アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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    こんにちは。

    高澤信也です。

     

    今日のブログの内容は

    子育て応援メルマガに載せたものを

    一部修正して載せています。

     

    それでは以下、本文です。

     

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     

    突然ですが

    「あなたはわが子を愛していますか?」

     

    多くの親御さんの答えは「イエス」だと思います。

     

    ですが、もしその愛がかえって

    わが子を苦しめているとしたら・・・。

     

    今回はそんなお話です。

     

     

     愛が子育てを妨げるとき

    親子関係に限りませんが、

    近しい関係性のおいてその関係を損なうものは

    ほとんどが次の3つの要因によります。

     

    1)欲(執着)

    愛着に囚われ相手との境界線を越えた状態

    (極端なものは“二人で一人”のニコイチ)

     

    2)怒り

    思い通りにならない他者に「変われ!」を望む感情

     

    3)無智

    その場の感情的判断に流され、

    自分の行為の結末を賢明に判断できない状態

     

     

    これを子育てになぞらえて考えてみます。

     

    ちょっと表現がどぎついかもしれませんので

    その点あらかじめご容赦ください。

     

    <追記>

    子育て中の方は

    下記をそのまま読んでもらうとよいです。

     

    AC当事者の方は「わが子」を「(大切な)相手」に、

    「親」を「自分」に読み替えてみてください。

     

    援助職の方は「わが子」を「相談者」に、

    「親」を「自分」に読み替えてみてください。

     

    ・・・・・・・

     

    【欲/執着】

    わが子が可愛いあまり、過剰に子どもを

    甘やかしたり過度に世話をしたりする。

     

    「かわいそう」

    「嫌な思いをさせたくない」

    「代わりにやってあげなきゃ」

    のように。

     

    しかしこのとき自分でも

    意識できていない真の求め(欲)は

    「子どもから愛されたい」

     

    それを満たすために子どもを過保護に扱う。

    だから執着してしまう。

     

    そして叱ることが必要な場面でも、

    子どもが嫌がるからと必要なことが言えなくなる。

     

    ・・・・・・・

     

    【怒り】

    しかしどんなに子どもに執着しても

    子どもは「自分らしく」あろうとする。

     

    その子のありようは執着する側からすると

    「私を愛していない」

    という痛みの感覚をもたらし、

    思い通りにならない子どもに怒りが湧いてくる。

     

    この怒りが直接子どもに向いたとき、

    子育てが侵入的、操作的、支配的なものへ変容していく。

     

    その先では虐待にまで至る可能性もある。

     

    一方、子どもが思うようにならない責任を

    他者に向けることもある(むしろ多い?)。

     

    たとえば児童期であれば、

    思い通りにならないわが子のありようの責任を

    「学校が悪い」「教師が悪い」

    といった具合に。

     

    矛先こそ代わっても、

    結局は「思い通りにならない」から来る怒り。

     

    ・・・・・・・

     

    【無智】

    わが子に執着し、

    湧いてくる怒りに囚われている状態では

    人の理性は健全に機能しない。

     

    自分の行為がどのような結果を招くのか。

    自分の行為が真に子どものためになるか。

     

    そういった大切なことが理性ではなく

    感情で判断されてしまうから。

     

    それはまるで体重計で身長を測るようなもの。

    うまくいくはずがない。

     

    つまり、わが子に執着し、怒りに囚われるほど

    無智な自分と化し、

    自分の行い自体が結果的に子どもを苦しめる…

    という不幸な結末を招いてしまう。

     

     

    「愚者の慈悲」

    ここでは子育てになぞらえてみましたが、

    こういった状態は子育てに限りません。

     

    人と情緒的にかかわる場では頻繁に見られるものです。

     

    むしろ私たちのような援助職においては

    子育て場面以上によく見受けられるようです。

     

    「かわいそう」

    「なんとかしてあげたい」

    「私がやってあげる」

    「あなたを苦しめる人はひどい人。許せない」

    「あなたは何も悪くない。何の責任もない」

     

    一見とても“やさしい”関わりですが、

    こういった関わりを続けた結末は見えています。

     

