アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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    いつもありがとうございます。

    トリフォリの高澤です。

     

    支援者となって16年ほど経った私も、

    もとは家族トラウマの影響を抱えていました。

     

    トラウマ症状は主に3つありますが、

    昔の私も多分に漏れずその症状を

    抱えておりました。

     

    ①フラッシュバック

    ②神経の過剰な覚醒

    ③フラッシュバックを避けるための

     感情麻痺や刺激の回避

     

    特にしんどかったのが①のフラッシュバック。

     

    子ども時代から思春期までの中で

    わが家で起こった傷つき体験が

    意図しないのに突然

    記憶としてよみがえっていました。

     

    そうなるととても苦しいのですが、

    その記憶を追いやることができない。

     

    これはとてもしんどかったです。

     

    そんな私もお陰さまで今では昔のわが家を

    むしろ懐かしい思い出とできていますし、

    両親のことも愛おしい存在と感じますし、

    あの家に生まれてよかったとも思います^^

     

    もちろんフラッシュバックというものは

    一切ありません。

     

    気づかない傷の蓄積

    過去のトラウマとはおさらばし、

    愛する家族や友人にも恵まれ、

    信念をもってやれる仕事もできている。

     

    とても穏やかで楽な暮らしを送ってきた

    私だったのですが、ここ最近、ある知人の

    方が為してきたこれまでの言動の記憶が

    意図しないのに突然

    よみがえって苦しくなるときがあります。

     

    しかもそれは「怒り」ではなく「痛み」。

     

    でもその方は一般的には人にやさしい人と

    いう認識でしたから、どうしてそうなるかが

    ずっと自分でも不思議でした。

     

    「自分がおかしいのかな?」

    「神さまが自分の課題として示してるのかな?」

    なんてことまで思ったりして。

     

    しかしよくよく振り返ってみて気づきました。

     

    その方のコミュニケーションには、

    復讐的コミュニケーションというものが

    含まれていたことに。

     

    人は人とコミュニケートするとき、

    「ここはこうしてほしい」

    「これはしないでほしい」

    という依頼を主張することがあります。

     

    その伝え方には4つのやり方があります。

     

    ①主張的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えるが、

    相手を傷つけない伝え方をする。

    (これが理想的ですね)

     

    ②非主張的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えないが、

    相手のことも傷つけない。

     

    ③攻撃的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは伝えるが、

    相手のことを傷つける。

     

    ④復讐的コミュニケーション

    自分の伝えたいことは引っ込める一方、

    相手を傷つけるやり方をする。

     

    私が子ども時代にわが家でしょっちゅう

    喰らっていたやり方は

    ③の攻撃的コミュニケーション。

     

    怒鳴ったり、叩いたり、侮辱したり。

     

    このコミュニケーションのやり方だと

    自分が傷ついていることに気づくことが

    できます。

     

    しかし④で挙げた復讐的コミュニケーション

    だと自分が傷ついていることに気づけません。

     

    だけど痛みだけは感じるので、防衛的に

    なります。(周りには攻撃的に見えます)

     

    何に傷ついているのかに気づけないと、

    それに対処することもできません。

     

    対処することができないと、

    その苦しさもそのままです。

     

    復讐的コミュニケーションは

    「主張しない」

    という特徴がありますから、

    された側が自分が傷ついていることに

    とても気づきにくいのです。

     

    やさしい虐待

    かつての相談者の多くはあからさまに

    よろしくない関わりをする家庭で

    育っていました。

     

    暴力、暴言、無視、ケアをしない、辱めなど。

     

    でも最近ではこういった相談よりも、

    違った相談のほうが多くなっています。

     

    たとえば

    「アダルトチルドレンという人たちと

    同じような症状があるのですが、

    でも私は親に愛されてきたと思うし、

    虐待も受けていないんです。

    だから相談してはいけない人間かも

    しれません」のように。

     

    しかし話を聴いていくと、

    言葉としては親が発していたものは

    「あなたのために」

    「あなたが大事だから」

    といった形のコミュニケーションでは

    あるものの、された側はそれがどうにも

    息苦しい。

     

    だから「ノー(嫌だ)!」を主張する。

     

    だけどそうすると

    「そんなつもりじゃないのに…」と

    被害者の立ち位置に立たれる。

     

    その結果、

    「自分が悪いんだ」

    「自分がおかしいんだ」

    といった偏った考え方がでてくる。

     

    これはとても厄介な悪循環ですね。

     

    さらに厄介なのは、この復讐的な

    コミュニケーションを用いる本人が

    そのことに気づいていないことです。

     

