アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • 好きなのに、「嫌われてる…」

     

     

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    前回は

    好きじゃない人からも

    「嫌われたくない!」「好かれたい!」

    の話でした。

     

    今回は

    「好きな人に嫌われた…」

    のお話です。

     

    ・・・・・・・

     

    わたくし先日、

    ある研修に参加しました。

     

    講師の先生は

    以前からとてもお世話になっている

    個人的に好きな方です。

     

    とても信頼もしています。

     

    それが先日久しぶりに会ったときの

    様子にちょっと(いや、だいぶ)違和感。

     

    「あれ?」

    「私のこと、もしかして、苦手?」

    「・・・嫌われてる、、、の?」

     

     

    これ、おそらく

    事実

    ではなく

    考え(推測、解釈、思い込み)

    です。

     

    ですがここでは敢えてそれを

    「事実」

    として話を進めます。

     

     

    さて、嫌いな人ならいざ知らす、

    好きな人に嫌われている…。

    (と思い込んでいる 汗)

     

    相性もいいと思っていたのに…。

     

    「がーん!!!」

     

    って感じ。

     

    ということで、この

    「がーん!」

    を処理することにしました。

     

     

    【その①】

    認知(考え)を変えてみる

     

    以下、自問自答。

    「嫌われていると思う根拠は?」

    「そうとは言えない根拠(反証)は?」

    などなど

     

    「思い込みだろうねぇ」と思えたものの、

    これだけではまだ”気持ち”が収まらず。

     

     

    ということで

    【その②】

    認知(考え)と事実を切り分ける

     

    心の中でこうつぶやきました。

    「『嫌われている』って気がしてる

    「『嫌われている』っていう考えが出てきてる

     

    これは、認知はただの考えであって、

    事実ではないよと脳に覚えてもらう練習。

     

    これで少し余裕ができました。

    ほっ♪

     

    でも気持ちのスッキリ感がまだまだ。

     

     

    で、

    【その③】

    感情処理

     

    自分の中にある感情、

    このときは悲しみですが、

    これを呼吸で吐き出す。

     

    ここでかなりスッキリ!

    だいぶ楽になりました。

     

    あとはなんともいえない

    気持ち悪い引っ掛かりが少々。

     

     

    ということで、

    【その④】(ラスト)

    セルフコンパッション(自己慈悲)

     

    「好きな人から嫌われる」は喪失体験。

    その喪失の悲しみで苦しんでいる自分に

    深い慈しみを与える。

     

    ちょっと長いですが、以下、

    このとき私が自分にした声かけです。

     

    「自分が好きで信じている人から嫌われたら、

    そりゃ堪えるね。きつかったね。

     

    そういえば君(自分のこと)は子どもの頃から

    『ありのままでいると嫌われる』

    って信じていたよね。

     

    その人にも素の自分をだいぶ出してたから、

    その古傷が出てきたんじゃないかな。

     

    君はもともと感情が豊かだったから、

    気持ちとか欲求とかをしっかり表現してました。

     

    小さい頃はそれをあまり受け取ってもらえなかったね。

    悲しいとか、怖いとか、嫌とか、寂しいとか。

     

    受け取ってもらえずずっと苦しかったよね。

     

    そのためか、

    受けとってもらえない「自分がダメ」

    って前は信じていたでしょ。

     

    あのとき君がほしかったのは、

    「そのままを受け取ってほしい」

    だけだったのに。

     

    君が生まれもった感情の豊かさを

    周りの大人が受け取ってくれたら

    よかったけど、そうならなかった。

     

    ほんとに残念だけどさ、

    親も大人もみんな不完全なんだよ。

     

    だけどそれでも君は

    「嫌われないために自分を隠す」

    ではなくて、

    「嫌われたくないけど自分を表現する」

    を選んだよね。

     

    そのぶん君は表現するたびに

    たしかに嫌われることが増えていきました。

     

    君は周りには隠していたけど、

    本当はそのたび深く傷ついていたこと、

    ひとり泣いていたこと、私は知っています。

     

    とてもつらかったね。

    どれだけ苦しかっただろうね。

     

