アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • 洗練された自己主張

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

    今日は前回の

    ①自分の欲求に気づく

    ②満たされない時の怒りに気づく

    につづいての、、、

     

    ③洗練された自己主張をする

    がテーマです。

     

    自己主張いうと言葉が少し強いですから、

    健康的な意思表示

    といったほうがピッタリな気もしますね。

     

    自己主張のやり方

    私たちは大人ですので、

    ・言葉を使わず読み取ってもらうエスパー戦略

    ・癇癪で訴えるオギャー戦略

    といった子どものやり方はやめて、

    洗練された大人のやり方でいきましょう!

     

    <自己主張のすすめ方>

    1.怒りに気づいたら力を抜き、深呼吸して鎮める

    2.伝えたいことを「事実」「感情」「リクエスト」に分けて整理する

    3.伝えやすい状況や時間を見計らう

    4.伝えたいことがあるのでいいですかと許可を請う

    5.事実→感情→リクエストの順で端的に伝える

    6.聞いてもらったら感謝の言葉を述べる

    7.相手がどう反応するかは相手に委ねる

     

    ここでのポイントは

    相手を変えるためのコミュニケーション

    ではないということです。

     

    私たちにできることは伝えるまで。

    その先は相手の領海内です。

    立ち入ることはできません。

     

    あくまで「伝えるだけ」なのです。

     

    そう言うと

    「嫌だ!変わってほしい!」

    なんて声が聞こえてきそうです。

     

    そうですね。

    変わってもらえたらうれしいですね。

     

    でも私たちが他者の思い通りにならないよう、

    他者も私たちの思い通りにはならない存在です。

     

    「相手を変えたい」が手放せない方へ

    ACになじみのある概念に

    共依存という言葉があります。

     

    共依存から回復するための第一ステップは

    「他者を変えようとしてきたことで人生に行き詰った」

    ということを認める(受け容れる)ことです。

     

    つまり、「どうしたら相手は変わるか?」の

    答えが導き出せなかったことが問題ではなく、

    この問い自体が問題だったということです。

     

    なので、問いをこう変えてみてはいかがでしょう。

     

    ①「相手にどう変わってほしいのか?」

    ②「そうなったら何が得られるか?」

     

    この②の問いを繰り返すと

    自分の「ほんとうにほしいもの」が分かります。

     

    それがわかったところで

    ③「それを満たすために自分にできることは何か?」

     

    この流れを示すために

    ここで仮想の事例を挙げてみます。

     

     

    Sさんという20代男性がいました。

     

    彼は人からの批判や反論をすごく嫌っていて、

    知識武装や理論武装を繰り返していました。

     

    誰よりも知識が豊富であれば

    批判されることがないと思ったからです。

     

    その作戦はある程度うまくいきました。

    それどころか「知的」「有能」という

    予測していなかった称号まで手に入れました。

     

    しかし残念ながらこのSさん、

    批判への怖れは消えるどころか強まるばかり。

     

    だからこそこう願いました。

    「じゃあいったいどうしたらいいの?

    誰からも批判されたくないのに!」

     

    これが質問①「相手にどう変わってほしいか」の答えです。

    「みんなに自分を批判しない人になってほしい」

     

    つづいて質問②「そうなったら何が得られる?」

    「批判がなくなったら?そしたら人を警戒しなくて済む

    ビクビクせずに気楽に過ごせる

    それが得られたら何が得られる?

    「行きたいところに自由に行ける。したいことが自由にできる」

    それが得られたら何が得られる?

    「穏やかな気持ちで生きていける。楽に生きれる」

     

    これが質問②を繰り返した先にあった

    「ほんとうにほしいもの」です。

     

    Sさんがほしかったものは

    *「この世界は安全」という安全感

    だったということになります。

     

    では最後の質問③「それを得るために自分にできることは?」

    「自分の味方をつくる」

    (そのためには?)

    「自分を隠さずに開いていく」

    (誰に向けて?)