    「依存」です。

     

    つまりこれは支援ではなく、

    本人の「自立する力」を奪うかかわり。

     

    これは仏教で言うところの

    「愚者の慈悲」

     

    相手が「かわいそう」だからと手を貸してあげる。

    しかしその行為自体が結果的には相手を害してしまう。

     

    これを愚者の慈悲と言うそうです。

     

    過保護が「やさしい虐待」

    と言われる所以はここにあるようです。

     

     

     愚者の慈悲から真の慈悲へ

    話を子育てに戻しましょう。

     

    私たち親は

    わが子を真に大切に思えばこそ

    ・執着

    ・怒り

    ・無智

    とは反対の子育てをしていきたいものです。

     

    それはたとえば

    自分のことは自分で満たし

    (親が自分で自分を幸せにする、という意味です)

     

    わが子は思い通りにならないという真理を受容し

    (変えられるのは自分だけ、という言葉があります)

     

    何がわが子の「真の助け」になるかを熟慮する

    (自立と調和が子どもの生きやさのカギです)

     

    …といったこと。

     

    そのためにはいろんなことに

    耐えることも必要です。

     

    どんなに子が愛しかろうと、

    子育てで重要視すべきは

    親の期待よりわが子の成長。

     

    まさに慈悲の心ですね。

     

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

     

    …などと言っている私ですが、

    自分こそまだまだ道の途中です。

     

    残念ながら昨日も息子を

    「叱る」ではなく「怒る」

    をやってしまいました…(涙)

     

    はい。

    頭では承知しております。

    それは欲が招いた怒りであると(汗)

     

    子育てという名の修業(特訓?)は

    まだまだこれからもつづいていくようです。

     

    良ければあなたもご一緒しましょう^^

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2018年10月02日(火)

    「相手を正したい!」

     

    トリフォリの高澤です。

    1ヶ月ぶりの更新です。

     

     

    国試の勉強やら

    私的な事情やらが重なり、

    気づけば間が空いておりました<(_ _)>

     

     

    ところで、今日のテーマは

    「相手を正したい!」

     

     

    たとえば夫婦、彼氏彼女、親子、

    職場の同僚、友人など他者との関係で

    主張や言い分がかち合ったとき、

     

    「自分は正しい!」

    「相手が間違っている!」

     

    なんて思うときはないでしょうか。

     

     

    私はちょいちょいあります(汗)

     

     

    人は自分が正しいと思うと、

    つい反射的に相手の間違いを

    正したくなることがあります。

     

     

    【仕組み】

    人が自分と異なる意見(価値観)を

    主張したり、そう行動したり。

    「相手は間違っている!」

    <怒り>や<不満>

    間違いを指摘して

    正そうとする

     

     

    これ、たとえば

    Yahoo!ニュースのコメント欄とかに

    いっぱい載ってますよね。

     

     

    一見正義のコメント集のようで、

    よくよく観ると自分とは

    違う

    価値観に対する批判の数々。

     

     

    このように

    「相手は間違っている」と捉え、

    反射的に相手を正そうとすることを

    間違い指摘反射

    と呼びます。

     

     

    この間違い指摘反射、

    「自分は正しい!」

    とやっている側は思っている状態なので、

    「相手のためにいいことした!」

    なんて思うこともあるかもですね。

     

     

    ですが、これ、

    やればやるほどいろんな

    副作用が起こりがちです。

     

     

    特に相手との関係を今よりも

    良くしたいと願う人にとっては

    致命的ともいえる副作用です。

     

     

    それはたとえば

    ●相手との関係が悪くなる

     

    ●相手の反発心を招く

    (下手するとそのままバトルになる)

     

    ●言われ続けた相手は自信喪失する

    (すると相手の行動の目的が「より良くなるため」

    ではなく「怒られないため」になる)

     

    ●指摘する癖が強まるほど自分の怒りが増幅する

    (すると心臓や脳に負担がかかる)

     

    などなどです。

     

     

    関係をよくしたいのに、

    やっていることで悪くなってしまう、、、

    では本末転倒になっちゃいます。

     