    それでも君は自分を出し続けた。

     

    きつかったのに、

    勇気出して頑張っていました。

     

    だからかな。

    君が小学生のとき、

    君のお姉さんの友だちが言ったセリフ。

     

    「お前はいつもちゃんと

    気持ちが出てるから好きだよ!」

     

    これをずっと覚えているでしょ。

     

    やっぱり君はずっと

    感情豊かな「ありのままの自分」

    を真正面から受け容れてもらいたかったんだね。

     

    それって、

    そんな自分が好きだからなんだよね。

     

    これからも自分を出していくと、

    たぶん君を嫌う人は出てくると思う。

     

    それはつらいとも思う。

     

    でも、君は君でいていいね。

    「ありのままの自分」でいいね。

     

    それを愛してくれている人、

    すでに周りにいるでしょ?

     

    その人たちと、

    「そのままの自分」

    で楽しく過ごしてね。

     

    きっと大丈夫。

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

     

    これでやっと心がスッと軽くなりました。

    (というか、涙が…)

     

    「私は私でいていい!」

     

    これを貫こうとすると、

    *嫌われること

    *拒絶されること

    *否定されること

    そして

    *傷つくこと

     

    残念ながらこれを避けることは不可能です。

     

    だからこそ、

    自分自身が自分の最強の味方になる。

    あたかも理想の親みたいになる。

     

    世界中を敵に回しても

    自分だけは自分を最後まで裏切らない。

     

    自分が自分に深い慈悲をかけられたら、

    きっと人生は軽くなっていきます。

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように

    2018年04月20日(金)

    「嫌われたくない!好かれたい!」

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    突然ですが、

    あなたは人から嫌われることを

    受け容れていますか?

     

    ちなみに私は、

    愛する人や好意を抱く人には

    嫌われたくはないですが、

    そうでない人だと大丈夫です。

     

    ですが、多くのクライエントさんが

    自分が好きじゃない人からでも、

    なかには嫌っている人からでも

    「嫌われたくない!」

    「できれば好かれたい!」

    となっています。

     

    でもこれはきついですね。

     

    だって人の好き嫌いはただの好み。

     

    食べ物の好き嫌いだったり、

    趣味の違いだったりと同じ。

     

    なのにその「嫌われる」が、

    ●「私はダメな人間」

    という意味と取り違えられると

    いっきに苦しくなってしまいます。

     

    このとき大切なのは

    *人から好かれないこと

    *人としての価値

    を切り分けること。

     

    人の好き嫌いは「好み」。

    それはコントロールできない。

     

    にもかかわらず、

    それをコントロールしようとすると、

    相手に合わせる

    イコール

    自分を隠す

    人生が始まります。

     

    これを続けていった先に

    待っている結末は

    *自分の気持ちがよくわからない

    *自分の欲求がよくわからない

    という自己喪失

     

    これが人生を虚しいものに

    してしまいます。

     

    ここから脱却するには、

    とっても怖いけれども、

    ★素の自分を開いていく

    ってとても大切です。

     

    とはいえいつでもどこでも!

    というわけにはいきませんので、

    安全な相手、安全な場で

    少しずつ開いていくやり方が

    おすすめです。

     

    ________________________

     

    ところでもう一つのほう。

     

    自分が好きだったり好意を抱いたり

    といった相手から好かれないとき、

    下手すると嫌われたりするとき…。

     

    なんてときはどうしましょう?

     

    それは次回ご紹介します。

    ということでまた次回(`・ω・´)ゞ

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように

     

    2018年04月15日(日)

    場に合わない過剰な怒り

    おはようございます。

    トリフォリの高澤です。

    またもやしばらくぶりの投稿です(汗)

     

    さきほどヤフーニュースを見ていたら、

    娘とケンカした腹いせに孫を誘拐したとか、

    孫の面倒をどっちが見るかで夫婦ゲンカを

    した夫が刃物を持ち出したとか。。。

     

    そんな記事がいくつか載っていました。

     

    腹が立つのは分かりますが、

    さすがにあまりにも場に合わないというか、

    度が過ぎるというか。

     

    傍から見ると

    「なんで?」

    って思ってしまいます。

     

    この

    場にそぐわない過剰な怒り

    って何なんでしょうか?

