アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • 自分で自分を責める

    おはようございます。

    トリフォリの高澤です。

     

    「最近ブログの更新がなさすぎて

    見なくなりましたよ」

    とクライエントさんから言われまして、

    あちゃーと思ってアップしてます(;´・ω・)

     

    今日は読んでくれてるかな(汗)

     

    今日のテーマ

    【自己批判】

     

    人は何のために自分を批判するんだろう?

     

    そんなことしたって苦しいだけだし、

    元気は無くなるし、惨めな気分になるし、

    自分のことがどんどん嫌になるし。

     

    同じことを人からされたら

    到底平気ではいられないはずなのに。

     

    それなのに自分を批判するのは

    「何のため」

    だろう。

     

    *自分が怠惰にならないよう律するため

     

    *はっぱをかけて自分に努力させるため

     

    *自分を恐怖で脅して動かすため

     

    *自分は自分を甘やかしていないと証明するため

     

    *ほんとうの自分はこんなものではない。

     もっと優れた(良い)存在だという

     自己像を維持するため

     

    以前の自分は一番下の目的を持っていた気がします。

    もとい、がっつり持っていました。残念…。

     

    どんなに不可解な行動であっても、

    人の行動には必ず目的があります。

     

    私たちは

    「自分が劣っている」

    から自分を責めるのではありません。

     

    れっきとして目的がそこにはあります。

     

    私(相手)は

    「なぜあんなことをしたんだろう?」

    ではなく

    「何のためにしたんだろう?」

     

    行動の目的に気づくことによって、

    その謎はきっと解けます。

     

     

     

     

     

     

    生きとし生けるものが幸せでありますように。

    2018年02月16日(金)

    子育てブログ復活

    トリフォリの高澤です。

    3年間も放置していたブログを再開しました。

     

    愛する息子が20歳になったときに読んでもらいたい

    「20歳の君へ」

    の代わりです。

     

    人の命は儚いもので、

    いつ終わりを迎えるかわかりません。

     

    だからその時がいつ来ても悔いのないよう、

    せめてわが子には

    「自分が両親から深く愛されていた大切な存在」

    であることを伝えていきたいと思います。

     

    「なら3年も放置すな!」

    なんて息子には言われそうですが( ̄▽ ̄)

     

    『20歳の君へ~きみの安全基地になりたくて』

     

    2018年01月30日(火)

    あけましておめでとうございます。

     

    新年あけましておめでとうございます。

     

    気づけば長らくブログ更新しておりませんでした。

     

    私事ですが、年末に右肩の腱が断裂しまして、

    今年はお正月もひとり自宅で寝込んでおりました。

     

    愛する家族と離れての大晦日&お正月は、

    寂しいやら切ないやら(T-T)

     

    まあそれ以上に痛みが半端なしでしたが(汗)

     

    とはいえ、今年は生きづらさ回復に

    資する活動を広げていこうと思っています。

     

    ①生きづらさを抱えたまま子育てをしている

    親御さんたちが回復し、生きづらさをわが子に

    連鎖させない力を身につけるためのオンラインスクール

     

    ②遠隔地の方ともつながれるスカイプカウンセリング

     

    ③子育て支援セミナー&自助グループへのオンライン参加

     

    などなどを目論み、すでに行動を進めております。

     

    本年もどうぞよろしくお願いいたします!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    2018年01月06日(土)

    人は誰だって大切にされたい

     

    こんにちは。

    カウンセリングオフィス トリフォリ 改め

    ファミリーカウンセリング トリフォリ

    の高澤です。

     

    私は週一回、行政の相談窓口を請け負って

    いるのですが、その仕事に行く前に、毎回

    近所のモスバーガーで朝食をいただきます。

     

    そこのスタッフの方はみなさんとても

    接客が素敵で、人見知りの私ですら

    こちらから話しかけるほど。

     

    いつもこう感じています。

    「大切にしてもらえるな~」って。

     

    だからこそ、私もスタッフの方々を

    大切にしたい気持ちが湧いてきます。

     

    人は大切にされると、

    相手を大切にしたくなるのですね。

     