    「まずは自分が仲良くなってみたいと思う人から」

     

    ということでこのSさん、

    それまでは理論武装という鎧で生きてきましたが、

    それから少しずつ鎧を脱ぐ生き方に変わっていきました。

     


    いかがでしょうか。

     

    私は「相手を変えたい!」と思うこと自体は

    悪いともおかしいとも思っていません。

     

    自分にもそんな願望は少なからずあります。

     

    ただ、それを行動に移さないのは、

    「現実的にはむ~り~だもんね」

    という視点で見ているからです。

     

    ACという名の人々は、

    変えられないはずの「過去」と「他人」を

    変えようとしてきたことで行き詰った人々、

    と言い換えることもできます。

     

    だからこそ、

    *変えられないものは変えられないと受け容れる

    *変えられるものは勇気をもって変えていく

     

    回復の12ステップでも謳われているように、

    ここが回復の神髄なのでしょう。

     

    さて、今回のテーマは自己主張のはずでしたが、

    終わってみるとまたもやここに到達しました。

     

    ここが原理原則なのですね。

    12ステップ恐るべし!(^^;

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2019年05月25日(土)

    生きやすさのお手本は赤ちゃん

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

    最近は支援の視点をよりいっそう

    シンプルにすることに励んでおります。

     

    私たちは苦しみに囚われたとき、

    自分でかえって複雑にしてしまう

    ことがある生き物です。

     

    なにせほかの生き物よりも優れた

    「脳」をもっていますもので。

     

    脳は私たちを助けてくれる一方、

    事実ではないことをあれやこれやと

    否定的に想像しては苦しみを作り出す

    なんてことも少なくありません。

     

    確かに脳の仕組みは複雑です。

    ですが苦しみの仕組みはとてもシンプルです。

     

    その仕組みは「おぎゃー」と生まれた直後から

    もっているものでして、つまりあかちゃんが

    使いこなせているほどシンプルな仕組みです。

     

     

    生き延びる仕組み

    私たちは生まれたときには

    すでに欲求をもっています。

     

    欲求があるから生きられます。

     

    その欲が満たされれば「快」を感じ、

    満たされなければ「不快」を感じます。

     

    あかちゃんも持っているこの欲に基づく

    「生き延びる仕組み」をフローで示すと

    ざっくりこんな感じです。

     

    欲求がある(だっこしてほしい)

    満たされない(ママは掃除中)

    不満(怒り)を感じる(身体がイヤな感じになる)

    訴える(オギャー!と泣く)

    満たしてもらう(ママが飛んできてだっこする)

    快を感じる(いい感じになって落ち着く)

     

     

    ね。

    こんな感じで生き延びることができるわけです。

     

    満たされるには「主張」が必要で、

    主張するには「不満(怒り)」が必要です。

     

    では大人はこれと違う仕組みで生きるかというと

    そんなことはありません。

     

    仕組みは同じ。

    ただ主張の仕方を洗練させるわけです。

     

    ということで

    この仕組みの大人バージョンです。

     

    ●欲求がある(尊重してもらいたい)

    ●満たされない(上司の勘違いによる叱責)

    ●不満(怒り)を感じる(「このままでは嫌だな」)

    ●訴える(穏やかに事実・感情・リクエストを伝える)

    ●満たしてもらう(勘違いに気づき、詫びてくれる)

    ●快を感じる(落ち着いて仕事に戻る)

     

    仕組みは全く同じです。

    違いは訴えの部分が「オギャー」なのか

    穏やかな自己主張なのかだけです。

     

    もちろん大人になればなるほど

    主張しても満たされないこと多々ですが、

    それでも適切な主張ができていれば

    嫌な感じはあまり残らないものです。

     

     

    ところがですよ、

    発達途中の子どもだとそうはいきません。

    相手が親ならなおさらです。

     

    主張したらほどほどには

    満たしてもらう必要があります。

     

    にもかかわらず

    こんな環境だったらどうなるでしょう?