     

    過剰な怒りと言われるゆえんは

    反応

    が過剰だからこそですね。

     

    過剰なのは怒りというよりも

    その反応。

     

    ヒントはこの「過剰反応」にあります。

     

    たとえば自転車で転倒して

    足をひどく打って激痛を感じているとき。

     

    ひどい激痛で苦しんでいるときに

    痛い部分を人から触られそうになったり、

    実際に触られるとどんな反応になりますか?

     

    たいていは大声で「やめてくれ!」と言ったり、

    触れようとする手を全力で払いのけたり…

    といった反応になると思います。

     

    実はこころの傷もからだの傷と同じ。

     

    痛い部分を触られると、

    その痛さから過剰反応してしまいます。

     

    それが激しい怒りのように見える。

     

    ただ、こころは身体と違って傷が見えません。

    だから周りはびっくりするわけですね。

     

    過剰な怒りは多くの場合

    癒えていない古傷

    に触れているときと言えます。

     

    私もその昔この怒りをもっていました。

     

    彼女からちょっとぶあいそにされただけで

    大声で怒鳴ったり壁にパンチして穴空けたり。

    もっとたちが悪いことも…。

     

    非常に残念な10代男でした_| ̄|○

     

    それがその怒りに向き合ってみると

    そもそもその感情は「今、ここ」で

    感じている怒りではなかった。

     

    過去に粗末に扱われたときに感じていた

    怖れ

    悲しみ

    無念さ

    だったことを知りました。

     

    些細な体験であっても、時としてこの

    古傷(別名は地雷)に触れてしまう。

     

    そのときに湧いてくるものが

    場にそぐわない過剰な怒りだったわけです。

     

    そのことを教わり、取り組んだお陰で、

    今は場に合わない怒りはなくなりました。

     

    とはいえ人間ですから、

    怒りはもちろん感じます。

     

    ですが、そこに痛みがないから

    過剰になることはありません。

     

    そもそも

    怒りを感じること

    それをぶつけること

    全くの別物

     

    怒りは感情だから感じることは大切。

    しかしそれをぶつけるとただの攻撃

     

    この二者を混同すると、

    怒り=悪者

    となってしまうので要注意です。

     

    感情としての怒りはパワーの源です。

     

    理不尽な攻撃から身を守ったり

    怖れに打ち勝ってチャレンジしたり

    自分や自分の大切な人を脅威から守ったり

    困難を打ち破って前に進んだり。

     

    怒りを感じるのが苦手な方も多いようですが、

    感じることは大切です。

    それを「攻撃」という行動に転化しなければ。

     

    感情を健康的に消化する方法もありますので

    そういったワザを使って怒りを消化すると、

    考えや行動も不思議と健康的に変化するもの。

     

    人の心は

    ①認知(考えやイメージ)

    ②感情

    ③行動

    の集約と言うことができます。

     

    すべてはつながっています。

     

    どこかが変化すれば、

    全体的に変化していくものです。

     

    とはいえ人は「感情の生き物」ですから、

    まずは感情を消化したいところですね。

     

    怒りを

    攻撃

    に使うのではなく、

    生きる力

    に変えていけたらいいですね^^

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

    2018年03月04日(日)

    気づかない心の傷

     

    いつもありがとうございます。

    トリフォリの高澤です。

     

    支援者となって16年ほど経った私も、

    もとは家族トラウマの影響を抱えていました。

     

    トラウマ症状は主に3つありますが、

    昔の私も多分に漏れずその症状を

    抱えておりました。

     

    ①フラッシュバック

    ②神経の過剰な覚醒

    ③フラッシュバックを避けるための

     感情麻痺や刺激の回避

     

    特にしんどかったのが①のフラッシュバック。

     

    子ども時代から思春期までの中で

    わが家で起こった傷つき体験が

    意図しないのに突然

    記憶としてよみがえっていました。

     

    そうなるととても苦しいのですが、

    その記憶を追いやることができない。

     

    これはとてもしんどかったです。

     

