アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • 人は誰だって大切にされたい

     

    こんにちは。

    カウンセリングオフィス トリフォリ 改め

    ファミリーカウンセリング トリフォリ

    の高澤です。

     

    私は週一回、行政の相談窓口を請け負って

    いるのですが、その仕事に行く前に、毎回

    近所のモスバーガーで朝食をいただきます。

     

    そこのスタッフの方はみなさんとても

    接客が素敵で、人見知りの私ですら

    こちらから話しかけるほど。

     

    いつもこう感じています。

    「大切にしてもらえるな~」って。

     

    だからこそ、私もスタッフの方々を

    大切にしたい気持ちが湧いてきます。

     

    人は大切にされると、

    相手を大切にしたくなるのですね。

     

    大切にされなかった子どもたち

    その子がその子であるだけで素晴らしい。

     

    本気でそう思うのですが、現実には

    粗探しされたり、ダメ出しされたり、

    力を軽んじられて侵入・支配されたり、

    力や権威で抑えつけられたり。

     

    こういった扱いを受けた子どもたちが

    「自分は大切な存在だ!」

    と信じるのは難しいことでしょう。

     

    「自分は大切な存在」と信じられないと、

    人が自分のことを大切に扱ってくれても

    素直に受け取ることができません。

     

    なぜなら

    「私は大切にされるほど価値はない」

    と思い込んでいるから。

     

    そうなると人の善意すら裏読みしたり、

    悪意や敵意に読み替えたりしてしまう

    かもしれません。

     

    その結果

    「人は信用ならない」

    と思い込んでしまうかもしれません。

     

    これってとても不幸なことではないでしょうか。

    自分も大切にできない。

    人も大切にできない。

     

    それでは生きづらくもなってしまいますよね。

     

    「大切にされている」の勘違い

    だったら自分を大切にしてくれる

    人や場で過ごせるといいですね。

     

    しかしここでひとつ注意点が。

     

    *嫌なことを言われない

    *何でも同意してくれる

    *いつでも同情してくれる

    *嫌な顔一つ見せない

    *たくさん褒めてくれる

    *困ったら言わずとも手助けしてくれる

    *したくないことはしないでも許される

     

    どうでしょうか。

    これってまさに

    「大切にされている!」

    感じがしませんか?

     

    ですが、実はこういった環境でこそ

    「私は大切ではない」

    は強まりやすいのです。

     

    なぜならこういった関わりは

    ではありますが、

    自分で作り出すことができません。

     

    するとこの快を求めて中毒症状に

    至ることがあります。

     

    そのひとつが

    過剰な承認欲求です。

     

    すると困ったことが起こります。

     

    それは

    「承認を得る」

    が目的化するということ。

     

    承認という快を得るためには

    どんな手段を使うでしょうか。

     

    それがたとえば

    ・「いい人」を演じる

    ・相手に合わせる

    ・相手のご機嫌をうかがう

    ・自分のネガティブ感情を否認する

    ・過剰に頑張って「すごい人」を目指す

     

    残念ですが、これでは元の木阿弥です。

     

    「大切にされる」とは

    私自身、子どものころあまり大切には

    してもらえませんでした。

     

    でも一方で甘やかされた部分もありました。

    とても歪な環境です。

     

    そこで受けた影響は

    『強い劣等感』

    『根拠のない尊大さ』

    の併存。

     

     

    「自分なんてどうでもいい」

    「いつ死んでもいい」

    「自分はほんとうはすごいんだ!」

    の同居。

     

    なんともトホホな感じです(;´・ω・)

     

    それが大人になっていくにつれ、

    いろんな人たちとの出会いの中で

    大切にしてもらえる

    という経験をすることができました。

     

    そしてそこには甘やかしはなく、

    厳しさがありました。

     

    「やるべきことはやりなさい」

    「自分のことだから自分でやるんだよ」

    「人のせいにしても何も変わらないよ」

    「君が逃げるならもう来なくていい」

     

    当時はその厳しさにへこたれそうにもなりました。

     

    ですがそれと同時に

     

