アダルトチャイルド(アダルトチルドレン)支援センター 福岡【トリフォリ】

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    今日はちょいと趣を変えて

    カウンセラーってなにする人?

    に触れてみようと思います。

     

     

    カウンセラーとは?

     

    カウンセラーって

    どんなイメージがありますか?

     

     

    私がこの仕事に就く前は

    「心を読み取れる人」

    「なんか勝手に良い感じにしてくれる人」

    「自分の問題を華麗に解決してくれる人」

    なんて妄想バリバリ状態でした(汗)

     

     

    で、実際なってみてわかったことは、

    なんとも華のない、地味で、根気のいる

    作業ばかり_| ̄|○

     

     

    ウルトラスーパーな能力とかが身に着いて

    その力で人を助け上げられるわけでもなく。

     

     

    ほどなくこの私の妄想は打ち砕かれ(涙)、

    紆余曲折を経て最近はこう思ってます。

     

     

    カウンセラーが為すべきことって

    ●相手の苦しみの根っこが何かを見定める

    ●どうしたら”本人”がそれを乗り越えられるか一緒に考える

    ●そのための材料をもってなかったら有用なものを提案する

     

     

    するとご本人は自分で頑張りだすもの。

     

     

    でもときには

    「なんで自分がこんな思いしなくちゃいけないんだ!」

    「悪いのは私じゃないのに!」(悪いのは親!とか…)

    なんて恨みめいた気持ちが湧いてくることも。

     

     

    そんなときには

    ●その気持ちを受け取りつつ、それと同時に

    「親の課題と自分の課題」を切り分けてもらう

     

    どんなに苦しくなっても常にここが原点です。

     

     

    本人がもつべき分担は、、、

    *自分の課題に目を向け

    *自分でそれを解決する責任を引き受け

    *解決のために「できること」をやっていき

    *自力でできない部分は人の手を借りる

    に尽きると思います。

    (親の課題は親の責任。放っておきましょう(*^^)v)

     

     

    そしてそこに立ち戻れるとまた頑張れるもの。

     

     

    それでも時に頑張る方向自体がずれることも。

    そんなときは

    ●「頑張るのはいいけど、そっち、崖よ」とお伝えする

     

     

    こんなところくらいじゃないかと思います。

     

    とはいえこれはあくまで主観であって、

    世のすげーカリスマさんたちは違うかもです(^^;

     

     

    余談ですが

    「したいことだけしていい」

    「がまんしなくていい」

    「迷惑をかけていい」などなど

    の言葉をアマゾンの書籍紹介やレビューで時折見かけます。

     

     

    これは自分を抑え込んできた方には結構大切な視点です。

    というか、練習してでも育てたい「自然な子ども」のパーツです。

     

     

    その一方で、、、

    ・自己愛や欲の暴走で苦しんでいる方

    ・劣等感の裏返しから自己理想が非現実レベルまで

     飛躍してしまって自縄自縛に陥っている方

    ・愛情飢餓もしくは愛情過多の影響で相手への

     要求が過剰となり渇望状態にまで至っている方

    、、、などがこの世にはおられます。

     

     

    そういった方の中にはさっきのセリフを鵜呑みにすると

    生きづらさが100倍、1000倍と膨れ上がってしまう方も

    いらっしゃいますのでくれぐれもご注意を<(_ _)>

     

     

    もうひとつの自立

     

    AC回復は自力だけでは難しいものです。

     

     

    というか、むしろ

    「なんでも自分でやらなきゃ!」

    に囚われるのもACの特質のひとつ。

     

     

    まあ、言っちゃうと、

    エゴ(我欲)ってことになるのかもですが。

     

     

    そのためか

    ここまで自分を苦しめてきたはずの

    ●自分の考え方

    ●自分の感じ方

    ●自分の振舞い方

    ●自分の関係の持ち方

    のパターンの延長線上で頑張ろうとします。

     

     

    ですが、同じことをやり続けて、

    違う結果が出ることはありません。

     

     

    糖質の摂り方を工夫したところで、

    「摂りすぎる」パターンが変わらなければ

    痩せないのと同じことです。

     

     

    回復のために為すべきことを為すのは

    もちろん自分自身の責任(担当)です。

     

     

    ただそれと同等、もしくはそれ以上に

    *「できないこと」はできる人(存在)にゆだねる

    ことも大切です。

     

     

    以前の私はなかなかこれができず、

    ハムスター宜しく同じ輪っかのなかを

    グルグル状態でした( ノД`)シクシク…

     

     

    本当の意味で自分を助けるには

    ①自立

    だけではなく

    ②援助要請(SOS!)

