アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • 苦悩の根っこは実はひとつ @11月5日

     

    こんばんは。

    トリフォリの高澤です。

     

     

    つい先日のこと、

    カウンセリングに通ってきていた

    ハナコさん(仮名)が卒業なさいました。

     

     

    最初の頃は

    悩み苦しみの塊みたいで

    息をするのもやっと、、、

    といった感じだった方です。

     

     

    それが曰く

     

    「苦しかったときのこと、

    思い出そうとするんですけど

    ぜんぜん思い出せないんですよね。

     

    今、すごく楽だし、

    したいことたくさんあるし、

    自分って元からこうだったかも、

    なんて感じすらするんですよね。

     

    不思議ですよね^^」

     

     

    この方はセルフヘルプのために

    いろんな心理療法の練習に取り組み、

    多くを身につけて活用してきました。

     

     

    そこで尋ねてみました。

     

     

    「何が一番役に立った?」

     

     

    ハナコさんがもっとも相性の良かった

    ビリーフ(強い信念)の書き換えに

    使っていた論理療法かな、と予測。

     

     

    しかし彼女の答えは

    どの心理療法のワザでもなく、

    話を聴いてもらったことでもなく。

     

     

    それこそが

    苦悩のたった一つの根っこ

     

     

    ハナコさん曰く

    「悩みは自分の欲が作り出している

    という前提が腑に落ちたのが一番でした」

     

     

    それまでは

    「自分は誰からも愛されない」

    「誰からも必要とされない」

    「どこにも安全な場所はない」

    と強く信じていたハナコさん。

     

     

    しかしこういった信念は

    誰よりも愛されたい」

    誰からも必要とされたい」

    常に安心安全でいたい」

    という現実的とはいえない

    過剰な欲が作り出したもの。

     

     

    しかし自分がそんな過剰な欲を

    持っているなんて信じたくもないし、

    向き合いたくもなかったはずです。

     

     

    しかしハナコさんはその

    「見たくない自分」

    から目を逸らさずに

    向き合ってきました。

     

     

    それが結果的に自分の生き方を

    *現実に即した生き方

    *道理に合った生き方

    いわばマインドフルな生き方に

    変えていったようです。

     

     

    今も時々は

    「誰からも愛されたい!」

    「誰からも必要とされたい!」

    「いつだって安心安全を感じたい!」

    は突き上げてくるそうですが、

    そのたびその欲の過剰さに気づき、

    自分で自分を慈しんでいるそうです。

     

     

    ところでメジャーな心理療法に

    認知行動療法というものがあります。

     

     

    この療法ではストレス対処のその前に、

    まずはストレス体験の観察に取り組みます。

     

     

    そこで観察する内容は

    ◎ストレスの引き金になった出来事

    ◎その時の自分の認知(考えやイメージ)

    ◎その時の自分の感情

    ◎その時の自分の身体反応

    ◎その時の自分の行動(衝動)

     

     

    そこにもうひとつ

    観察に加えたいものがあります。

     

     

    それが今回のテーマである

     

     

    負の感情で苦しくなったときは

    「自分は何を欲しているんだろう?」

     

    相手がいる場合は

    「私は相手にどうなってほしいんだろう?」

     

     

    そこに自分の隠された欲が潜んでいます。

     

     

    たとえば自分の大変さを

    理解しようとしない相手に

    怒りを覚えたとき。

     

     

    そこに潜んでいる欲は

    「私が望むように理解してほしい!」

     

     

    欲が見つかったら

    自分自身にこう問いかけてみます。

     

     

    「あなたは人を思い通りに

    変えることができますか?」

     

     

    これが回復の起点、

    「変えられないものは

    落ち着きをもって受け容れていく」

    ということ。

     

     

    ハナコさんの回復の要諦は、

    スタート地点であるここだったようです。

     

     

     

    注)ハナコさんの事例は個人が

    特定できないよう、ほかの方の

    事例を交えたものにしています。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2018年11月05日(月)

    共依存の特徴 @10月31日

    こんばんは。

    トリフォリの高澤です。

     

     

    たびたび触れております

    共依存

    という言葉。

     

     

    この言葉をご存じない方も

    いらっしゃるかもしれませんので、

    今回少し触れてみます。

     

     

    共依存という言葉の意味

    この言葉の起源は

    「アルコール依存の夫を支える妻」

    から来ております。

     

     

    回復していないアルコール依存の

    当事者の多くは、周りが困るような

    状態にありがちです。

     

     

    たとえば、、、

    ・酔いに任せて家族に暴力をふるう

    ・飲酒したまま仕事に行く

    ・酔いがひどくて無断欠勤する

    ・下手するとこれでクビになる

    ・仕事を辞めても酒はやめない

    ・それをいさめようとするとまた暴力

    といった悪循環

     

     

    とうていこの状態では

    ひとりで生きていけません。

     

     

    しかしここに謎が。

     

     

    だったらどうやって

    この人は生きていけてるのでしょう?

