続いて 心の中の戦禍に苦しみ、 それをどうにかしたくなる。 そこで選ばれる手立てが 仏教で言うところの 『愚痴』 これは不平不満を口にする 愚痴の意味だけではなく、 道理に合わない行為 ^^^^^^^^^^^^^^ も含まれています。 例えば人は誰しも 他者の期待に100%応えられない。 100歩譲って 特定の誰かに期待には 100%応えられたとしても、 その人とは異なる期待を持つ 別の人にとっては 全く期待に応えられていない。 そんなことは土台 不可能なわけです。 しかし私たちは 無意識のうちにこれを 他者に求めること多々。 「なんで分かってくれない!」 「なんで尊重してくれない!」 「なんで優先してくれない!」 それをくれない相手を 悪者に見立てては 自己憐憫に陥り、、、 ・相手を非難する ・変わることを要求する すでに私たちの心の中で 戦争は起こっています。 このままではいくら声高に 「世界に平和を!」 「いじめ撲滅!」 「SNSから誹謗中傷を廃絶!」 「家庭を安全基地に!」 なんて叫んだところで ただのスローガン。 争いがゼロになることはない。 じゃあ何から始めればいい? その答えはもう 出てますよね。 そうです。 自分の心の内側にある 「争いの火種」 を消していくことからです。 他者に 社会に 人生に そして 自分自身に 求めすぎる心を 持っている自分に気づく。 これが戦争の火種だと気づく。 そしてそれが相手ではなく 自分の内側にあることに気づく。 気づけるようになったら、 まずは自分自身に戦争を ふっかけることからやめていく。 思い通りではない、 理想通りではない、 その自分に対して 「バカ」 「価値がない」 「嫌われ者」 「役立たず」 などといったミサイルを 自分に対して撃ち込むことを やめていく。 でも慣れているから きっとまた撃ちたくなる。 撃ちたくなったら気づく。 このミサイルの動力源は / 理想通りの自分じゃなきゃヤだ! この自分はヤだ! \ という自分の中に巣食っている 『欲しがりすぎる心』 であることに気づく。 このプロセスは 心理トレーニングを超えて むしろ修行に近いかもです。 だけど この通り道の先に ★真の心の平安 が待っています。 自分の心の内側にあった 戦争の火種が小さくなるほど、 *他者に対して *世界に対して *この人生に対して 心のミサイル発射が どんどん減っていく。 こうしてようやく 平和が広がっていく。 こんなふうになれたら とっても素敵と思いませんか? ・ ・ ・ 争いの火種は常に 自分の中にある。 平和記念日の今日、 それを共に心に刻めたら とてもうれしいです。