    することってかなり大事です。

     

     

    もちろん自分にできることは頑張ってみる。

     

     

    でもできない部分は「できないんだ…」と

    とその”事実”をそのままに受け容れないと

    助けを求めることができません。

     

     

    言わばそれは我欲を諦めること。

     

     

    そこを手放せると、、、

    *助けを真摯に求め

    *もらった助けを謙虚に受け入れ

    なんてことができるようになります。

     

     

    真の回復はこんなとこから始まります。

     

     

    手助け先をお探しのあなたへ

     

    ちなみにここでいう助けは

    カウンセラーを指しているわけではありません。

     

     

    自助グループなんてすごくいいし、

    理解ある友人も超いいし、

    侵入してこないパートナーもいいし、

    尊敬できるメンター的な人もいいし、

    穏やかに話を聴いてくれる近所のじいちゃんばあちゃんもいいし。

     

    (むしろこういった存在のほうがいいかも、なんて。

     あ、ただの独り言です 汗)

     

     

    いろんな手を借りてみるのも良いかと思います。

     

     

    ただし外したくないポイントが一点だけ。

    それは「~あげる」がない人限定です。

     

    私が

    「聞いてあげる」

    「考えてあげる」

    「言ってあげる」

    「やってあげる」etc.

     

    しまいにゃ

    「私がどうにかしてあげる」

     

     

    こんな「あげる」がない人をおススメします。

     

     

    だってそれは援助ではなく

    自立をブロックする「依存」を招きかねないので。

     

     

    それでは健闘を祈ります!

     

     

    ということでいつもの締めのセリフです。

     

     

     

    生きとし生けるものが幸せでありますように^^

     

     

    2019年03月07日(木)

    「明日、死ぬかもよ?」

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

     

    今日のタイトルの

    「明日、死ぬかもよ?」

    は昨年末あたりから繰り返し何度も

    なぜか頭の中をよぎるようになったセリフです。

     

     

    その影響でしょうか。

     

     

    終活ノートを購入したり、

    死別のグリーフにまつわる本を読んだり、

    やり残したことをノートにしたためたり…。

     

     

    死というものをとても近くに感じました。

     

     

    虫の知らせ?

     

    そんな様子だった先月末、

    胸に軽い違和感をおぼえ病院受診。

     

     

    結果は労作性狭心症とのことで

    来月に入院&手術とあいなりました。

     

     

    自覚症状は散歩後の息切れ程度でしたし、

    その症状もすぐ治まっていましたし、

    日常生活には何の支障もなかったし、、、

    といった状態でしたから以前の自分なら

    病院すら行ってなかったと思います。

     

     

    ですが今回はここ最近「死」というものが

    ぐっと近づいてきていたことがひとつ。

     

     

    さらに不思議なことにたまたまつけたテレビで

    心臓病にまつわる番組に短期間で3つも遭遇。

     

     

    そんなこんなもあって、

    今回は病院受診を選ぶことができました。

     

     

    死がさらに身近に

     

    病院ではまず検査からということで、

    いきなり6つほど受けました。

     

     

    検査結果は陰性。

     

     

    「あー、やっぱりね。気のせいね。

    だって大した症状ないもん!」

    と胸をなでおろした私。

     

     

    ですが先生曰く、

    90%以上陰性と言ってもいいけど、

    でも疑いを拭いきれないと。

     

     

    強制はできないけれど、

    造影剤の検査を勧めたいと。

     

     

    あまりに真剣なまなざしにグッときて、

    その場で「受けます!」とお返事。

     

     

    そしてふたを開けてみると

    結果は驚きの陽性。

     

     

    しかも症状がかなり進行しておりました。

     

     

    死というものが身近でなかったら、

    心臓病の番組3つに遭遇しなかったら、

    この先生と出会えなかったら。

     

     

    もしかしたらいま頃は

    心筋梗塞で倒れていたかもしれません。

     

     

    いろんな力に助けてもらいました。

     

     

    Unfinished Business(未完の仕事)

     

    そういったいろんな力に助けらたお陰で

    人生におけるやり残しを書き出す勇気が

    湧いてきました。

     

     

    その書き出した中に、

    私がまだ終わらせていなかった

    大切な仕事がありました。

     

     

    それは私がかつて傷つけた人たちに

    直接埋め合わせをしに赴くことです。

     

     

    これはACを始めさまざまなアディクションの

    自助グループで用いられている12ステップの

    第9ステップにあたります。

     

     

    それはたとえば

    直接会って自分の非を認めて真摯に謝罪する。

     

     

    勇気が要りますね。

     

     