     

     

    それは

    誰かが支えている

    からです。

     

     

    暴力を振るわれても耐え、

    職場には病休と嘘の電話をし、

    暴れた後片付けをこなし、

    酒を飲ませないよう努力し、

    自分も働いて家計を支え…。

     

     

    この例では妻になりますが、

    このような支える人がいて始めて

    依存症者は依存症者のままでも

    存在することができるのです。

     

     

    このような支え手を

    共依存(症)

    といいます。

     

     

    さらに、

    「人から支えられることを

     必要とする弱い(可哀そうな)人」

    (例で言うとアルコホリックの夫)

    「その可哀そうな人の世話を焼く人」

    (例で言うと妻)

    の関係のように

    互いが互いを必要とする依存関係

    共依存(関係)

    と呼びます。

     

     

    ひきこもり家庭の親子関係や

    蜜月状態の援助・被援助関係も

    この関係と言えるでしょうね。

     

     

    憐みの裏に潜んでいるもの

    ところで「支え手」を

    意味する共依存症。

     

     

    なぜこんな状態になってまで

    「可哀そうな人」を支えるのでしょうか?

     

     

    それは共依存症の

    ある特徴に起因します。

     

     

    支える人は実は

    「可哀そうな人を助けたい」のではなく、

    「可哀そうな人を必要としている」のです。

     

     

    可哀そうな人の面倒を見ることで

    「私は必要とされている!」

    と感じることができます。

     

     

    「私は必要とされている」という感覚は

    「私には価値がある!」

    と自尊心を大きく高めることができます。

     

     

    つまり共依存症とは、

    自分に価値があると思えない人が

    「自分にも価値がある」と思うために

    可哀そうな人を必要とする状態、

    とも言えるわけです。

     

     

    一見「困ったちゃん」と

    「迷惑をこうむっている人」に

    見えるこの関係ですが、実は

    両者のニーズがかみ合っている

    非常に強い関係だったのです。

     

     

    さらに見えない弊害があります。

     

     

    それは

    「助けてあげなきゃ」

    とみなされた人は実はその時点で

    「力がない人」

    という立ち位置に置かれています。

     

     

    だからこそ

    「助けてあげなきゃ!」

    になるわけです。

     

     

    表面的にはわかりにくいですが、

    関係としては

     

    私が上。

    あなたが下。

     

     

    この関係の先に

    対等で相互尊重のある交流

    は残念ですが見込めません。

     

     

    共依存症の特徴

    共依存症の特徴はいろんな書籍や

    サイトなどに載っておりますが、

    ここでは共依存の自助グループ

    「CoDA-JAPAN」の掲載資料から

    引用させていただきました。

     

     

    <共依存症の 4 つのパターン>


    ◆否認のパターン

    ・ 自分が何を感じているかを認めるのが非常に困難である。

    ・ 自分が本心から感じていることを軽視したり、簡単に変えたり、打ち消したりする。

    ・ 自分は他人の幸せのために自分を捧げる、完全に利己心のない人間であると感じている。

     

    ◆自己評価が低いパターン

    ・ 決定を下すのが非常に困難である。

    ・ 決して、自分が考えること、話すこと、なすことのどれにも合格点を与えず、厳しく判定する。

    ・ 表彰されたり、賞賛を受けたり、贈呈を受けたりすると当惑する。

    ・ 自分の要求や希望を満たしてくれるように、人に頼むことをしない。

    ・ 自分の考え、感じ方、行動についての評価よりも他人の評価の方に価値を置く。

    ・ 自分自身が愛されるに値する、価値のある人間だとは思えない。

     

    ◆服従のパターン

    ・ 拒絶にあったり他人の怒りにふれたりすることがないよう、自分の価値観や誠実さをもねじ曲げて妥協する。

    ・ 自分以外の人がどう感じているかということにとても敏感で、自分も同じように感じる。

    ・ 特定の人の言いなりになってしまい、自分を傷つける人間関係からも、なかなか離れることができない。

    ・ みんなと違う意見を言うのが、また、自分の感情をありのままに表すのが怖い。

    ・ ほかの人が望むことを優先するため、自分自身の関心や趣味は脇に置く。

    ・ 愛情が欲しくてセックスを受け入れる。

     

    ◆コントロールのパターン

    ・ たいていの人たちは、自分の面倒をみることが出来ないものと信じている。

    ・ ほかの人はどう考えるべきで、本当はどう感じているのかを納得させようとする。

    ・ ほかの人から助けを必要とされないと、恨みを持つ。

    ・ 頼まれもしないのに、どんどんアドバイスを与えたり、指図をする。

    ・ 関心を持った相手には、プレゼントをしたり惜しみなく世話をする。

    ・ 認められたくて、受け入れられたいがために、セックスを利用する。

    ・ ほかの人とのつながりを持つためには、私が必要とされなければならない。 

     