     

    ・「うるさい」と怒鳴られたり叩かれたりする

    ・訴えても無視される

    ・「いい子だから我慢しようね」と操作される

     

    これでは訴えたところで満たされません。

     

    こういった環境だと仕組みがどう変わるかを

    小学生くらいの子どもを例に示してみます。

     

    ●欲求がある(話を聴いてほしい)

    ●満たされない(親は仕事でほぼ家にいない)

    ●不満(怒り)を感じる(イライラなる)

    ●訴える(帰ってきた親に「きいてきいて!」)

    しかし親は「うるさい!あっち行け!」

    ●満たされない(不満が高まる)

    親は同じような対応を繰り返す

    ●怒り自体を抑圧する

    ●怒りを感じないので自己主張もしなくなる

    ●主張しないので満たされることがない

    その結果

    ●自分の欲求がわからなくなる(自己喪失)

    ●主張しないで満たしてもらおうとする(「いい子」戦略)

    ●怒りは腐敗して恨みへ(満たしてくれない人への猛烈な怒り)

    ●これが生き方になって固定化する

    ●生きづらさ

     

     

    回復とは「大人になること」

    先に述べた固定化した生き方は、

    子ども時代のわが家以外でも発動します。

     

    しかしこの生き方の先に回復はありません。

     

    そもそも自分の欲求を見失っているし、

    気づいても訴えないから満たされません。

     

    仮に気づいて訴えたとしても、

    相手がどう反応するかは相手の自由。

     

    満たしてくれないからと恨んでいれば、

    人間関係は反対にこじれていくばかりです。

     

    ではどうすればいいか。

    今回の記事の最初のほうで書いた

    大人のやり方

    をつかえばいいのです。

     

    つまり

    ①自分の欲求に気づく

    ②満たされない時の怒りに気づく

    ③洗練された自己主張をする

     

    これだけです。

    とてもシンプルですね。

     

    ただし注意点があります。

     

    まず①。

    欲求に気づくためには

    ふだんから「快」を感じることを

    たくさんやっておくことが必要です。

     

    それはアルコールやギャンブルやセックス、

    などといった刺激の強いものではなく、

    自然に触れる、歌をうたう、空を見上げる

    といったちょっとした快を感じること。

     

    こういったことの積み重ねによって

    「自分はどうしたい?」

    に気づきやすくなっていくのです。

     

    つづいて②。

    怒りを「よくない」と見る方は少なくありません。

    しかし怒りを「感じる」ことが問題ではなく、

    怒りを「攻撃的な行動」に転嫁するから問題なのです。

    怒りあっての自己主張、主張あっての欲求充足ですよ。

     

    最後に③。

    これはちょっと詳しく書きたいので、

    次回に回そうと思います。

     

    ではまた次回!

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

    2019年05月23日(木)

    こころの苦しみの仕組み

     

    たかざわです。

     

     

    昨日は会員さんの

    グループセラピーの日でした。

     

     

    テーマは

    苦しみが消えない仕組み。

     

     

    まずはじめに取り組んだことは

    「そもそもの心の苦しみの仕組み」

    正しく理解することでした。

     

     

    苦しみはどこからやってくる?

    答えを先に言ってしまうと、

    苦しみの原因は自分の内側にある

    ということです。

     

     

    確かに他者の言動や在りよう、

    社会での望ましくない状態や状況などは

    私たちに苦しみを感じさせる”刺激”です。

     

     

    「原因は内側」を正しく理解できるまでは

    苦しみの原因は他者(環境)!

    と私もずっと信じ込んでいました。

     

     

    でもこれだと困るんです。

    だって自分の苦しみの原因が他者なら、

    他者に変わってもらわないと苦悩は

    消えないということになります。

     

     

    でも人は思うとおりになんて

    変わってはくれません。

     

     

    それは私たち自身が他人が

    望むとおりに変わらないのと同じです。

     

     

    苦しみの表面

    苦しみの原因が自分の内側にあるって

    どういうことでしょうか。

     

     

    それを私の事例でご紹介します。

     

     

    今日は福岡でミスチルのドームツアー。

    家族3人分のチケットは事前に取れていました。

     

     

    しかしチケット取得後に私の心臓病が発覚。

     

     

    ライブ日が近づくにつれて

    行くかどうかずっと迷っていました。

     

     

    迷いの正体は次の2つの間の葛藤だと

    ずっと思い込んでいました。

     

    a)<今の状態で行くのはきつい、しんどい>

    という自分自身の気持ち(本音)。

     

    b)いっしょに行かないと

    「妻はすごく悲しがるだろう」

    「息子はきっと寂しがるだろう」

    という想いから来る申し訳なさ。

     

     

    とはいえ状況が状況ですから

    「やっぱ、行くのやめとくね」

    と言うのが自然な流れなはずです。

     

     

    しかし私はそれをなかなか

    言い出しませんでした。

     