    やっている側も、やられた側も

    気づけない。

     

    これってお互いにとって

    とても不幸なことではないでしょうか。

     

    ところでこのありようって、

    まさに過保護や過干渉の典型ですね。

     

    だからでしょうか、過保護・過干渉を

    やさしい虐待

    と呼ぶ方もいるくらいです。

     

    傷つきへの対処法

    さて、ここで示してきたように、

    どうやら私は冒頭の方との関係での

    ダメージが蓄積していたようです。

     

    それに気づかずにきたため、

    ここ最近軽いフラッシュバック

    状態に陥っていたようで_| ̄|○

     

    現実的に少し距離を取るという

    対処法もありますが、その選択は

    事情が許さないと難しいですね。

     

    そう考えると、子ども時代に親との

    関係でトラウマを受けてきたうえに、

    現時点でもその親との関係で苦しみが

    続いていたとしたら、そのしんどさは

    5倍10倍と大変なものではないでしょうか。

     

     

    ちなみに

    *怒り

    *傷つき(痛み)

    には違いがあります。

     

    怒りはその相手が目の前から

    いなくなれば収まりますが、

    傷つきは相手がいないときにも

    その苦しさはつづきます。

     

    これこそがフラッシュバック

    なのかもしれません。

     

    さてさて、この苦痛をそのままに

    しておくのはさすがにしんどい。

     

    ということで、ここから何回かに分けて、

    私がこの傷つきにどう対処しているかを

    お伝えしていきます。

     

    トラウマ対処のお話です。

     

    ではまた次回お会いしましょう(*^^)b

     

     

     

     

     

     

    *

     

     

     

    2017年11月06日(月)

    「変わりたいのに変われない」

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    写真は先週末に参拝した恋木(こいのき)神社です。

    筑後船小屋(福岡)あたりにある神社で、

    恋愛の神さまとして有名らしいです。

     

    息子も今両想いの女の子がおりまして、

    「もっと仲良くなれるように!」

    とお願いしておいでと後押ししてみました(^^;

     

    若き女子たちがたくさん訪れていましたよ。

    恋する乙女はぜひ!

     

     

     

    ところであなたは

    「自分をかえたい!」

    と思うことがありますか?

     

    私はその昔、いろんなところを変えたくて、

    自分なりに必死にいろんなことに取り組みした。

     

    しかし結果は惨憺たるもの。

     

    いや、むしろ悪循環のほうが多かったような( ̄▽ ̄)

     

    仕組みを知らないと、

    自分を変えたくてもなかなか変えられないんですね。

     

    ということで、今回は私のことを事例に使って、

    人が変わらない仕組みと、

    それを変えていくやり方をお伝えします。

     

    変えたい自分

    当時私が変えたいと思っていた中でも特に

    *道徳に反する行為をしている人を見ると猛烈に腹が立つ。

     だけど、ちゃんと注意したくても怖くて注意できない自分

    を変えたいと願っていました。

     

    それができない自分が大嫌いで、

    「意気地なし!」

    「臆病者!」

    「卑怯者!」

    なんて考えがいつも頭をよぎっていました

     

    例えばこんなエピソードがありました。

     

    【出来事】

    電車の中で10人くらいの大学生らしき集団が

    大声で騒いでいる。

    周りの人は露骨に嫌な顔をしているが、

    当人たちは気づいていない様子。

     

    【望み(目標)】

    できることならマナーを守らせたい

    (言い換えると「過ちを正したい!」)

     

    【それを実現するための行動(手段)】

    (本当は口頭で注意したいけど怖くてできないので…)

    席に座ったまま睨みつける

     

    【結果】

    何も変わらない。つまり失敗…

     

    そしてまたいつもとおなじように

    「あー、やっぱり俺は意気地なしの臆病者の卑怯者だ…」

    という考えが浮かぶ。

    その考えを鵜呑みにした結果、気分が落ち込む…

    の悪循環。

     

    さて、この流れのままに自分を変えようとすると

    *もっと強くならなくちゃ!

    とか

    *怖がっちゃダメだ!

    とか
    *注意できる強い男にならなくちゃ!