     

    ではどうしましょう。

     

     

    とにもかくにもスタート直前には

    相手の「間違い」が目についているはず。

     

     

    ですからその直前の瞬間の

    1)体の反応(変化)に気づく

    (カッとなるとか力が入るとか)

     

    そのうえで

    2)間違い指摘反射をグッとこらえる(封じる)

    (根性あるのみです 汗)

     

     

    そして相手の行動が不適切であっても

    その「間違い」を指摘することなく

    3)そっとその場を去る

     

     

    これを実践することを想像するだけでも

    きつい感じが伝わるのではないでしょうか。

     

     

    ちなみにこの課題、

    子どもに怒りがちな親御さん、

    パートナーとの葛藤ある方など、

    現在トータルで8名の方が取り組んでいます。

     

     

    名付けて

    間違い指摘反射ストップ大作戦!

     

     

    ちなみに取り組み中のうちの1人は、、、

    私です( ̄▽ ̄)

     

     

    結構大変な取り組みではあるものの、

    やっているうちにいろんなことに

    気づけます。

     

     

    さらに得られるメリットもありました。

     

     

    それが何かは

    敢えて秘密にしておきますね。

     

     

    よろしければあなたも

    9人目の仲間になってみませんか^^

     

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2018年09月17日(月)

    「わが子が大好き」の落とし穴

    こんにちは。

    高澤信也です。

     

    この記事を読まれている方には

    子育て中の親御さんも多いかと思います。

     

    私も目下子育ての真っただ中。

    日々格闘(汗)しております。

     

    なんで大変かって?

     

    それは

    「思い通りにならない」

    からですよね。

     

    とはいえわが子大好き!

    目の中に入れても痛くない!

    なんて言葉は本当だな~って痛感。

     

    それどころか

    わが子の命と引き換えなら

    自分の命だって差し出せる。

     

    そこまで思える

    尊くて愛しい存在です。

     

    しかしながら、

    この「愛しさ」である愛が

    一方で子育てを難しくもするんです。

     

    今日はそんなお話です。

     

    これまでの相談事例から

    これまで相談に来られた親御さんのなかには

    子どもを怒鳴ったり手をあげたりといった方が

    少なからずおられました。

     

    はたから見ると愛情不足みたいに

    思わる方も多いようですが、

    実際は子どもを愛しているケースが

    ほとんどです。

     

    子どもは愛している。

    その子を怒鳴ったり叩いたりする。

     

    これって相反する感じがするでしょうか。

     

    愛情がもたらす副作用

    愛は大切だという前提が

    世の中では一般的かと思います。

     

    確かに愛情は大切ですが、

    一方で愛が子ども(相手)を苦しめることが

    少なくありません。

     

    それはたとえばこんな仕組みです。

     

    わが子を愛している。

    だから、、、

    傷ついてほしくない。

    嫌な目に遭ってほしくない。

    損してほしくない。

    それが不安でたまらない。

    子がそんな目に合わないよう、、、

    親が子どもの課題を肩代わりしてしまう。

    子どもの課題に介入してしまう。

    あるいは

    「ああしなさい、こうしなさい」

    と事細かに指示命令したり

    「あれしちゃだめ、これしちゃだめ」

    と過剰に禁止する。

    (無力感を学習していなければ)

    子どもは抵抗・反発する。

    親が自分の不安を処理できなければ

    力を加えてでも子どもを変えようとする。

    それが時に怒鳴る、叩くへ。

     

    「愛」という名の支配

    愛情は子どもを守り育みます。

     

    ただよくよく自制していないと

    愛は容易に「執着」に形を変えていきます。

     

    執着は容易に侵入や支配へと

    形を変えるでしょう。

     

    その結果、その子の

    「らしさ」や「自由性」を

    奪いかねないという側面ももっています。

     

    相談に来られる方の半分くらいの方は

    「私は愛されてきました」

    「別に虐待を受けていません」

    「だからACではないかもしれません」

    などとなぜかおっしゃいます。

     