     

    満たされない欲

    私たちが動揺している時、

    そこに自分でも意識できていない

    満たされていない欲(目的)

    というものが必ず存在しています。

     

     

    そしてその欲を求める程度はたいてい過剰です。

    (仏教では貪欲(とんよく)と呼ぶようです)

     

     

    その欲を満たす(目的を果たす)ために

    私たちは一直線に迷いなく進んで行きます。

    そこには実は矛盾も葛藤もありません。

     

     

    だったらさきほど私が述べた

    「葛藤」って何なのでしょう。

     

     

    非常に残念ですが、

    それは自分のほんとうの欲を隠す

    隠れ蓑に過ぎません。

     

     

    では私の欲は何だったのでしょう。

    まだこの時点ではわかっていません。

     

     

    実際に「行かない」と言ったところで

    現状が現状ですから家族は理解してくれますし、

    批判や非難なんてきっとありません。

     

     

    だったら「言えばいいじゃん!」

    って話なんですよね。

     

     

    でも私はここまで

    「言わない」

    という選択をしてきました。

     

     

    つまり

    「言わない」ことで達成したい目的

    があった。

    その目的こそが私の欲になります。

     

     

    ここまでをまとめると

    1)人が選ぶ行動の先には「満たしたい欲(目的)」がある

    2)人はその欲を満たすための手段を選ぶ

     

     

    見えにくい欲の正体

    では私の欲の正体は何でしょうか。

     

     

    それを見つけるための自問自答です。

     

    「私は(行かないと)言わないことで

    何を満たしたかった(達成したかった)のだろう?」

     

     

    自問自答の結果、答えは

    「責められたくない!」

    「ひどい!って言われたくない!」

    でした。

     

     

    つまりここで望んでいたものは

    ”心の安全・安寧”。

     

     

    この場での私の欲は

    *心の安全・安寧に資するものがほしい!

    *心の安全・安寧を損ねるものは排除したい!

    という安全欲とでも言える代物でした。

     

     

    身体や心の安全を求める欲であり、

    危険や脅威を避けたがる欲ですね。

     

     

    つまり私たちは満たしたいものに対して

    *欲を満たしたい!

    *欲を損ねるものは排除したい!

    となるわけです。

     

     

    でも、妻も子も私を責めないことは

    頭では十分理解できているのですから、

    安全欲はそこそこ満たされていたはず。

     

     

    なのにそれを怖れるって変な話なのです。

     

     

    でも私の”心”は「責められないこと」

    つまり「安全欲を満たすこと」を

    過剰に望んでいたのです。

     

     

    欲を過剰にする犯人

    既に安全欲はそこそこ満たされていた。

    なのにそれでは足りなかった。

    それ以上を過剰に求めた。(貪欲活性化!)

     

     

    では何が過剰にしたのでしょうか。

     

     

    その答えは

    頭の中の思考・記憶・イメージなどを

    意味する「認知」です。

     

     

    そのなかでも欲を過剰にするのは

    ・事実に基づいていない

    ・現実に即していない

    ・信じても良い方向には進まない

    認知です。

     

     

    たとえば

    ・自分勝手な解釈

    ・過去のネガティブな記憶

    ・未来を悲観的に予測

    ・思い込みや決めつけ

    ・独善的な判断や要求

    などです。

    (仏教ではこれを妄想と呼びます)

     

     

    さてさて私のこの時の妄想は、、、

    「心の中ではきっと責めるはずだ」

    「責められたらとうてい耐えられない」

    「手術前の自分を責めるなんてひどすぎる」

    「こんな時はもっと大切に扱うべきだ!」

    などなどを心の中でぶつぶつと…。

     

     

    仮に可能性がかなり高かったとしても

    ここには「事実」がありません。

     

     

    ですから、これ、すべて妄想です_| ̄|○

     

     

    この妄想を鵜呑みにしたとき、

    私たちの満たされない(満たしたい)欲は

    爆発的に過剰になります。

     

     

    私の例で示すと

    「もっと安全でないといけない!」

    「絶対に怖い思いをしたくない!」

    「常に安心して過ごしていたい!」

    みたいな

    もっともっと!