    直接会えない場合は

    傷を与えてしまった自分の特質を改善し続ける、

    なんてことも埋め合わせと言えると思います。

     

     

    決して

    「許してください」

    と免罪符をもらうためのステップではありません。

     

     

    たとえ許してもらえなくても

    *言い訳せず自分が犯した過ちを真摯に認める

    *そのことを直接傷つけた相手に伝える

    *傷つけるに至った自分の課題に取り組み続ける

     

     

    これが埋め合わせだと私は思っています。

     

     

    私たちはこの行動によって長らく抱えてきた

    罪悪感や後悔

    とさよならすることができるのです。

     

     

    つまり埋め合わせとは

    自分を助けるステップなのです。

     

     

    私が傷つけた人

     

    話を私事に戻します。

     

     

    改めて傷つけた人たちを書き出した結果

    10人ほどの方を私はひどく傷つけていました。

     

     

    18歳のころから取り組んだお陰もあって、

    そのうちの6人の方に対する埋め合わせは

    すでに終えています。

     

     

    とはいえ、その方たちを傷つけた

    特質の改善には今も取り組み続けています^^

     

     

    ところでこの6人の皆さま、

    なんと全員私を笑顔で許してくださいました。

     

     

    それどころか援助職になったことを

    応援してくれる方までおられました。

     

     

    驚きと感謝で胸がいっぱいになったことを

    今もはっきりと覚えています。

     

     

    死の力を借りて

     

    残るは4人。

     

     

    そのなかに最大の関門が

    待っています。

     

     

    実は私はバツイチでして、

    最も埋め合わせ(感謝と謝罪)を

    したい方は別れた元の奥さまです。

     

     

    彼女が私から離れてくれたおかげで

    私は自分の生き方を本気で改善する方向に

    舵を切ることができました。

     

     

    夫婦として暮らしていた頃は

    私のことをとても大切にしてくれていました。

     

     

    ちゃんと伝えられなかった感謝の言葉が

    行き場ないままたくさん残っています。

     

     

    それなのに私は彼女をかつて

    深く傷つけてしまいました。

     

     

    ちゃんと伝えられなかった謝罪の言葉も

    行き場なくたくさん残ったままです。

     

     

    これまではそこまで

    踏み込むことができずにいた私。

     

     

    でも今回のことで気づきました。

     

     

    人の命はあっけないということに。

    それなのに生きていられるのは

    いろんな力に支えられているお陰だということに。

     

     

    それが腑に落ちた今、

    ようやく埋め合わせに赴く決心がつきました。

     

     

    とは言え連絡先すらわからないので

    何から始めていいか悩むところですが、

    どうにかして埋め合わせを実践してきます。

     

     

    もちろん相手とその周りの方を

    傷つけないということが大前提で。

     

     

    正直すごく怖いんですけどね。。。

     

     

    でも愛する妻が応援してくれていますし、

    死というものが他人ごとではない距離となった今、

    逃げずに未完の仕事をしっかり終わらせてきます。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

    2019年03月05日(火)

    資格の登録証が届きました

    (↑生年月日と本籍地は消してます)

     

    たかざわです。

     

    望まれつつも長らくできなかった

    心理職の国家資格ができておりまして、

    その1回目の試験が去年おこなわれました。

     

    公認心理師という名前の資格です。

     

    試験日は9月(だったかな?)。

    合格発表は11月30日。

     

    直後に申請して3ヶ月弱経った

    本日やっと登録証が届きました。

     

    私は今回実務経験5年以上のGルートという

    受験資格での受験でした。

     

    もし落ちていたら

    心理学の必要科目の履修(単位取得)

    +実務経験のFルートで次回受ける予定でした。

     

    2回目受験に至ることなく合格できて、

    無事登録まで終わってほっと一息です。

     

    前回受けずに今年受験する仲間もおりまして、

    無事に合格することを祈るばかりです。

     

    というか、自分の分が終わったので

    他人事テイストで気楽に応援です(^^;

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

    2019年02月19日(火)

    2月休業日のお知らせ

    いつもお世話になっております。

    トリフォリのたかざわです。

     

    2019年2月4日(月)~2月7日(木)

    の間は研修等で福岡を離れるため

    休業とさせていただきます。

     

    メールは随時受け付けておりますが、

    返信は2月8日(金)以降となりますので

    その点予めご了承くださいませ。

     

    以上、取り急ぎのお知らせにて。

    2019年02月03日(日)

    インストールされた罪悪感

     

    こんにちは。

    たかざわです。

     

     

    ついこの間お正月だった気がしますが、

    早いものでもう1月も下旬ですね。

     