     

    回復の視点

    ここまで見たところで分かることは、

    共依存症者は意識的には

    「困っている人を助けてあげたい!」

    ですが、実のところは

    「私を必要としてほしい!」

    ということになります。

     

     

    なぜかと言うと

    [必要とされる]=[価値がある]

    という前提があるから。

     

     

    しかしこの前提は本人を苦しめます。

     

     

    なぜなら

    [必要とされない]=[価値がない]

    も必ずセットになってしまうから。

     

     

    こんな前提のセットから考えると、

    人の世話を焼くこと、面倒をみることは、

    その本人からすれば

    「自分の価値をかけた命がけの試み」

    なのかもしれません。

     

     

    共依存から抜け出すのが困難なのは、

    この前提があるからではないでしょうか。

     

     

    そこから考えると、

    回復の道筋とはつまり

    「私はこの不十分な私でOK!」

    と思える方向に歩んでいくこと。

     

     

    たとえ必要とされなくても、です。

     

     

    そうなるために

    *私にできること

    *私が手放すべきこと

    を考えてみてはいかがでしょうか。

     

     

    人は他人を好き勝手に評価しますが、

    私たちが自分自身をどう評価するかは

    自分の意志で決めることができます。

     

     

    あなたが自分をどう観るか。

    そこに共依存から脱するカギがあります。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2018年10月31日(水)

    生きている実感 @10月28日

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    週末は高校以来の親友たちと

    泊りがけの旅行に行ってきました。

     

    長い付き合いですが、

    彼らは当時エゴまみれだった私を

    そのまま受け容れてくれた人たちです。

     

    欠点も弱点も数えきれないほどある

    私とずっとつながりつづけてくれています。

     

    私の欠点をはっきり指摘しながらも

    それを笑って受け容れてくれる大切な仲間です。

     

    その彼らと解散して家に帰るときは

    尋常じゃない寂しさが湧いてきましたが、

    家には私を待ってくれている家族がいます。

     

    妻も息子も

    私が私でいること

    を大切にしてくれる人たち。

     

    自分が自分でいられる居場所がある。

     

    ふと

    「生まれてきてよかった!」

    という感覚が胸の奥から突き上げてきて、

    帰りの車で号泣する初老の秋、な私でした(^^;

     

     

    ということで今日のテーマは

    「生きている実感」

    です。

     

     

    「生きている実感がない」

    人は自分という存在としてしか

    生きていけないわけですが、

     

    「生きている実感がない」

    「自分がよくわからない」

     

    といった訴えはちょくちょくあります。

     

     

    生きているのにその実感がないのは

    かなりつらいことではないかと思います。

     

     

    かく言う私も実はその昔、

    この感覚でしんどかった時期があります。

     

     

    ひどいときは

    ・見えているけど見えていない

    ・聞こえているけど聞こえていない

    といった、まるで

    世界と自分の間に見えないベール

    があるような違和感がありました。

     

     

    これがあとになって

    離人感というものだと知りましたが

    その時はそんなこと知る由もなく、

    自分がおかしくなった気がしていました。

     

     

    実感が感じられないわけ

    生きている実感のなさには

    いくつかの理由がありそうです。

     

     

    たとえばトラウマ体験後に起こる

    感情の麻痺。

     

     

    人は自分の許容範囲を超えた体験に

    さらされたとき(そのあとも)、

    自分の心を守るために感情を

    シャットダウンすることがあります。

     

     

    その体験を「トラウマ体験」と呼び、

    自分を守るためのその反応を「麻痺」

    と呼びます。

     

     

    感じなくでもしておかないと、

    とうてい生きていけませんから。

     

     

    ですが私たちはネガティブ感情だけを

    麻痺させるという仕組みは持っていません。

     

     

    感情自体を麻痺させてしまうことで、

    ポジティブ感情も鈍くなってしまいます。

     

     

    「快」にまつわる感情なしには

    「生きている!」なんて実感を

    人がもてるはずもなく…なのです。

     

     

    ほかにも、とくにAC当事者には

    次のような理由で生きている実感が

    得にくくなっている人たちもいます。

     

     

    さっきも触れましたが、

    私たちが「生きている!」

    って実感をもつためには、

    欲求や感情を感じることが必須です。

     

     

    しかしもし私たちが子どもの頃から

    *人の欲求を満たすこと

    *人の感情をなだめること

    にばかりエネルギーを注いでいたら

    どうなるでしょう。

     

     

    「人を満たす」をやり続けるには

    *自分の欲求

    *自分の感情

    はとっても邪魔なものになります。

     

