過去ログ:アダルトチルドレン | 子育て感情セラピー|カウンセリングオフィストリフォリ
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過去ログ:アダルトチルドレン

過去ログ:アダルトチルドレン

 

アダルトチルドレン(以下、略称のACと表記)という言葉をご存知でしょうか。

昔流行った概念なのですが、現在は毒親という言葉に取って変わられた感もありますし、また元々の言葉の意味自体も拡大解釈されている部分もあるようです。

 

ここではあらためて「ACとは?」に触れていきます。

 

本来のアダルトチルドレン(AC)の意味

ある家に生まれた子どもがどのようなプロセスを経てACに至るのでしょうか。

下記のプロセスの説明は、家族機能研究所の斎藤学先生の知見をお借りしたものを自分なりの言葉に置き換えたものです。

 

①ある嗜癖的(*1)な男女が出会い、共依存的な関係(*2)をもつ

②その嗜癖的な環境(家)に子どもが生まれる

③嗜癖的な環境(家)で育った子が成長して大人になる=AC

④大人になったその人(AC)も共依存傾向をもつ

⑤上記①に戻る → 負の連鎖

 

*1:嗜癖(別名アディクション)とはある特定の習慣にのめり込んでいる状態。アルコール、ギャンブル、薬物、セックス、買物、仕事、摂食、ゲーム、自傷、ひきこもり、(自己犠牲的に)他者をお世話、DVや虐待などに不健康に“ハマっている”状態。いずれも目的は「自分をなだめること(スージング)」。感情的動揺や空虚さを自力でなだめることが困難なため、「自分以外」に頼らざるを得ない苦しい状態。行為レベルでは問題視されがちだが、目的レベルではセルフヘルプという大切な手立て。
*2:共依存的関係とは、二人の大人が「大人」と「子ども」の役割を取る歪な依存関係のこと。子ども役の大人は「相手に愛されること」を求め、大人役の大人は「相手に必要とされること」を求める。「他者に愛されているか」「必要とされるているか」に自己価値が左右されるため、常に他者を必要とする。特徴は両者ともフォーカスが自分に当たっていないこと。

 

先のプロセスをもう少し噛み砕くと

 

子どもの心の育ちに欠かせないもの(ニーズ)を満たすことが困難な養育者(例:機能不全家族、毒親)のもとに生まれ育ち

その結果その子は養育者にニーズを満たしてもらうための努力をせねばならなくなり

その結果自分の内側(思考、感情、意志、身体反応等)にではなく、自分の外側である他者(養育者)にフォーカスを当てざるを得なくなり

その結果自分自身に目を向けることを後回しにしがちになり

その結果自分の気持ちや思いや欲求に気づきにくくなり

その結果自分のなだめ方(心を穏やかにする術)を学ぶ機会が得られず

その結果自分をなだめるために「自分以外」に頼らざるを得なくなった

 

アダルトチルドレン(AC)とは元々はAdult Children of Alcoholics(ACoA)(アルコール依存症者の子ども)のこと。したがってAC当事者が嗜癖的なテーマである共依存という傾向をもつことはやむを得ないのかもしれません。

 

 

 

共依存の中核

前出の斎藤学先生は共依存のを次のように説明されています。

 

他者の願望・期待を読み取り、それに合致するように生きようとすること

→全ての行動が「〜のフリ」になる生き方

(2019年アディクションフォーラム講演資料より抜粋)

 

共依存的な関係のなかで育った子どもも、親がそうであったように、他者の期待、思惑、要望、気分などを読み取り、それに応えようとします。

 

その子どもの生き方を目的志向によって構造化するとこんな感じでしょうか。

 

◉手段(解決努力)

親の「快を増やす」あるいは「不快を減らす」ための努力

・親のケアを自ら引きうける「いい子」

・親の期待に応えようと「できる子」

・家の空気を良くしようと「明るい子」

・親の負担を減らそうと「欲求のない子」

・不仲な両親の目を自分に向けさせる「悪い子」

◉目標

・親から「してもらいたいこと」を引き出す

・親に「してほしくないこと」をやめてもらう

◉目的(最終目標)