    これは先の

    「愛という名の支配」

    によって苦しみを抱えた方たち

    なのかもしれません。

     

    愛するからこそ

    私も子育て中だからこそ

    日々実感しています。

     

    かわいいわが子には

    できれば幸せであってほしい。

    不幸な目に遭ってほしくない、と。

     

    だけど

    その愛するわが子は自分の力で

    この社会の中で生きていかねばならない。

     

    とすると

    私たち親がなすべきは

    庇護することよりも、

    社会の中で生きていける力を

    身に着けるためのお手伝い。

     

    そこを育むには、

    わが子を愛するからこそ

    執着しない努力

    が必要なのだと思います。

     

    どうすれば執着せずに済む?

     

    それは自分のニーズが満たされていること。

     

    パートナーがいれば

    パートナーとのより良い関係。

     

    バートナーがいなければ

    1人でいいので他者との親密な関係。

     

    親自身が、、、

    *安全で

    *安心できて

    *自分でいられて

    *自分をオープンにできる。

     

    そんな居場所が必要です。

     

    そんな居場所があれば

    私たち親がまず安定します。

     

    その「親の安定」が結果的には

    ★安心・安全・自分らしさ

    を子どもに提供できることにつながるから。

     

    こんなことを書くと

    「そんな居場所がないから困ってる!」

    って言われそうですね(汗)

     

    そんな方のためにも

    子育てのワンストップの学校を

    つくりたいんです。

     

    もう少々お時間頂戴しますけれども(^^;)

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2018年08月11日(土)

    生きにくさの根っこ

     

    こんにちは。

    たかざわしんやです。

     

    今回は、

    生きづらさを抱えた状態で子育てなさっている

    親御さん向けのメルマガを転記しました。

     

    あっさり書くつもりが

    4000字近い長文になってしまって

    自分でもびっくり(@_@;)

     

    それでは本文をどうぞ。

     


     

    こんにちは。

    福岡ペアレンティングスクールの

    たかざわしんやです。

     

    今日のテーマは

    「生きにくさの根っこ」

    です。

     

    私たちは無意識のうちに

    生きにくくなってしまう

    負のプログラムをもっていますが、

    それ自体に気づいていません。

     

    無意識のプログラムの多くは

    子ども時代に形成されています。

     

    そこで今回は私の事例をもとに

    子ども時代の体験~大人になったときの影響

    を時間の流れに沿ってお伝えしてまいります。

     

     

    子ども時代のわが家

     

    今日は週末の夜。

    父が飲みに出かける。

    母がピリピリし出す。

    母の口から父への文句が独り言として漏れ出す。

     

    「ああ、きょうもきっとだめだ…」

     

    絶望的な気持ちになる。

     

    そして深夜、

    タクシーが家の前で止まる音が聞こえる。

     

    「おとうさんが帰ってきた…」

     

    心臓が割れてしまうんじゃないかと

    思えるほど鼓動が早まる。

     

    全身に力が入る。

    何も考えられずからだは固まったまま。

     

    そして父が玄関を開ける。

     

    「機嫌が悪くありませんように!」

     

    祈りが通じたのか、鼻歌交じりだ。

     

    「よかった。あとはおかあさん!

    ぜったいにおとうさんに文句言わないで!」

     

    そう願ったのも束の間、母が父に嫌味を言う。

     

    父の鼻歌がやむ。

    軽い言い争いが始まる。

     

    「神さまお願いします!

    口げんかで終わりますように!」

     

    でもこの祈りは通じない。

     

    ほどなく聞こえてくるのは…

    父の怒鳴り声

    母のわめく声

    ガラスが割れる音

    よくわからない鈍い音

    そして母の悲鳴

     

    その間ずっと神さまにお願いしている

    「おかあさんが死にませんように!」

     

    しばらくして訪れる静寂。

    全神経を研ぎ澄ます。

     

    「おかあさんは生きてる?死んでない?」

     

    母がさめざめと泣く声が聞こえる。

     

    「ああよかった。死んでない!」

     