    が過剰な状態。

     

     

    それは決してたどり着けることのない目的地。

    常に「足りない!」に支配された状態。

     

     

    まさに渇望している状態。

    これこそが苦しみの本体です。

     

     

     

    今回の私の例では安全欲でしたが、

    ほかにも中核的な欲としては

    ●承認欲

    ●自尊欲

    みたいなものもありまして、

    そういった欲が時に過剰になっては

    私たちの心の苦しみを生んでいます。

     

     

    特に承認欲は要注意。

     

     

    なぜなら他者がいないと

    決して満たされることがないからです。

     

     

    自力では満たされない分、

    非常に満たしにくい欲なわけです。

     

     

    満たされにくいからこそ、、、

    ●スタート:渇望状態(苦悩)に陥りやすくなる

    ●「承認(理解、愛情、共感‥)がほしい!」が過剰になる

    ●必死にもらうための努力をする
    (「いい人」戦略、頑張る、我慢する、機嫌を取るなど)

    ●しかし思うようにもらえない(満たされない)

    ●被害者意識に陥る

    慢心「相手が悪い・自分は正しい」)が出てくる

    ●慢心は相手への非難や攻撃を生む

    ●関係の悪化を招く

    ●相手からの承認は激減

    ●スタートに戻る

     

     

    愛情飢餓と怒りがセットになった

    なんともたいへんな仕組みです。

     

     

    ここでも欲が過剰になっているのですから、

    そこには妄想がもれなくくっついています。

    (むしろ妄想あっての欲の過剰さ、です)

     

     

    ではここで苦しみが生まれる仕組みをまとめます。

     

    1)現実は「満たしたい欲」はほどほど満たされている

    2)しかしそこに非現実的な妄想が入り込む

    3)妄想が欲を過剰なレベルにまで強める

    4)その欲は決して満たされず渇望状態に陥る

     

    *つまりこれこそが”苦悩”そのもの

     

     

    これが苦しみを生みつづけ、

    消えることなくずっと続く仕組みです。

     

     

    終わらない苦しみ

    苦しみを生むシステムはまだ終わりません。

     

     

    満たしたい欲が満たされないと

    心の中に不満、つまり

    怒り

    が湧いてきます。

     

     

    この怒りの使いみちは、

    もちろん”欲を満たすこと”オンリーです。

     

     

    ちなみに怒りと言っても色々です。

    ・他者に向けば、怒り、悔しさ、恨み

    ・自分に向けば、落ち込み、恥、自己憐憫

    ・漠然と世の中に向けば、怖れ、絶望、空虚感

     

     

    種類としては様々なこれらの感情も、

    もとをたどればいずれも”怒り”です。

     

     

    怒りは本来

    脅威(現実的な危険)と闘って身を守る

    ための感情ですからそれ以外で使うと

    むしろ悪影響が出ます。

     

     

    怒りという感情に反応して行動すると、、、

    ・相手に向けてしまえば相手が傷つく

    ・自分に向けてしまえば自分が傷つく

    ・この世界に向けてしまえば希望が失われる

     

     

    これでは欲がほどほど満たされるどころか

    かえって渇望(苦しみ)を増やすだけ。

     

     

    そこには救いがなく、

    悪循環を強めるだけです。

     

     

    では今回の記事を全体的にまとめます。

     

    1)現実:満たしたい欲はほどほど満たされている

    2)妄想:しかしそこに非現実的な妄想が入り込む

    3)貪欲:妄想が欲を過剰に強める

    4)渇望:欲は満たされず「足りない」状態に陥る

    5)怒り:怒りで”反応的”に満たそうとする

    6)結末:かえって満たされず渇望が強まる→妄想に戻る

     

     

    ではこの悪循環からどうやって抜け出せばいいか。

    それは来月のグループセラピーで扱いますので、

    そのグループ終了後にでも載せようと思います。

     

     

    とはいえそれで記事を終わっちゃうと

    苦しみを取り除こうにも

    なにしていいかわからないですね。

     

     

    ということで

    すぐにでもできる簡単な対処法だけお伝えします。

     

    1)動揺している自分に気づく

    2)からだに意識を向け、力を抜いて深呼吸

    3)体験を事実と自分の反応に分けて書き出す

    (事実としての出来事と、自分の考え(妄想)・感情(怒り)・行動)