    「失敗していいよ」

    「君は君でいい」

    「弱くていい、怖くていい」

    「一緒にやるから」

     

    どれだけ自分がやらかしても、

    自分から目を逸らすことさえしなければ

    ずっと信じて味方でいてもらえました。

     

    だから私には今も

    自分と向き合うことに対しては

    ポジティブなイメージしかありません。

     

    それは

    *甘やかさずにいてくれた

    *見捨てられなかった

    *味方でいてくれた

    つまり、

    大切にされた

    という貴重な経験のお陰です。

     

    そのお陰でそれからは日に日に

    自分を「大切な存在」と信じられる

    ようになりました。

     

    だからでしょうか

    ・自分で自分を貶めること

    ・失敗や不完全さを責めること

    ・投げやりになること

    ・被害者に留まること

    ということから脱却できたのです。

     

    それと同時に

    *人を大切にする

    こともできるようになったのです。

     

    お陰で、世の中の大半を「敵だ!」と

    信じていた私も、今では苦手な人こそ

    いても、嫌いな人はほとんどいません。

     

    これってとっても楽ですね(*^^)♪

     

     

     

     

     

    2017年11月14日(火)

    ハラスメントという言葉

     

    おはようございます。

    気づけば1か月近くブログ書いてませんでした。

    はたと思い出し、あせあせ書いています(^^;)

     

    ところで、今日はふだん個人的に

    気になっていることを書こうと思います。

     

    正直、これを書くのは少し怖いのですが。

     

    タイトルにも挙げた

    「ハラスメント」

    という言葉。

     

    本来は、相手を

    ・苦しめる

    ・悩ませる

    ・迷惑

    といった意味のようです。

     

    昨今、この「ハラスメント」という

    言葉が本来の意味以上に濫用されて

    いる気がしています。

     

    要は、自分が不快な思いをしたとき、

    その相手がした行為をもって

    ハラスメント

    と呼ぶことには猛烈な違和感を

    覚えます。

     

    相手が何かしらの行為をする

    自分が不快を感じて

    「ハラスメント!」と非難する

     

    もちろん悪意や敵意で人に不快を

    与えたり、傷つけようとすることは

    無いに越したことはありません。

     

    ですが、不快体験や傷つき体験が

    ない社会は理想ではあっても、

    目を見開いて世の中という現実を

    見渡せば、残念ながら至る所に存在します。

     

    虐待も

    いじめも

    言われなき批判も

    理不尽な関わりも

    差別も

    戦争も

    悲しいかなずっとなくなっていません。

     

    それをなくそうというフレーズは

    スローガンとしては美しいのかも

    しれません。

     

    ですが、現実的ではない気がします。

     

    少なくとも私は子どもの親として、

    あるいは人のなかで傷ついてきた方

    たちを支援する人間として、

    「人を傷つけてはいけません」

    とか

    「迷惑をかけてはいけません」

    とは決して言いません。

     

    私たちがどんなに配慮(忖度?)を

    しても、一切の悪意がなくても、

    いやむしろ善意から出る行為でも、

    ときに相手が不快になることもあるし、

    傷つくことだってあるからです。

     

    人間は自分専用のフィルターを

    通してしか物事を見ることが

    できません。

     

    つまり、その自身のフィルターにより

    「不快だ!」

    「傷ついた!」

    となることもたくさんあるのです。

     

    だからこそこう思うんです。

     

    世の中で生きていれば、

    不快も傷つきも避けられない。

     

    だからこそ、

    人から嫌なことをされたら

    「嫌だ!」

    と言葉で伝えよう。

     

    悪気がなくても人が傷ついたら

    「ごめん」

    と言葉で伝えよう。

     

    そしてやり直そう。

     

    忖度などというテレパシーを

    使うのではなく、自分の気持ちや

    思いは言葉を使って伝えよう。

     

    私自身それを大切にしていますし、

    子育ての中でもわが子にこのことを

    繰り返し伝えています。

     

    自分の気持ちや意見を言葉で

    人に伝えるのはとても勇気が

    必要です。

     

    だからこそ相手を変えようとせず、

    自分が本来持っている勇気を賦活

    させることに取り組むほうが何倍も

    有益で現実的だと私は信じています。

     