    自分がこのとき

    恐怖で全身凍りついていることに

    気付く余裕なんてなかった。

     

    母が生きていてよかった。

    思うのはただそれだけ。

     

    翌日階下に降りていく。

    窓ガラスが割れている。

    母の顔に大きなアザがついている。

     

    何事もなかったかのように

    父は黙って朝食を摂り、

    母は黙って食事をつくっている。

     

    昨日のことを聞きたくても聞けない。

    喉がギューっと閉まって苦しい。

     

    重苦しい空気の中でご飯を食べ、

    学校へと向かう。

     

    何年もこんなことの繰り返し。

     

    時には暴れる父に飛びかかることもあった。

    だけど子どもの自分は一発で吹っ飛ばされる。

     

    それだけならまだマシ。

    父は私の(父が思う)愚行にさらに激怒し、

    母を怒鳴る、叩く、蹴る。

    時には髪の毛を掴んで引きずり回す。

     

    助けたくても助けられない。

    そんな力はどこにもない。

     

    かわいそうな母がいたたまれなくて、

    これ以上苦しめたくなくて、

    子どもながらに懸命に頑張る道を選んだ。

     

    それはたとえば

    欲求があっても訴えない。

    悩みがあっても打ち明けない。

    心配事があっても平気なフリ。

     

    助けられないなら

    せめて負担をかけないという生き方。

     

    もっと頑張ったことは

     

    「もう辛い。もう嫌。お父さんと別れたい…」

     

    そう嘆く母の話をたくさん聞いた。

    たくさん励ました。

    自分は大丈夫だから別れていいよと何度も告げた。

     

     

     

    誤って信じ込んだ自滅的信念:スキーマ

     

    母の苦しみを少しでも取り除きたくて

    子どもの自分にできる精一杯を頑張った。

     

    だけど決まってかえってくるセリフは

     

    「お前が小さいから別れられない」

     

    そう言って嘆く母。

     

    繰り返されるこの言葉に絶望し、

    いつしかこんな思い込みを強めていた。

     

    「おかあさんが苦しいのは自分のせい」

    「自分が生きているからおかあさんは苦しいんだ」

    「自分は生きてちゃだめな人間なんだ」

    「生まれてきちゃいけなかったんだ」

     

    この思い込みは心の一番深いところに沈み、

    心の中での「事実」と位置付けられた。

     

    「私は生きる価値のない人間」

    「生きているだけで人を苦しめる欠陥人間」

     

    これがその後の人生に渡って

    影響を与え続ける地雷となった。

     

    ───────────────────────

     

    このように心の奥深くに沈み、

    まるで事実のように機能する思い込み(信念)を

    【(早期不適応的)スキーマ】と呼びます。

     

    先のような体験の中で

    子どもの私が誤って信じ込んだものの一つが

    「私は欠陥人間」

    という漠然としたものでした。

     

    こんなものが自分の中にあると気づくはずもなく、

    それを抱えたまま年を経ていったのです。

     

     

     

    自滅的信念の影響

     

    子どもの私が誤って信じ込んだ

    自滅的信念(スキーマ)はこんなものでした。

     

    「ダメ人間の自分じゃ誰からも必要とされない」

    「必要とされるためには人の役に立たなくちゃ!」

     

    まるで母を助けたかった子どもの自分のごとく

    ・困っている人

    ・苦しんでいる人

    を目にするたびにひどく焦る自分。

     

    その人からの求めもないのに

    「大丈夫ですか?」

    「お手伝いしましょうか?」

    などと声をかけていました。

     

    企業務めをしたときも同じで、

    自分のことはもちろん全力で頑張る。

     

    じゃないと周りに要らぬ負担をかけるから。

     

    それ以上にやっていたことは

    しんどそうな後輩や部下にばかり意識が向き、

    放っておけなくて自ら助けを買って出たり、

    上層部の圧力からの盾になったり。

     

    一見男気のある人間みたいですが、

    行動を後押ししているものは「怖れ」。

     

    苦しんでいる人を放っておこうとすると、

    自分がどうしようもないダメ人間に思えてしまう。

     

    それがとても怖かったんです。

     

    この生き方のお陰でできることは増えました。

    いろんな力も身につきました。

     

    ですが、いくら努力しても

    「自分はダメ」

    という感覚はなかなか消えなかったんですよね。

     

    これがスキーマの根強さだったのでしょう。

     

     

    ほんとうにほしかったもの

     

    ところで

    私が子どもの頃にほしかったものは

    何だと思いますか?