    4)自分が満たしたい欲を明確にする

    5)欲の程度を客観的に見つめる

    6)欲の過剰さ(貪欲)に気づいたら笑い飛ばす

    7)欲を現実的なレベルに設定しなおす

    8)するとすでにそこそこ満たされていると気づく

     

    まずはこのあたりからいかがでしょうか。

     

     

    さいごにごあいさつ

    では今日から連休明けまでお休みをいただきます。

    そのときに元気にお会いできることを夢見ています。

     

     

    万が一、、、なんてことがあっても、

    これからも自分の居場所からずっと

    生きとし生けるものの幸せを願っています。

     

     

    あなたの心の苦しみが取り除かれますように。

    それがあなた自身の手によって成し遂げられますように。

    そしてそこにあなたの大切な仲間がいますように、

     

     

    私はそれを心から祈っています。

     

     

    2019年04月21日(日)

    自分を本当に満たしてくれるもの

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

     

    最近必死に取り組んでいることがあります。

     

     

    それは会員のみなさんが居場所さえあれば

    あとは自力回復できるようになるための

    マニュアル作りです。

     

     

    今日はその概要をお伝えしようと思います。

     

     

     

    1.問題の全体像を把握する

    まずは「生きづらい」というその現状を

    はっきりと構造化することから始めます。

     

     

    ①現状:自分は何に困っているのか?

    ②目標:それがどうなることを望んでいるのか?

    ③解決努力:そのために何をやってきたか?

    ④効果:それはうまくいったか?

     

     

    ひとまずこういった自問自答で

    自分なりに認識している「問題」を

    構造化します。

     

     

     

    2.手段の目的化に気づく

    ではさっきの構造化に基づき、

    ②の自分の望みを直接的に目指せば

    いいかというとそうではありません。

     

     

    ありがちな訴えを

    さきほどの順番にしたがって述べてみます。

     

    ①現状:人から嫌われてばかりでつらい。

    ②目標:人から嫌われない自分になりたい。

    (できれば好かれたい)

    ③解決努力:愛想よく振る舞う、自己主張を控える

    ④効果:「いい人」と言われるけど親密にはなってもらえない。

     

     

    ②の目標を手に入れようと

    ③で頑張る努力には強いパワーを感じますが、

    ④で結果を見るとあまりうまくいっていないようです。

     

     

    この例は意外に陥りがちなパターンでして、

    実はわたしたちが欲している目標は

    目的ではなくそれを満たすための手段

    であることが多いのです。

     

     

    この例でいえば

    「嫌われたくない(好かれたい)」

    は目的ではなくて手段なのです。

     

     

    だからうまくいかないのです。

     

     

    このように手段にすぎないものを

    目的と勘違いすることを

    手段の目的化

    などと呼んだりします。

     

     

    これを解決したいときは、

    この手段の先にある

    目的(ほんとうにほしいもの)

    を明確にすることが大事です。

     

     

     

    3.ほんとうにほしいもの

    さっきの例を使います。

     

     

    この方には

    「嫌われない(好かれる)」という手段を通じて、

    その先にほんとうにほしいものがあるはずです。

     

     

    ここでいう「ほんとうにほしいもの」とは

    単純なwants(ほしい)

    ではなく

    欠かせないneeds(必要)

    を意味します。

     

     

    ACという概念から見る大切なニーズとは

    たとえばこんなものです。

     

    ★安心安全

    ★つながり(絆、受け入れてもらっている感覚)

    ★基本的自尊感情(条件付けがいらない自尊心)

    ★希望

     

     

    さっきの例の方は

    「嫌われない(好かれる)」を通じて

    こういった大切なものを求めている

    のではないかと思います。

     

     

     

    4.目的を満たすための手立て

    「ほんとうにほしいもの」が分かれば

    ようやくそれを満たすための手段を

    明確にすることができます。

     

     

    たとえば

    「嫌われない(好かれる)」の目的が

    「ちゃんとつながりたい」であれば、

    これまでの努力とは正反対の行動が

    必要だとわかります。

     

     

    たとえば

    *自分の本音をオープンにする

    *自分の弱点をさらす

    *嫌なときは「嫌」と言う

    などなど。

     

     

    総じて言えば

    「良い人(のふり)やめよう!」

    ってところでしょうか。

     

     

     