    という目標に向けて突っ走ってしまいます。

     

    その方向もアリかもしれませんが、

    それだと今の自分を否定したままですし、

    動機づけが恐れですのでなかなか行動に至りません。

     

    ところで私はこの変な仕組みをどうやって

    身につけたのでしょう…

     

    仕組みの大元

    さっきのような場面に遭遇するたび、

    不思議といつも昔のある場面が脳裏をよぎっていました。

     

    【出来事】

    5歳くらいの自分。

    怖がりの私を兄と姉が羽交い締めにして、

    ホラー映画が流れテレビ画面に押し付けている。

    「弱虫」「ビビリ」「気持ち悪い」と

    笑ってはやし立てている。

    怖さと悔しさで「やめろー!するなー!」と

    暴れながら泣き喚く自分。

    両親は口では「やめなさいと」と言っているが

    笑ってばかりで助けてくれない。

    兄と姉はさらにエスカレートしていく。

    (映像はここで終了)

     

    この体験を先ほどの大学生との事例みたく分解してみました。

     

    【目標】

    嫌なことをやめさせたい

    (=過ちを正したい)

     

    【手段】

    大暴れ+「やめろーっ!」と泣き喚き

    (直接的な反撃)

     

    【結果】

    むしろエスカレート。つまり失敗…

    そしてこんな思い込みをつくりました。

     

    ・「自分は無力」

    ・「人は平気で嫌なことをする」「信用ならない」

     「誰も助けてくれない」

     

    さらにこの体験からこんなものも得ました。

     

    【教訓】

    「強くならなくちゃいけない!」

    「人をあてにしてはいけない!」

    「自分のことは自分で守るしかない」

    「危険は自力で排除しないといけない!」

     

    これって先ほどの大学生との事例と丸かぶり…。

     

    もしかすると今の生きづらさは、

    子ども時代の問題への対処の仕方を

    大人になった今も使っているから、

    ということなのかもしれません。

     

    そこで改めて大人になった自分で

    「自分は何を変えれば自分を助けられる?」

    と考えてみました。

     

    その結果は、、、

     

    自分の何を変えればいい?

    感情の使い方を変える

    当時の自分は本当は怒っていたわけではなく、

    悲しかっただけ。

    だからこれからは同じような場面では

    怒りを使うことをやめて悲しみを利用していく。

    (大学生の事例みたいな場面だと

    <残念>も活用できそうです)

     

    フォーカスを当てる対象を変える

    不快なのは自分自身だから、

    フォーカスは相手ではなく自分に当てる。

    相手を変えようとするのをやめて、

    代わりに自分で自分の気持ちをなだめられる

    自分助けのワザを身につける。

     

    対処行動の仕方を変える

    ・直接的な害がないときは、

     自分からその場を離れる(タイムアウト)

    ・害が直接自分に及んだ時には、

     冷静に「やめてくれますか?」と依頼する(アサーション)

     

    このやり方は、前のよりは大人の対応ですし、

    これができると

    「自分ってそんなに悪くない♪」

    と思えそうですね。

     

    ということで、こんなことに取り組んできた結果、

    同じような場面でもいまではしんどさ2割程度!

    くらいには減りました。

    かなり楽です~^^

     

    改めて「自分を変える」ということ

    私たちは自分の劣等感に直面した時、

    それを

    「変えなくちゃ!」

    と考えがちではないでしょうか。

     

    しかし実は、劣等感の強さは

    「理想の高さ」

    と正比例関係なのです。

     

    見直すべきは劣等感ではなく、

    この「理想像」なのだと思います。

     

    たとえば「弱い自分はダメ」と

    劣等感を感じている私が、、、

     

    「せめて『嫌だ』くらい言えるようになる!」

    程度の目標だと現実的ですね。

     

    一方それが

    「恐れを感じない自分になる!」

    だとさすがに到達困難。

     

    このままでは強い劣等感にさらされ続ける

    ことになってしまいます。

     

    ということで、この

    理想の自分

    が過度になっているのであれば、

    そこを再検討することが

    ありのままの自分を愛する

    という自己受容につながっていくのだろうと思います。

     

    私たちはもう大人ですもの。

     

    子ど時代のやり方を手放し、

    今の自分の持てる力を活用すれば、

    多くの生きづらさは解決できると

    私は確信しています。

     

    そうやって、生きとし生けるものすべてが

    幸せになれると素敵だなぁと願うばかり(^^)

     

     

     

     

     

    2017年10月10日(火)

    「いつも不安です…」

    おはようございます。

    福岡は今日は雨模様。

    夏はどこかへ行ってしまったようです(涙)

     

    私は子どもの頃から雨が降ると憂うつになっていました。

    今はおかげさまで少し気分が落ちる程度ですが、

    昔々のその昔は消えたくなるほど憂うつになることも( ̄▽ ̄)

     

    気分・感情は人の行動に強く影響するようですから、

    感情と上手にお付き合いしたいものですね。

     

    そんな感情ですが、人が生きづらくなっているとき、

    大抵は次の3つが影響しているようです。

     