     

    それは

    *愛されたい

    とか

    *褒めてほしい

    とかではありませんでした。

     

    そんなものはもっと後でよくて、

    その時点で望んでいたものはもっとシンプルな

     

    安心安全

     

    日々の暮らしを

    ただ穏やかに過ごしたかった。

    それだけだったんですよね。

     

    全ての子どもには

    感情的なニーズ

    というものがあります。

     

    それはこういったことを

    感覚的に信じられるようになる関わりです。

     

    「私は愛されている」「大切な存在」

    「私には力がある」

    「人は信頼できる」「この世界は安全」

     

    こういったことを信じられたら、

    子どもはもちろん、

    大人の私たちも人生が生きやすくなるって

    想像は容易にできるのではないでしょうか。

     

    ───────────────────────

     

    さて、今回お伝えしたことは

    1)子ども時代の傷つき体験

    2)その体験により誤って生まれる自滅的信念(スキーマ)

    3)その信念によるマイナスの影響

    4)傷つき体験から判明した

     「満たされなかったニーズ(=満たしたいニーズ)」

     

    子ども時代から現状まではトータルで振り返ることで

    *自分を苦しめてきた信念の正体

    *「自分はダメ人間じゃなかった」という気づき

    *本質的に自分を満たしてくれるもの

    に私は気づくことができました。

     

    そのお陰で生きることが

    以前とは比べ物にならないほど楽になりました。

     

    え?

    だったらだめなところは無くなったかって?

     

    いえいえ!

    そんなものはいくらでもありますがな。

    ひじょーに残念ですが( ̄▽ ̄)

     

    とはいえ大きく違うことがあります。

     

    それは、

    そのだめな自分も大切な自分の一部。

    こう思えるようになったこと。

     

    ことわざにある

    「ばかな子ほどかわいい」

    っていうやつではないでしょうか(o^^o)

     

    最後に、

    今回の事例をお伝えした目的は、

    つらくても過去に向き合いましょう!

    ということでは全くありません。

     

    誰にもこういった仕組みで

    生きづらさが生まれるということ。

     

    人生がうまくいかないのは

    「自分がダメだから」ではないこと。

     

    それなりの背景が必ずあるということ。

    だから自分を責める必要はないということ。

     

    そんなことをお伝えしたかったのです。

     

    このメルマガを読んでおられるあなたは

    おそらく子育て真っ最中だと思います。

     

    もしそうであれば

    「ダメじゃない親になる」を目指すのではなく、

    「ダメな部分も自分の一部」と自分を許せる工夫を

    してほしいと願っています。

     

    あなた自身が生きづらさから卒業できますように。

    そのお陰でお子さんが子どもらしく生きられますように。

    そのうえで親子のつながりを楽しめますように。

     

    心からそう祈っています。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2018年07月27日(金)

    してもらいたかったこと

    たかざわしんやです。

    毎日暑い日が続いていますね。

    お体ご自愛下さいませ。

     

    ところで今回は

    生きづらさを抱えたまま子育てしている

    おかあさん・おとうさん向けに発行している

    メルマガの今週号を掲載しています。

     

    ご興味ありましたらご一読ください。

    _________________________________________________

     

    「してもらいたかったこと」

     

    いつもありがとうございます。

    心理教育コンサルタントの高澤信也です。

     

    私はふだん子育て中の親御さんの

    カウンセリングをしております。

     

    その子育ての悩みも、たとえば

    ・「子どもを怒鳴ったり叩いたりしてしまう」

    ・「子どもがかわいいと思えない」

    ・「そばにいたくないと思ってしまう」

    などなどです。

     

    そんな思いを抱えながらの子育て。

    ほんとうに大変だろうと思います。

     

    ではこういった悩みを抱える方って

    人として何かがおかしいんでしょうか?