    5.生き方を変えるための支え

    とはいえこれまでと正反対のことを

    いきなり自分の努力だけでやるのは

    あまりにもたいへんすぎます。

     

     

    そこで必要なものが

    仲間

    です。

     

     

    人が悩んでいるときは大抵

    「こんななってるのは自分だけ…」

    と捉えがちです。

     

     

    しかしほんとうは周りには

    同じような悩み苦しみを抱えた人は

    意外にごろごろいるものです。

     

     

    その仲間とのつながりのなかで

    感情体験を共有する。

    それが自尊心や勇気を生みます。

     

     

     

    さいごに

    ACの課題は人間関係の課題と言えます。

     

     

    そのぶん人を避けがちになることも

    あるかと思いますし、

    自分だけでなんとかしようと

    躍起になることもあるかと思います。

     

     

    でもいくら回復のやり方がわかっていても、

    「人間関係の課題」である以上自力だけでの

    回復は困難でしょうね。

     

     

    勇気は必要かと思いますが、

    どうかあなたが生きやすくなるために

    安全基地を求めてほしいと願っています。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2019年04月13日(土)

    「私は愛されていない」の嘘

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

     

    今回の写真はうちの卒業生の方が

    実際に現地で撮ってきてくださった

    貴重な写真です。

     

     

    このお墓に眠っている方は

    私にとっての心の師匠のひとり、

    アルフレッド・アドラー先生です。

     

     

    近年は『嫌われる勇気』という書籍で

    名前をご存知の方も多いかもですね。

     

     

    手術を控え、不安も出てきた昨今、

    とても大きな支えになりました。

     

     

     

    すでに愛されている

    ありがたいことに、

    このほかの卒業生の方からも

    勇気をたくさんいただいています。

     

     

    ある方はわざわざ神社でお守りを

    いただいて渡しに来てくれました。

     

     

    またある方は自分が出産直後で

    たいへんなのに、心配とねぎらいの

    メールを送ってきてくださいました。

     

     

    またある方(ピアニスト)は

    わざわざ私宛てにピアノの弾き語りを

    録音して送ってくださいました。

     

     

    卒業してまでブログを読んでおられたこと、

    私のことが記憶にずっと残っていたこと、

    そして心配までしてくれていたこと。

     

     

    心底驚きました。

    そして思いました。

     

     

    「自分って気づいていないだけで、

    知らないところで愛されてるんだな~」

    って。

     

    うちは厳しさもあっただろうに(汗)

     

     

    もちろん家族も心配してくれていますし、

    カウンセリングのお師匠さんも手術が

    成功するよう力添えしてくださっています。

     

     

     

    「愛されていない」の嘘

    今では「愛されている」と感じられますが、

    以前はそれこそ

    「自分なんてどうでもいい人間」

    「誰も俺に本当は興味ない」

    「死んだってどうせ誰も悲しまない」

    なんていじけていた時代もありました<(`^´)>

     

     

    でもね、これ、嘘だったんです。

     

     

    どういう意味かというとそもそも

    「愛されていない」自体が嘘なんです。

     

     

    「愛されていない」と思う仕組みを知れば

    それが嘘だとわかります。

     

     

    ここから心の内側に突っ込んでいきますので、

    自分の心の影(負)の部分と向き合いたくない方は

    以降は読まないことをお勧めします<(_ _)>

     

     

    それでは本題です。

     

     

     

    「愛されていない」の正体

    実は私たちは、

    たとえ一つ一つは小さくても、

    いろんな人たちから関心、ケア、心配を

    日々いただいているものです。

     

     

    でも「愛されていない」に

    囚われているとそれが見えません。

     

     

    なぜ見えないか。

     

     

    それは

    自分が望むほどにはもらえていない

    からです。

     

     

    しかしその「望むほど」の程度が

    たいていは「む~り~」なレベルなんです。

     

     

    ●「みんなから」愛されたい

    ●「誰よりも」愛されたい

    ●「いつでも」愛されたい

    ●「どこでも」愛されたい

    ●「私が『愛されている』と心底

     感じられるほどに」愛されたい

     

     

    そうなんです。

     

     

    私たちが「愛されていない」と

    感じる原因は相手の問題では

    ないんです。

     

     

    実は自分自身の「愛されたい欲」

    過剰に肥大化しているからなんです。

     

     

    たとえばこんな2人を想像してください。

     

    ある人はこう言います。

    「うちの子は親の話ろくに聞かないけど、

    元気に生きてくれているから幸せ^^」

     

     

    ほかのある人はこう言います。

    「うちの子は私の話を時々聞いてない!