     

    年末年始と言えば帰省する方も多かったことでしょう。

     

     

    実家に帰省したのはいいけれど…

    AC支援という仕事の定番なのか、

    帰省時期には度々クライエントさんから

    「年末年始なのにすみません」SOSが届きます。

     

     

    実家に帰ったのはいいけれど

    「親にやられてしまった…」

    といった類の連絡がほとんどです。

     

     

    それほどのダメージになる強攻撃(汗)とは

    たとえば、、、

    ・実家から離れて暮らしていることを「自分勝手」

    ・親を粗末にしているお前は「冷たい」「親不孝」

    ・育ててやった恩を忘れた「恩知らず」

    ・「そもそもお前は」と子ども時代のことまで責められる

    ・一方で親自身の大変さや嘆きを延々聴かされる

    ・「自分はもうだめだ」と自分を哀れむことも

    その他もろもろ

     

     

    こういった強攻撃(汗)によって、

    精神的にダメージを受けてしまう。

     

     

    そして自尊感情にまだ脆さが残っていると

    「私がダメなんだ」

    「私のせいだ」

    といった思いが出てきてしまう。

     

     

    そしてその後に湧いてくるおなじみの

    【罪悪感】

     

     

    あー、しんどいしんどい…。

     

     

    偽物の罪悪感

    ところでこの厄介な罪悪感。

     

     

    まあ、恥の仲間とも言えますが、

    そもそも最初っから子どもの心の内側に

    存在している感情ではありません。

     

     

    苦痛を覚えるほどの罪悪感であれば

    それはたいていは

    外部からインストールされたもの

     

     

    いわゆる「スリコミ」というやつです。

     

     

    ではこのスリコミは

    いつ?どこで?どうやって?

    なされたものなのでしょう。

     

     

    見えない虐待

    たとえばこれは私の話。

     

     

    子どものころ、

    父は酔うと母に暴言暴力をふるっていました。

     

     

    そんな母親があまりにも

    ”かわいそう”でみていられず、

    どうにかして助けたいと願っていました。

     

     

    でも父の暴力を止める力はない。

    だったらほかにできることはないかと

    子どもなりに懸命に考えました。

     

     

    そこで母のために私がやってきたことは、

    ・励ましたり

    ・慰めたり

    ・愚痴を聞いてあげたり

    して子どもの自分のできる精一杯の

    支援

    を提供していました。

     

     

    でもどれだけがんばっても

    ”かわいそうな”母は

    ・嘆いている

    ・つらそうにしている

    ・相変わらず殴られている

     

     

    自分はなんて

    無力で愚かな存在

    なのだろうと感じたものです。

     

     

    しかし諦めの悪かった私は

    「ほかにできることは?」

    と考えました。

     

     

    そこで続いてやったことは

    ・父を怒らせない努力

    (母への暴力を間接的にやめさせるための努力ですね)

    ・母に負担や迷惑をかけないよう尽力する

    ・自分の欲求なんて「訴えない」「甘えない」

    ・自分のことは何でも「自力でやり遂げる」

     

     

    けっこうな頑張りだったな、なんて思います。

    もちろん子どもの生き方ではないですけどね(^^;

     

     

    とはいえさすがにここまでやれば

    母親も元気になるのが当然ですよね!

     

     

    と言いたいところですが、

    結果は何も変わりません。

     

     

    子どもの自分にはこれが

    精いっぱいの最善策だったのでしょうが

    しょせんは子どもの浅知恵ですもの、

    事態が変わるはずもありません。

     

     

    それどころか

    「別れたいのに別れられない」

    「だってお前がまだ小さいから」

     

     

    もうね、このときは

    死ぬほど生まれてきたこととか

    いま生きていることを後悔しましたよ。

     

     

    だって、自分が生きているせいで

    「母はずっと苦しんでいる」

    というとらえかたに至るわけですから。

     

     

    しかしこれは母自身の課題であり、

    大人としての夫婦間の課題です。

     

     

    子どもには何の関係もありません。

     

     

    子どもがそう思ってしまう環境を

    改善できない親の未熟さが課題なのです。

     

     

    スリコミの影響

    そんな私は10代で家を離れました。

     

     

    ひとり暮らしの気楽さはそれこそ

    「自由だー!!」と叫びたいほど。

     

     

    周りに縛られない楽さ、喜びを

    心からかみしめていました。

     

     

    それがあるときふと気づきます。

     

     

    仕事であれプライベートであれ

    なぜか周りに困っている人や辛そうな人がいると

    漠然と「自分のせい」のような気がしていまして。

     

     