    ①不安・・・未来を憂いているときの感情です。

    ②怒り・・・今、ここで感じている感情です。

    ③うつ(落ち込み)・・・過去を嘆いているときの感情です。

     

    *個人的には昨日お伝えしたシェイムは

    ③そのものとみなしています。

     

    さて、怒りは「今、ここ」の感情ですので

    対処にはひと工夫が必要です。

     

    しかし不安は「自分が」未来を憂いて

    作り出している感情ですので、あることを

    続けていればさほど影響を受けなくなります。

    (うつもほぼ同様です)

     

    そのあることとは、

    不安を招くような「考え」を手放すことです。

    浮かんでも放っておく。

     

    不安は必ず認知(考えやイメージ)とセットに

    なっていますので、考えを手放せば自ずと不安も

    出てこれなくなるというわけです。

     

    不安を作り出す認知の代表格は「たられば」。

    ・「嫌われたらどうしよう」

    ・「笑われたらどうしよう」

    ・「拒絶されたらどうしよう」

    ・「攻撃されたらどうしよう」

    ・「怒られたらどうしよう」

     

    いくらでも作り出せるので、不安は解消できない

    とんでもない化け物のように思えるかもしれませんが、

    実はその手前にある考えを手放すことができれば、

    不安は出てきたくても出てこれないんですよ。

     

    考えを手放す方法にご興味ある方は、

    *マインドフルネス

    *アクセプタンス

    *森田療法の「あるがまま」

    といったキーワードで調べてみてはいかがでしょう。

     

    いずれもすごく地味な作業ですが、

    パワフルさも結構すごいです!

    ただ、その手前で

    自分のなかのいい感じ

    を育てるともっとパワフルですよ^^

     

     

     

     

     

     

     

    2017年09月07日(木)

    苦しみの原因

     

    おはようございます。

    トリフォリの高澤です。

    いつもありがとうございます。

     

     

    今日のテーマは「苦の原因」です。

     

     

    私は特定の信仰は持ちませんが、

    お釈迦様の仏教は大好きです。

     

     

    仏教というと日本ではお葬式や念仏を唱える

    といったイメージが浮かびがちですが、

    お釈迦様の教えはそういったものではなく、

    「問題解決」のプロセスそのものです。

     

     

    ①生きることはそもそも苦である

    ②その苦しみは自分の欲が引き寄せている

    ③その欲を滅する方法はある

    ④具体的な方法の提示(仏教では八正道)

     

     

    このプロセスは日常生活や人間関係上の

    問題解決技法そのものです。

     

     

    たとえば人間関係の問題なら

    ①困っていることは何か?

    ②その問題を維持している自分の課題は何か?
    ※相手のせいにしていればそれ自体が課題

    ③それは〇〇に取り組めば解決できる

    ④実践あるのみ

     

    こんな感じでしょうか。

     

     

    さてさて、世の中に苦があることは大前提。

    生きていれば誰だっていろいろありますね。

     

     

    どんなに懸命に生きていても、

    誰だって年を取って老人になるし、

    かかりたくなくても病気にもかかるし、

    嫌でもいつかは死ぬし。

     

     

    苦しいですね。

     

     

    それだけでなく、生きていれば

    大切な人と離れねばならないこともあるし、

    嫌いな人と会わねばならないこともあるし、

    強く求めても得られないものはたくさんだし、

    そもそも自分自身思うようにならないし。

     

     

    こういった苦しみはすべての人が

    嫌でも出会うものです。

     

     

    ではこういった苦しみが私たちを

    苦しめているかというと、実は

    そうではないようです。

     

     

    この誰しも逃れられない苦しみ

    「全部避けよう!」

    と目を背けたり逃げ出したり。

     

     

    あるいは

    「取り除いてしまおう!」

    変えられないものを変えることに

    躍起になったり。

     

     

    これが苦を生み出すのだと

    言われています。

     

     

    つまり自分ので苦しむのが人間…

    ということなのでしょうね。

     

     

    ではどうすれば私たちは苦しみから

    脱却できるのか。

     

     

    おさらいすると、まず苦の原因が

    「変えられないものを変えたい!」

    というでした。

     

     

    であれば、まずは

    これは変えられるもの?

    それとも変えられないもの?