    とはいえ、相手の行為が社会的な

    無理解やスティグマ(烙印)から

    きているのであればそれは嫌ですね。

     

    たとえば

    性差別やマイノリティ差別

     

    ここに必要なものは理解。

     

    きちんとした理解を広げていく

    ための活動はとても大切と思います。

     

    その一方、不快体験や傷つき体験は

    時に人を成長させる好機にも成り得ます。

     

    体験(出来事)をなくそうとするより、

    その体験を活かせる自分になるほうが

    何倍も有益だと私は思うのです。

     

    以上、すべて主観でお送りしました<(_ _)>

     

     

     

     

     

     

     

    2017年10月06日(金)

    アドラー心理学

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    突然ですが、

    近年はやりのアドラー心理学。

     

    きっかけは

    書籍『嫌われる勇気』

    だといわれています。

     

    自身がアドラーの存在を

    知ったのが15年ほど前。

     

    その時何冊かアドラーの著書を読みましたが、

    なんだか難しくてよく分かりませんでした。

     

    でも気になってネットで調べていると、

    アドラーに関するある団体が検索にヒット。

     

    そこから

    『アドラー心理学教科書』

    なる本を購入。

     

    読むとそれが面白くて、

    ちゃんと勉強したいと

    思った次第でした。

     

    しかしそれも何となく後回し。

     

    そこから10年ほど経った4~5年前に

    もう一回ネットで検索してみると、

    アドラー心理学の学会があるという

    ことを知りました。

     

    そこでその時は思い切って

    基礎講座と応用講座という

    ものをダブルで受講しました。

     

    そのあとは子育て講座の

    パセージとパセージプラスも。

     

    受講して気付いたことは、

    アドラー心理学って

    とてもシンプルだし、

    すごく魅力的。

     

    そんな自分になれたら

    どれだけ素晴らしいか!

     

    でも日常生活で実践するほど

    難しいやら行き詰るやらで

    失敗の連続…。

     

    でもやっぱりその生き方を

    やめたくはなくて自分なりに

    アドラー的生き方をぼちぼち

    継続しておりました。

     

    それで最近気づいたこと。

     

    これまで心理面の援助に必要な

    スキルをいろんなところで学んで

    きました。

     

    *REBT(論理情動行動療法)

    *CBT(認知行動療法)

    *スキーマ療法(認知行動療法のひとつ)

    *交流分析

    *アディクションアプローチ

    *ブリーフセラピー

    *トラウマセラピー

    *ゲシュタルト療法

    *内観療法

    …その他もろもろ。

     

    学ぶことでスキルアップできたし、

    少しは援助する自信も増えたし。

     

    でもつまづくときは決まって

    いつもある一点でした。

     

    それは、

    「何をするか?」(To do)

    ではなく

    「どうあるか?」(To be)

     

    たくさんの学びは

    「何をするか」

    はたくさん増やしてくれました。

     

    ですが、自分が援助者として

    「どうあるか」

    を腑に落ちるまですっきりと

    具体的に示してくれたものは

    アドラー心理学だけでした。

     

    ということでいまは、

    「何をするか?」はいくつかの

    心理療法の技法を使いながら、

    「どうあるか?」については

    アドラー先生の考えを柱にして

    日々歩んでおる次第です。

     

    そのお陰でしょうか、

    仕事に関しては

    「自分と向き合う」

    ことにだけしっかり取り組めば

    あまり悩まなくていいようになりました。

     

    さらには、

    子育てが楽だったり

    楽しかったりという

    おまけまでついてきました^^

     

    そんなアドラー心理学。

     

    昨今のブームのお陰(せい?)か

    たくさんのアドラー本が出ています。

     

    現在は50冊ほど持っておりますが、

    そのなかではこのシリーズ(4冊)が

    個人的におススメです!