    そんな私もお陰さまで今では昔のわが家を

    むしろ懐かしい思い出とできていますし、

    両親のことも愛おしい存在と感じますし、

    あの家に生まれてよかったとも思います^^

     

    もちろんフラッシュバックというものは

    一切ありません。

     

    気づかない傷の蓄積

    過去のトラウマとはおさらばし、

    愛する家族や友人にも恵まれ、

    信念をもってやれる仕事もできている。

     

    とても穏やかで楽な暮らしを送ってきた

    私だったのですが、ここ最近、ある知人の

    方が為してきたこれまでの言動の記憶が

    意図しないのに突然

    よみがえって苦しくなるときがあります。

     

    しかもそれは「怒り」ではなく「痛み」。

     

    でもその方は一般的には人にやさしい人と

    いう認識でしたから、どうしてそうなるかが

    ずっと自分でも不思議でした。

     

    「自分がおかしいのかな?」

    「神さまが自分の課題として示してるのかな?」

    なんてことまで思ったりして。

     

    しかしよくよく振り返ってみて気づきました。

     

    その方のコミュニケーションには、

    復讐的コミュニケーションというものが

    含まれていたことに。

     

    人は人とコミュニケートするとき、

    「ここはこうしてほしい」

    「これはしないでほしい」

    という依頼を主張することがあります。

     

    その伝え方には4つのやり方があります。

     

    ①主張的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えるが、

    相手を傷つけない伝え方をする。

    (これが理想的ですね)

     

    ②非主張的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えないが、

    相手のことも傷つけない。

     

    ③攻撃的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えるが、

    相手のことを傷つける。

     

    ④復讐的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは引っ込める一方、

    相手を傷つけるやり方をする。

     

    私が子ども時代にわが家でしょっちゅう

    喰らっていたやり方は

    ③の攻撃的コミュニケーション。

     

    怒鳴ったり、叩いたり、侮辱したり。

     

    このコミュニケーションのやり方だと

    自分が傷ついていることに気づくことが

    できます。

     

    しかし④で挙げた復讐的コミュニケーション

    だと自分が傷ついていることに気づけません。

     

    だけど痛みだけは感じるので、防衛的に

    なります。(周りには攻撃的に見えます)

     

    何に傷ついているのかに気づけないと、

    それに対処することもできません。

     

    対処することができないと、

    その苦しさもそのままです。

     

    復讐的コミュニケーションは

    「主張しない」

    という特徴がありますから、

    された側が自分が傷ついていることに

    とても気づきにくいのです。

     

    やさしい虐待

    かつての相談者の多くはあからさまに

    よろしくない関わりをする家庭で

    育っていました。

     

    暴力、暴言、無視、ケアをしない、辱めなど。

     

    でも最近ではこういった相談よりも、

    違った相談のほうが多くなっています。

     

    たとえば

    「アダルトチルドレンという人たちと

    同じような症状があるのですが、

    でも私は親に愛されてきたと思うし、

    虐待も受けていないんです。

    だから相談してはいけない人間かも

    しれません」のように。

     

    しかし話を聴いていくと、

    言葉としては親が発していたものは

    「あなたのために」

    「あなたが大事だから」

    といった形のコミュニケーションでは

    あるものの、された側はそれがどうにも

    息苦しい。

     

    だから「ノー(嫌だ)!」を主張する。

     

    だけどそうすると

    「そんなつもりじゃないのに…」と

    被害者の立ち位置に立たれる。

     

    その結果、

    「自分が悪いんだ」

    「自分がおかしいんだ」

    といった偏った考え方がでてくる。

     

    これはとても厄介な悪循環ですね。

     

    さらに厄介なのは、この復讐的な

    コミュニケーションを用いる本人が

    そのことに気づいていないことです。

     

    やっている側も、やられた側も

    気づけない。

     

    これってお互いにとって

    とても不幸なことではないでしょうか。

     

    ところでこのありようって、

    まさに過保護や過干渉の典型ですね。

     

    だからでしょうか、過保護・過干渉を

    やさしい虐待

    と呼ぶ方もいるくらいです。

     