    大切にされなかった子どもたち

    その子がその子であるだけで素晴らしい。

     

    本気でそう思うのですが、現実には

    粗探しされたり、ダメ出しされたり、

    力を軽んじられて侵入・支配されたり、

    力や権威で抑えつけられたり。

     

    こういった扱いを受けた子どもたちが

    「自分は大切な存在だ!」

    と信じるのは難しいことでしょう。

     

    「自分は大切な存在」と信じられないと、

    人が自分のことを大切に扱ってくれても

    素直に受け取ることができません。

     

    なぜなら

    「私は大切にされるほど価値はない」

    と思い込んでいるから。

     

    そうなると人の善意すら裏読みしたり、

    悪意や敵意に読み替えたりしてしまう

    かもしれません。

     

    その結果

    「人は信用ならない」

    と思い込んでしまうかもしれません。

     

    これってとても不幸なことではないでしょうか。

    自分も大切にできない。

    人も大切にできない。

     

    それでは生きづらくもなってしまいますよね。

     

    「大切にされている」の勘違い

    だったら自分を大切にしてくれる

    人や場で過ごせるといいですね。

     

    しかしここでひとつ注意点が。

     

    *嫌なことを言われない

    *何でも同意してくれる

    *いつでも同情してくれる

    *嫌な顔一つ見せない

    *たくさん褒めてくれる

    *困ったら言わずとも手助けしてくれる

    *したくないことはしないでも許される

     

    どうでしょうか。

    これってまさに

    「大切にされている!」

    感じがしませんか?

     

    ですが、実はこういった環境でこそ

    「私は大切ではない」

    は強まりやすいのです。

     

    なぜならこういった関わりは

    ではありますが、

    自分で作り出すことができません。

     

    するとこの快を求めて中毒症状に

    至ることがあります。

     

    そのひとつが

    過剰な承認欲求です。

     

    すると困ったことが起こります。

     

    それは

    「承認を得る」

    が目的化するということ。

     

    承認という快を得るためには

    どんな手段を使うでしょうか。

     

    それがたとえば

    ・「いい人」を演じる

    ・相手に合わせる

    ・相手のご機嫌をうかがう

    ・自分のネガティブ感情を否認する

    ・過剰に頑張って「すごい人」を目指す

     

    残念ですが、これでは元の木阿弥です。

     

    「大切にされる」とは

    私自身、子どものころあまり大切には

    してもらえませんでした。

     

    でも一方で甘やかされた部分もありました。

    とても歪な環境です。

     

    そこで受けた影響は

    『強い劣等感』

    『根拠のない尊大さ』

    の併存。

     

     

    「自分なんてどうでもいい」

    「いつ死んでもいい」

    「自分はほんとうはすごいんだ!」

    の同居。

     

    なんともトホホな感じです(;´・ω・)

     

    それが大人になっていくにつれ、

    いろんな人たちとの出会いの中で

    大切にしてもらえる

    という経験をすることができました。

     

    そしてそこには甘やかしはなく、

    厳しさがありました。

     

    「やるべきことはやりなさい」

    「自分のことだから自分でやるんだよ」

    「人のせいにしても何も変わらないよ」

    「君が逃げるならもう来なくていい」

     

    当時はその厳しさにへこたれそうにもなりました。

     

    ですがそれと同時に

     

    「失敗していいよ」

    「君は君でいい」

    「弱くていい、怖くていい」

    「一緒にやるから」

     

    どれだけ自分がやらかしても、

    自分から目を逸らすことさえしなければ

    ずっと信じて味方でいてもらえました。

     

    だから私には今も

    自分と向き合うことに対しては

    ポジティブなイメージしかありません。

     

    それは

    *甘やかさずにいてくれた

    *見捨てられなかった

    *味方でいてくれた

    つまり、

    大切にされた

    という貴重な経験のお陰です。

     

    そのお陰でそれからは日に日に

    自分を「大切な存在」と信じられる

    ようになりました。

     

    だからでしょうか

    ・自分で自分を貶めること

    ・失敗や不完全さを責めること

    ・投げやりになること

    ・被害者に留まること

    ということから脱却できたのです。

     