     

    だってそんなもの感じていたら

    苦しいだけですもの。

     

     

    「人を満たす」をやり続けた結果

    私たちに身にはこんなことが、、、

     

     

    ●自己喪失

    人の感情や欲求ばかりにフォーカス

    自分の感情や欲求は後回し

    自分の感情や欲求がわからなくなる

    生きている実感の鈍麻

     

     

    ●スリカエ欲求が招く渇望

    人を満たす

    人が喜んだり褒めてくれたり

    自分が満たされた気になる

    人を満たすことをさらに頑張る

    自分に目を向けていないので
    自分は一向に満たされない

    生きている実感の鈍麻

     

     

    ほかにも影響はありますが、

    特にこういったことが私たちの

    生きている実感

    を感じにくくしていくようです。

     

     

    実感を呼び覚ますために

    生きている実感を感じるには、

    欲求も感情もどちらも必要です。

     

     

    したがって、

    自分の感情と欲求にフォーカスを

    当てなおしていくことが

    生きている実感の取り戻し

    につながります。

     

     

    ですが未処理のトラウマ由来の場合、

    自分を守るために感情を抑え込んで

    生き抜いてこられたわけですから、

    いきなり感情に触れていくのはむしろ

    危険を伴うこともあります。

     

     

    その場合はトラウマを完了させることが

    優先事項になると思います。

     

     

    また、過剰な「人を満たす」で

    生きてきたケースの場合。

     

     

    ある意味ずっと

    自分の気持ちや願い

    を捨て去ってきたわけですから、

    心の奥にはその

    大切なものを失った悲しみ

    が隠れているものです。

     

     

    そうなるとこのケースでも

    喪失の悲しみ(痛み)

    を完了させることが大切に

    なってくるでしょう。

     

     

    最初の一歩

    生きている実感の希薄さは

    生きるエネルギーを減らすばかり。

     

     

    そのままではまるで

    ガソリンがないのに走ろうとする車

    みたいのものです。

     

     

    友人でも、自助グループでも、セラピストでも、

    カウンセラーでも、とにかく信頼できる人を、

    信頼できる居場所を求めてほしいと願っています。

     

     

    そこでまず自分の

    ・トラウマによる傷つき

    ・喪失の悲しみ(痛み)

    を癒していく。

     

     

    癒しが進むとともに

    *自分のほんとうの感情

    *自分のほんとうの欲求

    に気づいていく。

     

     

    そしてそれを満たしていく。

     

     

    そのときにはきっと

    生きている実感

    がありありと感じられているでしょう。

     

     

    一度きりの人生です。

     

     

    「この人生でよかった!」

     

    そう感じるためにも、

    自分の気持ちと願いに触れること

    への取り組みを私はお勧めしたいです。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2018年10月28日(日)

    「アダルトチャイルドとは」文章入れ替えました @10月26日

    こんばんは。

    トリフォリの高澤です。

     

     

    サイト全面修正を願いつつ

    なかなか進めずにおりましたが、

    とりあえず今できることから

    やることにしました。

     

     

    ということで、今日は

    アダルトチャイルドとは

    のページの文章を変えてみました。

     

     

    ちょびっと回顧録風です。

    よろしければ観てみてくださいませ。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2018年10月26日(金)

    「怒りは蓋」@10月22日

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

     

    私の主な仕事はカウンセリングや講師ですが、

    カウンセリング中にごくまれに場にそぐわない

    強い怒りを向けられることがあります。

     

     

    ちょいとばかり怖いときもあります。

     

     

    ですが大抵の場合、

    その怒りは本当は私に向いていません。

     

     

    たとえば

    「分かってくれてない!」

    と言って強い怒りを向けられたとき。

     

     

    まず一旦受け取ります。

     

     

    しばらくして落ち着きが戻ったら

    こう尋ねてみます。

     

     

    「人生の中で一番分かってほしかったのに

    分かってくれなかった人は誰ですか?」

     

     

    その相手が怒りの本当の矛先だったりします。

     

    だとしたら

    この方が感じているものは怒りではなく、

    本当は悲しみなのかもしれませんね。

     

     

    もしもあなたにも

    ひどく怒りを覚える人がいるなら、

    こんな自問自答はいかがでしょうか。

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     

    【怒りの奥を探索する問い】

     

    ①あなたが強い怒りを感じる人は誰ですか?

     

    ②その人のどんなところに怒りを感じますか?

     

    ③もし何を言っても許されるとしたら、

    その人に何と言ってやりたいですか?

     

    ④その言葉を他の誰よりも

    一番言いたかった相手は誰ですか?

     

    (目の前にその人がいると想像して

    その言葉を口に出してみましょう)

     

    ⑤いまどんな感情を感じていますか?

     

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

    2018年10月22日(月)
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