    傷つきへの対処法

    さて、ここで示してきたように、

    どうやら私は冒頭の方との関係での

    ダメージが蓄積していたようです。

     

    それに気づかずにきたため、

    ここ最近軽いフラッシュバック

    状態に陥っていたようで_| ̄|○

     

    現実的に少し距離を取るという

    対処法もありますが、その選択は

    事情が許さないと難しいですね。

     

    そう考えると、子ども時代に親との

    関係でトラウマを受けてきたうえに、

    現時点でもその親との関係で苦しみが

    続いていたとしたら、そのしんどさは

    5倍10倍と大変なものではないでしょうか。

     

     

    ちなみに

    *怒り

    *傷つき(痛み)

    には違いがあります。

     

    怒りはその相手が目の前から

    いなくなれば収まりますが、

    傷つきは相手がいないときにも

    その苦しさはつづきます。

     

    これこそがフラッシュバック

    なのかもしれません。

     

    さてさて、この苦痛をそのままに

    しておくのはさすがにしんどい。

     

    ということで、ここから何回かに分けて、

    私がこの傷つきにどう対処しているかを

    お伝えしていきます。

     

    トラウマ対処のお話です。

     

    ではまた次回お会いしましょう(*^^)b

     

     

     

     

     

     

    *

     

     

     

    2017年11月06日(月)

    「変わりたいのに変われない」

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    写真は先週末に参拝した恋木(こいのき)神社です。

    筑後船小屋(福岡)あたりにある神社で、

    恋愛の神さまとして有名らしいです。

     

    息子も今両想いの女の子がおりまして、

    「もっと仲良くなれるように!」

    とお願いしておいでと後押ししてみました(^^;

     

    若き女子たちがたくさん訪れていましたよ。

    恋する乙女はぜひ!

     

     

     

    ところであなたは

    「自分をかえたい!」

    と思うことがありますか?

     

    私はその昔、いろんなところを変えたくて、

    自分なりに必死にいろんなことに取り組みした。

     

    しかし結果は惨憺たるもの。

     

    いや、むしろ悪循環のほうが多かったような( ̄▽ ̄)

     

    仕組みを知らないと、

    自分を変えたくてもなかなか変えられないんですね。

     

    ということで、今回は私のことを事例に使って、

    人が変わらない仕組みと、

    それを変えていくやり方をお伝えします。

     

    変えたい自分

    当時私が変えたいと思っていた中でも特に

    *道徳に反する行為をしている人を見ると猛烈に腹が立つ。

     だけど、ちゃんと注意したくても怖くて注意できない自分

    を変えたいと願っていました。

     

    それができない自分が大嫌いで、

    「意気地なし!」

    「臆病者!」

    「卑怯者!」

    なんて考えがいつも頭をよぎっていました

     

    例えばこんなエピソードがありました。

     

    【出来事】

    電車の中で10人くらいの大学生らしき集団が

    大声で騒いでいる。

    周りの人は露骨に嫌な顔をしているが、

    当人たちは気づいていない様子。

     

    【望み(目標)】

    できることならマナーを守らせたい

    (言い換えると「過ちを正したい!」)

     

    【それを実現するための行動(手段)】

    (本当は口頭で注意したいけど怖くてできないので…)

    席に座ったまま睨みつける

     

    【結果】

    何も変わらない。つまり失敗…

     

    そしてまたいつもとおなじように

    「あー、やっぱり俺は意気地なしの臆病者の卑怯者だ…」

    という考えが浮かぶ。

    その考えを鵜呑みにした結果、気分が落ち込む…

    の悪循環。

     

    さて、この流れのままに自分を変えようとすると

    *もっと強くならなくちゃ!

    とか

    *怖がっちゃダメだ!

    とか
    *注意できる強い男にならなくちゃ!

