アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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  • インストールされた罪悪感

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

     

    ついこの間お正月だった気がしますが、

    早いものでもう1月も下旬ですね。

     

     

    年末年始と言えば帰省する方も多かったことでしょう。

     

     

    実家に帰省したのはいいけれど…

    AC支援という仕事の定番なのか、

    帰省時期には度々クライエントさんから

    「年末年始なのにすみません」SOSが届きます。

     

     

    実家に帰ったのはいいけれど

    「親にやられてしまった…」

    といった類の連絡がほとんどです。

     

     

    それほどのダメージになる強攻撃(汗)とは

    たとえば、、、

    ・実家から離れて暮らしていることを「自分勝手」

    ・親を粗末にしているお前は「冷たい」「親不孝」

    ・育ててやった恩を忘れた「恩知らず」

    ・「そもそもお前は」と子ども時代のことまで責められる

    ・一方で親自身の大変さや嘆きを延々聴かされる

    ・「自分はもうだめだ」と自分を哀れむことも

    その他もろもろ

     

     

    こういった強攻撃(汗)によって、

    精神的にダメージを受けてしまう。

     

     

    そして自尊感情にまだ脆さが残っていると

    「私がダメなんだ」

    「私のせいだ」

    といった思いが出てきてしまう。

     

     

    そしてその後に湧いてくるおなじみの

    【罪悪感】

     

     

    あー、しんどいしんどい…。

     

     

    偽物の罪悪感

    ところでこの厄介な罪悪感。

     

     

    まあ、恥の仲間とも言えますが、

    そもそも最初っから子どもの心の内側に

    存在している感情ではありません。

     

     

    苦痛を覚えるほどの罪悪感であれば

    それはたいていは

    外部からインストールされたもの

     

     

    いわゆる「スリコミ」というやつです。

     

     

    ではこのスリコミは

    いつ?どこで?どうやって?

    なされたものなのでしょう。

     

     

    見えない虐待

    たとえばこれは私の話。

     

     

    子どものころ、

    父は酔うと母に暴言暴力をふるっていました。

     

     

    そんな母親があまりにも

    ”かわいそう”でみていられず、

    どうにかして助けたいと願っていました。

     

     

    でも父の暴力を止める力はない。

    だったらほかにできることはないかと

    子どもなりに懸命に考えました。

     

     

    そこで母のために私がやってきたことは、

    ・励ましたり

    ・慰めたり

    ・愚痴を聞いてあげたり

    して子どもの自分のできる精一杯の

    支援

    を提供していました。

     

     

    でもどれだけがんばっても

    ”かわいそうな”母は

    ・嘆いている

    ・つらそうにしている

    ・相変わらず殴られている

     

     

    自分はなんて

    無力で愚かな存在

    なのだろうと感じたものです。

     

     

    しかし諦めの悪かった私は

    「ほかにできることは?」

    と考えました。

     

     

    そこで続いてやったことは

    ・父を怒らせない努力

    (母への暴力を間接的にやめさせるための努力ですね)

    ・母に負担や迷惑をかけないよう尽力する

    ・自分の欲求なんて「訴えない」「甘えない」

    ・自分のことは何でも「自力でやり遂げる」

     

     

    けっこうな頑張りだったな、なんて思います。

    もちろん子どもの生き方ではないですけどね(^^;

     

     

    とはいえさすがにここまでやれば

    母親も元気になるのが当然ですよね!

     

     

    と言いたいところですが、

    結果は何も変わりません。

     

     

    子どもの自分にはこれが

    精いっぱいの最善策だったのでしょうが

    しょせんは子どもの浅知恵ですもの、

    事態が変わるはずもありません。

     

     

    それどころか

    「別れたいのに別れられない」

    「だってお前がまだ小さいから」

     

     

    もうね、このときは

    死ぬほど生まれてきたこととか

    いま生きていることを後悔しましたよ。

     

     

    だって、自分が生きているせいで

    「母はずっと苦しんでいる」

    というとらえかたに至るわけですから。

     

     

    しかしこれは母自身の課題であり、

    大人としての夫婦間の課題です。

     

     

    子どもには何の関係もありません。

     

     

    子どもがそう思ってしまう環境を

    改善できない親の未熟さが課題なのです。

     

     

    スリコミの影響

    そんな私は10代で家を離れました。

     

     

    ひとり暮らしの気楽さはそれこそ

    「自由だー!!」と叫びたいほど。

     

     

    周りに縛られない楽さ、喜びを

    心からかみしめていました。

     

     

    それがあるときふと気づきます。

     

     