    なんでも私の言うこと聞いて!」

     

     

    さてここで問題です。

    子どもの在りようという外的条件は同じですが、

    苦しんでいるのはどちらでしょうか?

     

     

    おそらく後者でしょう。

     

     

     

    「愛されていない」のではなく”渇望”している

    すでにあっても求めがそれを越えていれば

    いつだって

    「足りない!」

    になってしまいます。

     

     

    「足りない!」と思えば思うほど

    「ほしい!」という渇望は強まります。

     

     

    その渇望はさらなる「足りない」を生み、

    やむことのない渇望の悪循環はつづきます。

     

     

    でもどれほど求めても

    人には限界があります。

     

     

    そしてその人それぞれの

    事情というものがあります。

     

     

    それは親(子)であろうが

    夫(妻)であろうが同じです。

     

     

    人は意外と自分のことで手一杯なんです。

     

     

    もちろん自力で生命維持ができない

    胎児や乳幼児であれば話は別ですが、

    自分で生命維持できる人間を他者が

    自分を後回しにしてまで満たすなんて、

    もしやっていたらそれこそ不健康です。

     

     

     

    渇望に至った理由

    ではそもそもなぜ

    「足りない!」

    の渇望状態に至ったのか。

     

     

    大きくは2つです。

     

     

    一つ目は私たちACの成育歴に関係します。

     

    *大切に扱ってもらえなかった

    *恐怖や恥ばかり与えられた

    *無関心だった

    などなど

     

     

    子どものころに

    「ほしい」レベルを越えた

    「必要!」レベルのニーズを

    満たしてもらえなかった。

     

     

    つまり

    満たされなさ過ぎた

    ことが渇望をつくった一つの理由です。

     

     

    あともうひとつ。

    それはさきほどとは打って変わって

    満たされすぎた

    ことによる渇望です。

     

     

    過保護・甘やかし・過干渉などが

    それに該当しますが、人はあるものを

    もらいすぎるとそれがいつの間にか

    「ふつう」いわゆる「当たり前」

    になるものです。

     

     

    しかし社会では家のなかで

    もらえたほどの関心やケアを

    もらうことはできません。

     

     

    その結果

    「足りない!」となって

    渇望状態に陥るわけです。

     

     

     

    渇望から抜け出すために

    この悪循環のままだと

    ずっと「足りない」「ほしい」に

    支配された人生です。

     

     

    それはとても苦しいことです。

     

     

    ここから抜け出すにはどうすればいいか。

     

     

    悪循環と逆のことをやるといいですね。

    たとえばこんなこと。

     

    ①些細かもしれないけど、

    すでに愛されている証拠を日々探索する

     

    ②「愛されていない」が強まったときは、

    「自分は相手に何を要求しているんだろう?」

    と自問自答する。

    (このとき自分の本音を欺かないのがポイント)

     

    ③相手に対する自分の要求がわかったら、

    「それって現実的?そもそも可能?」

    と現実とすり合わせる。

     

    ④たいていその要求は過剰ですから、

    「無理なものを求めていたんだ」と自分を諫める。

    もし可能なら「そりゃあ、むりだ(≧▽≦)」と笑い飛ばす

     

    ⑤人から満たしてもらう代わりに

    自分で自分を満たすことをやる。

     

     

     

    「自分を満たす」の注意点

    小さくていいから自分が

    「いい感じ」になることを増やしたいですね。

     

     

    とはいえ

    ●コスト(経済的・時間・労力)がかかる

    ●副作用がある

    ●周りに害を及ぼす

    ものは見なおした方がいいかもです。

     

     

    この言わば「愛されたい病」を治すには

    仏教でいうところの

    知足(足るを知る)

    が必須です。

     

     

    知足が身に着くと、

    周りへの感謝が生まれます。

     

     

    周りへの感謝が生まれると、

    人づきあいがとても楽になります。

     

     

    そこに生きやすさがあります。

     

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2019年04月11日(木)
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