【記事を書いた人】
カウンセリングオフィス トリフォリ 高澤信也 福岡で子育てと生きづらさ克服をお手伝いしています。公認心理師。 |
目次
「見捨てられ不安」という生きづらさを克服するヒント
アダルトチルドレンの特徴を示すランドリーリスト(問題リスト)のなかに「私たちは見捨てられることを極度に恐れる〜」という一節があります。
これが見捨てられ不安です。
この不安が強いほど、人から「見捨てられない努力」にエネルギーを注ぎがちになります。
●いつでもニコニコの「いい人」
●「ノー」と言いたくても言わない
●相手の期待を読み取ってそれに応えようと尽力する
●周りが喜びそうなことを先読みしておこなう
・・・
嫌われたくない気持ちが強いのであれば、こんなことを頑張りたくもなりますよね。どう考えても嫌われる可能性はなさそうですから。
しかし実はこれが正反対。見捨てられ不安から解放されたいなら、この努力をやめていくことが必要なんです。
当事者の言葉
見捨てられ不安が強い方の相談は決して少なくありません。出てくる訴えは例えばこういったものです。
「きっと受け入れてもらえない」
「自分の素がバレた途端みんないなくなる気がする」
「多分裏では嫌いとか言われてるはず」
「私はいらない人間な気がする」
しかし詳しく話を聞いていくと、周りの方の対応は悪くないことがほとんど。むしろ結構いい感じで接してもらっていることが大半です。
それなのにどうして「見捨てられること」への恐れが和らいでいかないのでしょうか。
見捨てられ不安が消えない理由
言葉としては「嫌われている」「愛されない」「受け入れてもらえない」「拒絶される」などと“足りない感““不足感“が訴えとして表現されますが、実態はかなり様相が異なっています。
①求めの過剰さ
見捨てられ不安の強い方は「愛されたい・好かれたい」「嫌われたくない」の求めのレベルが現実離れしているレベルにあることがほとんどです。
●誰からも嫌われたくない
●いつでも気にかけていてもらいたい
●10回のうちの1回でもイヤな感じで接して欲しくない
過剰に愛(関心)を求める状態を渇愛と呼びます。求めが強ければ強いほど、否が応でも「足りない」「不足」に陥ってしまうのはとても自然なことですね。
つまり足りないのではなく、求めが大きすぎるのです。
ではなぜ求めが強くなったのか。その理由の一つが「愛着不足」です。
子ども時代に親から十分に「愛されている」という実感をどれほど持てたのか
見捨てられ不安にここが大きく影響しているという視点は、愛着理論から見ても明らかではないでしょうか。
②「愛されている」の前提のズレ
愛情というとどんなイメージがあるでしょうか。クライエントさんたちに聞いてみると、ドラマのような恋愛であったり、聖母マリアみたいな母性愛であったりすることがほとんどです。
それがなければ「愛されていない」のであれば、ほとんどの人は渇愛状態ということになっちゃいます。
しかし周りを見渡してみましょう。ほとんどの方はそんな環境にはありませんよね。それでも「愛されている」と感じている人は少なからずいるものです。
この前提のズレもまた、「愛されていない」を強める原因の一つだと感じています。
③もらっているのに受け取っていない
先の前提のズレとも関連しますが、そもそも愛とはもっと小さくて、ほのかで、穏やかな「小さな関心」の集まりではないでしょうか。
自分がいない場でも気にかけてもらったり、ちょっとした声かけをしてもらったり、言いにくい指摘をしてもらえたり、笑顔で挨拶してもらえたり、ちょっとした話を聞いてもらったり、飲み会に誘ってもらったり、笑顔で「お疲れさま」と言ってもらえたり、、、。
主観ですが私は一見「当たり前」と思われるようなこの小さな関心の集まりを「愛」と呼んでいます。
なぜなら別にしなくてもいいことを“わざわざ“やってもらっているわけです。人は私を無視してもいいし、嫌ってもいいし、拒絶してもいいにもかかわらず、わざわざ気にかけてくれているのです。
私も昔は「たかがそんなこと」「フツー」なんて捉えていましたが、それが当たり前ではなく、すでに愛をもらえていたことに気づいた時は愕然としました。
「あ〜、自分は愛されないかわいそうな人間!なんて思っていたけど、『ちょーだい!』が強すぎただけなのね。ありゃりゃ(汗)」って感じでした。
見捨てられ不安を和らげるヒント
見捨てられ不安を強めていると思われるものをここでもう一度おさらいします。
①「愛されたい」の求めが過剰
②「愛されている」の前提がズレている
③もらっているのに取りこぼしている
ここをヒントに和らげる方法を考えてみましょう。
まずは①。求めのレベルが適度だといいですね。たとえば
「好きな人からは”できることなら”愛されたい」
(だからといって絶対にかなうわけではないけどね)
みたいに。
次いで②。前提を変えてみましょう。「愛されている」の意味は小さな+な関心の集まりってことにしてみませんか?仮でもいいので、とりあえずそういう前提に立ってみてはいかがでしょうか。
最後に③。小さな+の関心の集まりが愛なら、すでに結構もらっているはずです。恋愛映画の燃えるような恋でもなく、聖母マリアのようにすべてを包んでくれる慈愛でもなく、気づかずに通り過ぎている小さな幸せを見つけてみませんか。
いろんな人がきっとたくさんくれているはずですから。
ひとまずこの3つを続けるだけでも「愛されている感」は増えるはずですよ。実験くらいの気持ちでやってみてもいいかもしれませんね。
「でもやってもやっても変わらない!」
そんなときは①に戻って自問自答してみてください。きっとそこが過剰になっているはずですから。
「私は相手に『何を』『どの程度』求めているのだろう?」
それでは自分助け頑張ってみてください。
健闘を祈っています!