    仕事であれプライベートであれ

    なぜか周りに困っている人や辛そうな人がいると

    漠然と「自分のせい」のような気がしていまして。

     

     

    頭では関係ないと思っていても、

    気持ちが納得してくれない。

     

     

    なんともしれないこの

    罪の意識

    は性格なのだろうと気に留めることもなく。

     

     

    それがあるときこれが

    スリコミの罪悪感

    であることに気づきます。

     

     

    私が20歳のとき母が突然死し、

    その後父は一人暮らしとなりました。

     

     

    しばらくは自力でやっていたようですが、

    数年たつと度々電話してきては

    「つらい」

    「さびしい」

    「たいへん」

    と訴えます。

     

     

    当時私は実家から離れた場所で

    仕事をしておりましたので、

    しょうがないと思いつつも

    心の隅では罪悪感疼き中、、、でした。

     

     

    そのときに気づきました。

    「あー、これ、お母さんに昔

    言われた時の気持ちとめっちゃ似てる!」。

     

     

    その後あるとき父の待つ家へ帰省します。

    そこで父は全開で私を責めます。

     

    「おまえはつめたい」

    「誰が育ててやったと思ってんだ」

    「俺一人でどれだけたいへんか知ってるのか」

    「もう死んだほうがましだ…」

     

     

    このとき猛烈な怒りが湧いたものの、

    それをはるかに上回る

    罪悪感

    で身が内側から焼き尽くされる感覚に

    陥ったことを今も覚えています。

     

     

    その後も電話で続く

    ・批判

    ・嘆き

    で湧いてくる罪悪感に耐えかねた私は、

    当時責任者だったにもかかわらず

    転勤か退職かの二択を職場に迫り、

    無理やりの転勤をさせてもらいました。

     

     

    なんて無茶なことを

    なんて理不尽なことを

    してしまったのだろうと思います。

     

     

    当時の同僚たちはただの職場の同僚ではなく、

    それこそ大好きな仲間でした。

     

     

    彼らを裏切ったことにも

    罪悪感がありました。

     

     

    旅立ちのとき

    ということでそれからは

    実家で父と二人暮らし。

     

     

    新生活では

    仕事は慣れた仕事をやるだけだし、

    すぐに仲間もできましたし。

     

     

    やっとこれで穏やかな暮らしです^^

     

     

     

     

     

     

    なんてなるはずもなく_| ̄|○

     

     

    事あるごとに

    「帰りが遅い」

    「家のことを何もしない」

    「俺(父)の苦労をわかってない」

    「自分勝手だ、わがままだ」

     

     

    嗚呼!なんてこったい!

     

     

    ここまでしてきたのに、

    こんな仕打ちをするなんて、、、。

     

     

    もうね、さすがにここまでくると、

    「あ、この人はダメだ」

    「子どもの気持ちはわからないんだ」

    「自分で手一杯なんだ」

    「子どもが思い通りでないのが嫌なんだ」

    ということに深~く気づきます。

     

     

    そして悟りました。

     

     

    父には父の人生がある。

    私には私の人生がある。

     

    でもたとえ親子であっても、

    そこには相いれないものもある、と。

     

     

    なにより「私」という人間は

    *親の期待にそうために生まれてきた

    わけではなくて

    *自分の人生を生きるために生まれてきた

    ということに。

     

     

    ここでようやくスリコミの罪悪感から

    解放されるための旅の途につくことが

    できたのです。

     

     

    学ぶって大切

    そんな若かりし頃の私ですが、

    ちょうど心理学にハマり始めた頃と重なり、

    そのなかであることを学びました。

     

     

    親の仕事とは

    子どもが幼いころは

    *わが子の面倒をみること

    (「引き寄せる」というかかわりです)

     

    一方で子どもが大きくなってきたら

    *わが子の幸せの後押しをすること

    (「手放す」というかかわりです)

     

     

    あーあ( ̄▽ ̄)

     

    もっと早く知っておけば

    こんないらない罪悪感ななんて

    とっとと捨ててたのになー、、、

    と思った当時の私。

     

     

    ですが、

    気づいた時がベストタイミング

    なんて言葉もありますから

    きっといつでも大丈夫。

     

     

    私たちの人生の主人公は

    ほかならぬ自分自身だけ。

     

     

    親や他人の人生のわき役になる

    必要は微塵もないはずです。

     

     

    一方で

    自分の人生を生きるには勇気も必要です。

     

     

     

    これを読んでいるあなたに

    *変えられないものを受け入れる落ち着きと

    *変えられるものを変えていく勇気と

    *その二つを見分ける賢さ

    が与えられますよう心から祈ります。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2019年01月21日(月) カテゴリー: ジャーナル
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