    を見分けることが初めの一歩

    ではないでしょうか。

     

     

    たとえば

    「誰からも嫌われたくない!」

    「みんなからよく思われたい!」

    という強い承認欲があったとします。

     

     

    もちろん願うことは自由です。

     

    しかしここには二つの選択肢があります。

     

     

    ひとつめ。

    「それは変えられない」と悟って脇に置く。

    代わりに「変えられるもの(自分)」を変えていく。

     

     

    つまり、人からの承認に依存せず、

    自分で自分を愛して生きる道。

     

     

    ふたつめ。

    「それでも変えたい!」という欲を握りしめ、

    「変えられないもの(相手)」を変えることに

    エネルギーを注いでいく。 

     

     

    つまり、人からの承認に依存し、

    自分を敬うことを後回しにして生きる道。

     

     

    どちらも選べます。

     

     

    但し、どちらを選ぶかによって

    人生は大きく違ってくると思います。

     

     

     

     

     

     

     

     

    2017年05月25日(木)

    ふたつの「許せない」

     

    おはようございます。

    トリフォリの高澤です。

    いつもありがとうございます。

     

     

    今日のテーマは「ゆるし」です。

     

     

    昔ひどく短気だった私も今はお陰さまで

    ちょっとイライラすることはあっても、

    すごく腹がたつ!ということはほぼなくなりました。

     

     

    ですが、ごくたまにスルーできないほど

    腹がたつこともあります。

     

     

    そういうときってたいてい

    「自分は正しい!」

    「相手が間違っている!」

    に陥っているとき。

     

     

    自分の価値観に反するものに触れたときとも言えます。

     

     

    人は一旦怒りの波に浸かってしまうと、すぐに脱却!

    というのがとても難しいですね。

     

     

    ということで、私は端から無駄に怒らないよう

    工夫してることがあります。

     

     

    ひとつは息子に

    「おと〜ちゃ〜ん♪おおめにみてあげて〜♥」

    と笑顔で可愛く語りかけてもらった動画を観ること。

     

     

    苛立ちそうな時は事前にそれを見てクールダウン。

    それ観ると怒るどころかむしろニヤニヤ(^^;

     

     

    もうひとつは最近始めたこと。

     

     

    カウンセリング時に仏陀像の顔写真がアップで

    写っているクリアファイルを置いておくこと。

    (相手はちょっと引くかも…)

     

     

    これは「怒らない工夫」というよりも、

    より「穏やかでいられる工夫」と言えます。

     

     

    目の前で穏やかなご尊顔のお釈迦様が

    見ておられる!という意識になって、

    その畏れ多さからいつも以上に穏やかな

    気持ちでいられます<(_ _)>

     

     

    あなたはいかがでしょうか。

    怒りに苛まれることは多いでしょうか。

    それとも心穏やかなことが多いでしょうか。

     

     

    怒りはエネルギーを消耗しますから、

    それが必要以上に出てこなくなると楽ですね。

     

     

    さてさて、そもそものお話になりますが、

    なぜ人は人に腹をたてるのか?ということ。

     

     

    それは多くの場合、相手に「自分の理想像」を

    押し付けていることによって起こります。

     

     

    「相手が自分の理想通り(=完全)なら許す」

    だから受け入れる。

     

    だけど 「自分の理想通りでない(=不完全)なら許さない」

    だから怒る。

     

    という仕組みです。

     

     

    愛着に傷を持つACは、ふたつの「許さない」で

    引っかかることが少なくありません。

     

     

    ひとつは「過去の親の所業が許せない」

    もうひとつは「ダメな自分が許せない」

     

     

    過去の親も、現在の自分も許せない。

    つまり親にも自分にも「完全」を求めている状態。

     

     

    自分や他人の不完全さ、不十分さに寛容になれたら、

    きっと怒りに身を焼かれることはなくなります。

     

     

    許せない人に怒りをむけたり、恨んだり、

    責めたりするよりも、そのエネルギーはまず

    不完全な自分を許す

    ことに向けてほしいと願わずにはいられません。

     

     

    私が敬愛する今は亡きアルバート・エリス

    大先生はかつてこう仰ったそうです。

     

     

    『人は過ちを犯すもの』

     

     

    人は誰しも不完全。

    それなのに完全を求めてしまうのは酷な気がします。

     

     

    とはいえ「許す」には勇気が必要です。

    だからといって孤軍奮闘で勇気を出すのも至難の業。

     

     

    ひとりで勇気を出すのが厳しいなら、

    仲間がいれば出しやすいかもしれませんね。

     

     

    自分も親も許せない方は、勇気を持つための

    下準備として、まずは仲間(味方)探しから

    始めてみるといいのかもしれません^^

     

     

     

     

     

     

     

     

    子どもたちが子どもらしく、その子らしく生きられますように。

     

    2017年05月18日(木)
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