    頭では関係ないと思っていても、

    気持ちが納得してくれない。

     

     

    なんともしれないこの

    罪の意識

    は性格なのだろうと気に留めることもなく。

     

     

    それがあるときこれが

    スリコミの罪悪感

    であることに気づきます。

     

     

    私が20歳のとき母が突然死し、

    その後父は一人暮らしとなりました。

     

     

    しばらくは自力でやっていたようですが、

    数年たつと度々電話してきては

    「つらい」

    「さびしい」

    「たいへん」

    と訴えます。

     

     

    当時私は実家から離れた場所で

    仕事をしておりましたので、

    しょうがないと思いつつも

    心の隅では罪悪感疼き中、、、でした。

     

     

    そのときに気づきました。

    「あー、これ、お母さんに昔

    言われた時の気持ちとめっちゃ似てる!」。

     

     

    その後あるとき父の待つ家へ帰省します。

    そこで父は全開で私を責めます。

     

    「おまえはつめたい」

    「誰が育ててやったと思ってんだ」

    「俺一人でどれだけたいへんか知ってるのか」

    「もう死んだほうがましだ…」

     

     

    このとき猛烈な怒りが湧いたものの、

    それをはるかに上回る

    罪悪感

    で身が内側から焼き尽くされる感覚に

    陥ったことを今も覚えています。

     

     

    その後も電話で続く

    ・批判

    ・嘆き

    で湧いてくる罪悪感に耐えかねた私は、

    当時責任者だったにもかかわらず

    転勤か退職かの二択を職場に迫り、

    無理やりの転勤をさせてもらいました。

     

     

    なんて無茶なことを

    なんて理不尽なことを

    してしまったのだろうと思います。

     

     

    当時の同僚たちはただの職場の同僚ではなく、

    それこそ大好きな仲間でした。

     

     

    彼らを裏切ったことにも

    罪悪感がありました。

     

     

    旅立ちのとき

    ということでそれからは

    実家で父と二人暮らし。

     

     

    新生活では

    仕事は慣れた仕事をやるだけだし、

    すぐに仲間もできましたし。

     

     

    やっとこれで穏やかな暮らしです^^

     

     

     

     

     

     

    なんてなるはずもなく_| ̄|○

     

     

    事あるごとに

    「帰りが遅い」

    「家のことを何もしない」

    「俺(父)の苦労をわかってない」

    「自分勝手だ、わがままだ」

     

     

    嗚呼!なんてこったい!

     

     

    ここまでしてきたのに、

    こんな仕打ちをするなんて、、、。

     

     

    もうね、さすがにここまでくると、

    「あ、この人はダメだ」

    「子どもの気持ちはわからないんだ」

    「自分で手一杯なんだ」

    「子どもが思い通りでないのが嫌なんだ」

    ということに深~く気づきます。

     

     

    そして悟りました。

     

     

    父には父の人生がある。

    私には私の人生がある。

     

    でもたとえ親子であっても、

    そこには相いれないものもある、と。

     

     

    なにより「私」という人間は

    *親の期待にそうために生まれてきた

    わけではなくて

    *自分の人生を生きるために生まれてきた

    ということに。

     

     

    ここでようやくスリコミの罪悪感から

    解放されるための旅の途につくことが

    できたのです。

     

     

    学ぶって大切

    そんな若かりし頃の私ですが、

    ちょうど心理学にハマり始めた頃と重なり、

    そのなかであることを学びました。

     

     

    親の仕事とは

    子どもが幼いころは

    *わが子の面倒をみること

    (「引き寄せる」というかかわりです)

     

    一方で子どもが大きくなってきたら

    *わが子の幸せの後押しをすること

    (「手放す」というかかわりです)

     

     

    あーあ( ̄▽ ̄)

     

    もっと早く知っておけば

    こんないらない罪悪感ななんて

    とっとと捨ててたのになー、、、

    と思った当時の私。

     

     

    ですが、

    気づいた時がベストタイミング

    なんて言葉もありますから

    きっといつでも大丈夫。

     

     

    私たちの人生の主人公は

    ほかならぬ自分自身だけ。

     

     

    親や他人の人生のわき役になる

    必要は微塵もないはずです。

     

     

    一方で

    自分の人生を生きるには勇気も必要です。

     

     

     

    これを読んでいるあなたに

    *変えられないものを受け入れる落ち着きと

    *変えられるものを変えていく勇気と

    *その二つを見分ける賢さ

    が与えられますよう心から祈ります。

     

     

     

     

     

     

     

    *生きとし生けるものが幸せでありますように。

     

     

     

    2019年01月21日(月)
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