    という目標に向けて突っ走ってしまいます。

     

    その方向もアリかもしれませんが、

    それだと今の自分を否定したままですし、

    動機づけが恐れですのでなかなか行動に至りません。

     

    ところで私はこの変な仕組みをどうやって

    身につけたのでしょう…

     

    仕組みの大元

    さっきのような場面に遭遇するたび、

    不思議といつも昔のある場面が脳裏をよぎっていました。

     

    【出来事】

    5歳くらいの自分。

    怖がりの私を兄と姉が羽交い締めにして、

    ホラー映画が流れテレビ画面に押し付けている。

    「弱虫」「ビビリ」「気持ち悪い」と

    笑ってはやし立てている。

    怖さと悔しさで「やめろー!するなー!」と

    暴れながら泣き喚く自分。

    両親は口では「やめなさいと」と言っているが

    笑ってばかりで助けてくれない。

    兄と姉はさらにエスカレートしていく。

    (映像はここで終了)

     

    この体験を先ほどの大学生との事例みたく分解してみました。

     

    【目標】

    嫌なことをやめさせたい

    (=過ちを正したい)

     

    【手段】

    大暴れ+「やめろーっ!」と泣き喚き

    (直接的な反撃)

     

    【結果】

    むしろエスカレート。つまり失敗…

    そしてこんな思い込みをつくりました。

     

    ・「自分は無力」

    ・「人は平気で嫌なことをする」「信用ならない」

     「誰も助けてくれない」

     

    さらにこの体験からこんなものも得ました。

     

    【教訓】

    「強くならなくちゃいけない!」

    「人をあてにしてはいけない!」

    「自分のことは自分で守るしかない」

    「危険は自力で排除しないといけない!」

     

    これって先ほどの大学生との事例と丸かぶり…。

     

    もしかすると今の生きづらさは、

    子ども時代の問題への対処の仕方を

    大人になった今も使っているから、

    ということなのかもしれません。

     

    そこで改めて大人になった自分で

    「自分は何を変えれば自分を助けられる?」

    と考えてみました。

     

    その結果は、、、

     

    自分の何を変えればいい?

    感情の使い方を変える

    当時の自分は本当は怒っていたわけではなく、

    悲しかっただけ。

    だからこれからは同じような場面では

    怒りを使うことをやめて悲しみを利用していく。

    (大学生の事例みたいな場面だと

    <残念>も活用できそうです)

     

    フォーカスを当てる対象を変える

    不快なのは自分自身だから、

    フォーカスは相手ではなく自分に当てる。

    相手を変えようとするのをやめて、

    代わりに自分で自分の気持ちをなだめられる

    自分助けのワザを身につける。

     

    対処行動の仕方を変える

    ・直接的な害がないときは、

     自分からその場を離れる(タイムアウト)

    ・害が直接自分に及んだ時には、

     冷静に「やめてくれますか?」と依頼する(アサーション)

     

    このやり方は、前のよりは大人の対応ですし、

    これができると

    「自分ってそんなに悪くない♪」

    と思えそうですね。

     

    ということで、こんなことに取り組んできた結果、

    同じような場面でもいまではしんどさ2割程度!

    くらいには減りました。

    かなり楽です~^^

     

    改めて「自分を変える」ということ

    私たちは自分の劣等感に直面した時、

    それを

    「変えなくちゃ!」

    と考えがちではないでしょうか。

     

    しかし実は、劣等感の強さは

    「理想の高さ」

    と正比例関係なのです。

     

    見直すべきは劣等感ではなく、

    この「理想像」なのだと思います。

     

    たとえば「弱い自分はダメ」と

    劣等感を感じている私が、、、

     

    「せめて『嫌だ』くらい言えるようになる!」

    程度の目標だと現実的ですね。

     

    一方それが

    「恐れを感じない自分になる!」

    だとさすがに到達困難。

     

    このままでは強い劣等感にさらされ続ける

    ことになってしまいます。

     

    ということで、この

    理想の自分

    が過度になっているのであれば、

    そこを再検討することが

    ありのままの自分を愛する

    という自己受容につながっていくのだろうと思います。

     

    私たちはもう大人ですもの。

     

    子ど時代のやり方を手放し、

    今の自分の持てる力を活用すれば、

    多くの生きづらさは解決できると

    私は確信しています。

     

    そうやって、生きとし生けるものすべてが

    幸せになれると素敵だなぁと願うばかり(^^)

     

     

     

     

     

    2017年10月10日(火)
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