    それと同時に

    *人を大切にする

    こともできるようになったのです。

     

    お陰で、世の中の大半を「敵だ!」と

    信じていた私も、今では苦手な人こそ

    いても、嫌いな人はほとんどいません。

     

    これってとっても楽ですね(*^^)♪

     

     

     

     

     

    2017年11月14日(火)

    ハラスメントという言葉

     

    おはようございます。

    気づけば1か月近くブログ書いてませんでした。

    はたと思い出し、あせあせ書いています(^^;)

     

    ところで、今日はふだん個人的に

    気になっていることを書こうと思います。

     

    正直、これを書くのは少し怖いのですが。

     

    タイトルにも挙げた

    「ハラスメント」

    という言葉。

     

    本来は、相手を

    ・苦しめる

    ・悩ませる

    ・迷惑

    といった意味のようです。

     

    昨今、この「ハラスメント」という

    言葉が本来の意味以上に濫用されて

    いる気がしています。

     

    要は、自分が不快な思いをしたとき、

    その相手がした行為をもって

    ハラスメント

    と呼ぶことには猛烈な違和感を

    覚えます。

     

    相手が何かしらの行為をする

    自分が不快を感じて

    「ハラスメント!」と非難する

     

    もちろん悪意や敵意で人に不快を

    与えたり、傷つけようとすることは

    無いに越したことはありません。

     

    ですが、不快体験や傷つき体験が

    ない社会は理想ではあっても、

    目を見開いて世の中という現実を

    見渡せば、残念ながら至る所に存在します。

     

    虐待も

    いじめも

    言われなき批判も

    理不尽な関わりも

    差別も

    戦争も

    悲しいかなずっとなくなっていません。

     

    それをなくそうというフレーズは

    スローガンとしては美しいのかも

    しれません。

     

    ですが、現実的ではない気がします。

     

    少なくとも私は子どもの親として、

    あるいは人のなかで傷ついてきた方

    たちを支援する人間として、

    「人を傷つけてはいけません」

    とか

    「迷惑をかけてはいけません」

    とは決して言いません。

     

    私たちがどんなに配慮(忖度?)を

    しても、一切の悪意がなくても、

    いやむしろ善意から出る行為でも、

    ときに相手が不快になることもあるし、

    傷つくことだってあるからです。

     

    人間は自分専用のフィルターを

    通してしか物事を見ることが

    できません。

     

    つまり、その自身のフィルターにより

    「不快だ!」

    「傷ついた!」

    となることもたくさんあるのです。

     

    だからこそこう思うんです。

     

    世の中で生きていれば、

    不快も傷つきも避けられない。

     

    だからこそ、

    人から嫌なことをされたら

    「嫌だ!」

    と言葉で伝えよう。

     

    悪気がなくても人が傷ついたら

    「ごめん」

    と言葉で伝えよう。

     

    そしてやり直そう。

     

    忖度などというテレパシーを

    使うのではなく、自分の気持ちや

    思いは言葉を使って伝えよう。

     

    私自身それを大切にしていますし、

    子育ての中でもわが子にこのことを

    繰り返し伝えています。

     

    自分の気持ちや意見を言葉で

    人に伝えるのはとても勇気が

    必要です。

     

    だからこそ相手を変えようとせず、

    自分が本来持っている勇気を賦活

    させることに取り組むほうが何倍も

    有益で現実的だと私は信じています。

     

    とはいえ、相手の行為が社会的な

    無理解やスティグマ(烙印)から

    きているのであればそれは嫌ですね。

     

    たとえば

    性差別やマイノリティ差別

     

    ここに必要なものは理解。

     

    きちんとした理解を広げていく

    ための活動はとても大切と思います。

     

    その一方、不快体験や傷つき体験は

    時に人を成長させる好機にも成り得ます。

     

    体験(出来事)をなくそうとするより、

    その体験を活かせる自分になるほうが

    何倍も有益だと私は思うのです。

     

    以上、すべて主観でお送りしました<(_ _)>

     

     

     

     

     

     

     

    2017年10月06日(金)
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