    ふつうじゃないんでしょうか?

     

    いえいえ、そんなことはありません。

     

    むしろこれをどうにかしたい!

    と思って相談に来られているわけですから、

    そこには間違いなくわが子への愛があります。

     

    にもかかわらず

    怒鳴ったり、叩いたり、愛せない時があったり。

     

    この食い違いの謎、

    駆け出しのころの私には意味不明でした。

     

    お恥ずかしながらその当時の私は、

    虐待を辞めたいと相談に来たお母さんが

    「昨日も叩いてしまいました」

    と語ったことに対して…

     

    「何してるんですか!

    自分が同じことされて辛かったでしょ!

    一番自分がその痛みわかってるでしょ!」

    なんてひどいことを言ったこともありました。

     

    今更ながらこのやり取りを思い出すと

    申し訳なかったと胸が苦しくなります。

     

    ところでこの

    心のうちにちゃんと愛情がある一方で、

    その子を虐げているという現状。

     

    この食い違い状態にある親御さんの多くは

    自身が子どもの頃に養育者(特に親)から

    大切なものをもらっていない

    という方々でした。

     

    ではその「大切なもの」って何でしょうか。

    それってたとえばこんなものなんです。

     

    *「愛してほしかった」

    *「怖いことから守ってほしかった」

    *「大切に扱ってほしかった」

    *「ちゃんと話を聴いてほしかった」

    *「導いてほしかった」

    ★「とにかく気持ちをわかってほしかった」

     

    あるいは

    *「ちゃんとほめてほしかった」

    *「ダメ出しなんてしてほしくなかった」

    *「応援してほしかった」

    ★「自分にも力がある!」って思いたかった

     

    ほかにも

    *「気持ちや想いを自由に言いたかった」

    *「それを受け止めてほしかった」

    *「ありのままの自分でいさせてほしかった」

    ★「そのままでいいよって言ってほしかった」

     

    そして

    *「もっと自由でいたかった」

    *「楽しく笑って過ごしたかった」

    *「イキイキ楽しくいたかった」

    ★「ただ子どもらしくいたかった」

     

    変わり種だと

    *「ダメなものはダメって教えてほしかった」

    *「必要な我慢ができる練習をさせてほしかった」

    ★「自分をコントロールできるようになりたかった」

     

    こういった「大切なもの」を

    感情的欲求といいます。

     

    これは

    「ほしいもの」ではなくて、

    「欠かせない大切なもの」です。

     

    want

    ではなく

    need

    なんです。

     

    ここがもらえないと

    子どもは誤った思い込みを抱え、

    先々でいろんな生きにくさを抱えます。

     

    たとえば

    「私なんて大切じゃない」

    「この世界は安全じゃない」

    「私はダメな人間」

    「誰からも愛されない」

    「私は無力」

    「人を優先しないといけない」

    「気持ちや想いを言うと酷い目に遭う」

    などなど。

     

    とても苦しい生き方になってしまいますね。

     

    子育てする親として

    わが子にこういった生きづらさを

    与えないことはとっても大切です。

     

    でもその前に、

    親である私たち自身がこの

    *大切なもの

    をもらっていないままであれば、

    子どもにその大切なものを与えたくても

    残念ですが与えることができません。

     

    もらっていないものは

    持っていない。

     

    持っていないものは

    あげられない。

     

    だからこそまず親御さん自身が

    この大切なものを得られること、

    つまり

    ★満たされる

    ことがとても大切だと思います。

     

    一見遠回りのようでも

    1)親御さんが満たされる

    2)「大切なもの」が手に入る

    3)わが子に与えることができる

    4)不幸な連鎖が止まる

     

    なんとかこの幸福の連鎖を

    少しでも広げていきたい!

    いつもそう願っています。

     

    まずほかの誰よりも

    自分が本当の意味で満たされる人生を

    送るって大切なんじゃないでしょうか^^

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2018年07月15日(日)
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