    (2だけは支援者向きかもです)

     

    アドラー心理学を語る

    1.『性格は変えられる』

     

    2.『グループと瞑想』

     

    3.『劣等感と人間関係』

     

    4.『勇気づけの方法』

     

     

    これからも未熟ながら、

    自分や周りが幸せになるために

    自分にできることを考えながら、

    自分のTo beを磨いていきたいと

    思っています。

     

     

    2017年09月11日(月)

    「自分は必要とされない」

     

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

    福岡は今日は暑さが戻ってきました!

    夏大好きの私はお陰さまで元気倍増です(^^;

     

    ところで、昨日のことですが、ある青年との

    カウンセリング開始後ほどなくして…

     

    私「(…沈黙)もうそろそろみたいね」

    彼「はい。自分もそう思ってました」

     

    という会話。

     

     

    これは、もうカウンセリング卒業だよね、

    という意味のやりとりです。

     

    毎度不思議なもので、そのタイミングが

    訪れると、お互い何かが通じ合ったように

    今回みたいなやり取りが自然に起こります。

     

    ちなみにこの青年、最初来たときは不信感も

    自己卑下も強く、とても生きづらい状態でした。

     

    しかも本来は感情豊かな性質なのに、

    それを抑え込んで必死に「頭」で処理しようと

    してきたため、余計に苦悩が増していたのです。

     

    なぜそんなきつい生き方を身につけたかというと、

    家庭の事情で子ども時代に望むようなプラスの

    関心を向けられず、そのときに自分で

    「自分は愛されない」

    「必要じゃない」

    と思いこんでしまってたから。

     

    いわゆるきょうだい児だったのでしょう。

     

    その深いところにある思い込みが人生の

    どこかで、誰かとの出会いで解消されれば

    よかったのですが、残念にもそういった体験が

    得られず、ここまで持ち越してしまったのです。

     

    そんな彼も昨日、今の自分の状態を

    「最近は今までに感じたことない感じ」

    「生まれて初めてこんな感情を豊かに感じる」

    「以前とは正反対。人生がひっくり返った感じ」

    「これからも何か(問題)あっても対処していける」

    などと教えてくれました。

     

    なぜここに到達できたのか。

    それは彼が本来持っている力を自力で

    活用できるようになったからです。

     

    そもそももっている感受性の豊かさ、

    人とつながることを求める愛、

    怖くてもチャレンジする勇気…。

     

    そのほか、元々備え持ついろんな力を

    自分で活用できるようになったからです。

     

    だからでしょうか、この話を聴かなくても

    彼の大いなる変化にはすぐに気づけました。

     

    目にとても強い光を感じていたから。

    例えて言えば「目覚めている」状態。

     

     

    彼を始め、卒業前のみんなが言うには、

    地道な回復過程のなかのある瞬間に突然

    ものすごい変化が起こるそうです。

     

    あまりに変わり過ぎて自分でも

    ついていけないほどだそうです。

     

    私自体はじわじわ変化でしたので、

    ある意味そんな変化をうらやましく感じます。

     

    さてさて、あとは仕上げだけですね。

    一緒にもうひとふんばりしましょうか^^

     

     

    *注

    この事例をブログに載せることについては、

    事前に本人の了解を得ています。

     

     

     

     

     

     

     

     

    2017年09月08日(金)

    ACグループセラピーのご紹介

    こんにちは。

    トリフォリの高澤です。

     

    昨日は、アダルトチャイルドと言う名の

    「生きいきづらさを抱えた方」たちの

    グループの日でした。

     

    毎月一回開催のメンバーのみ

    参加可能なクローズドミーティングです。

     

    昨日は第4期メンバーの初顔合わせで、

    最初は全員緊張の塊 汗

     

    その緊張がほぐれるワークをしたり、

    自己紹介しあったり、生きづらさが

    出来上がる仕組みを理解してお互いの

    生きづらさを共有したり。

     

    そこではみんなとても穏やかで和やかで

    有意義な時間をもっていました。

     

    輪の中から見ていた私もとても嬉しかったです。

     

    次回は「自分が嫌い」の原因を理解することと、

    みんなで克服するためのワークを行なう予定です。

     

    トリフォリではグループ(仲間)の中での

    回復をとても大切にしています。

     

    ご興味ある方はお問い合わせください(^^)

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

    2017年08月27日(日)
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