心の育ちに必須の情緒的な欲求を満たす

 

 

自分の感情や欲求を後回しにして親の顔色を伺い、「いま自分はどう振る舞うべきか?」と考え、その「やるべきこと」、つまり「フリ」を役割や責任として自分に課して日々頑張るわけです。

 

でも子どもたちにとってそれは「したいこと」ではありません。

子どもたちは「フリ」をしていると言うより、「ムリ」をしていると言ったほうが適切なのかもしれません。

 

 

 

予期せぬ結末

それを幼少期からやり続けてきた結果、それは“生き方”と化し、家の外の社会関係のなかでも同じパターンで行動するようになります。

 

しかしそれは共依存的な関係が“当たり前”だった「わが家限定」で有効だった方法。

 

「フリ」で他者と表面的な関係は築けても、親密な関係は築けないどころか、他者から“自分らしさ”を理解してもらえず、かえって親密性を遠ざけてしまいます。

 

しかしそうであっても、人によってはそのやり方を続けていく以外に術がなく、時に人間関係全般に行き詰まりや苦悩を感じるようになることもあるでしょう。

 

そのときに感じる漠然とした「生きづらさ」を理解するうえで、このアダルトチルドレンという言葉はとても役に立つのです。

 

 

 

機能する家族/薬になる親

ある家庭に産声をあげて生まれた子どものうち、ある子どもは生きづらさを抱えない一方で、ある子どもは生きづらさを抱えてしまいます。

 

違いはいったい何なのでしょう。

それをふまえて「あらためてACとは?」を考えてみましょう。

そもそも子どもの心の育ちに欠かせないものとは何でしょうか。

家庭という環境において次のような要素は特に大切と言われています。

 

  • *安全である
  • *不完全な自分でもそのままを愛される
  • *子どもの関心ごとに関心が向けられる
  • *子どもなりの意思や意見が尊重される
  • *自由な感情表現がゆるされる
  • *笑いやユーモアにあふれている
  • *何はよくて何はダメかといった限界を設定してもらえる
  • *親の課題と子どもの課題が切り分けられている
  • *一緒に遊び楽しむ
  • *チャレンジが奨励される

など

 

こういった大切なものを”ほどほど”満たすことができる家族が機能している家族であり、薬になる親ではないでしょうか。

子どもにとってはかけがえのない“安全基地”みたいな居場所です

 

わが家が安全基地として機能することで

  • ・「じぶんってたいせつないのちなんだ」
  • ・「ひとってしんじられるなぁ」
  • ・「せかいはあんぜんだ!」

といった信じる心が子どものなかに芽吹いていきます。

 

その芽が育っていくなかで

  • *「傷つけられない」「守られている」という安全感
  • *「ありのままで受け入れてもらえる」という“つながり”への安心感
  • *「(不完全だけど)私は私であっていい」という自己肯定感(安定感)

という大切な花が開いていきます。

 

この力のお陰で子どもたちは、不快なことも思い通りにならないことも多いこの世の中にあっても、安全を感じながら、自分を大切にしながら、仲間ともつながりながら、ほどよくいい感じで生きていけるようになるのです。

 

 

 

機能不全家族/毒親の影響

しかしある子どもたちは機能不全家族毒親などと言われる家庭環境で育ちます。

そこでは子どもの心の育ちに欠かせない大切なものがほどよく満たされません。

 

衣食住で子どもの命は育まれても、心はそれだけでは足りないのです。

 

安全感、安心感、自己肯定感が脅かされたことで、人と関わるさまざまな場で恐れに付きまとわれるようになりました。

 

⚫︎他者から身体的・心理的な脅威を向けられることへの恐れ
安全への脅威→恐れ・強い警戒心や緊張→「守る」生き方へ

 

⚫︎他者とのつながりが絶たれることへの恐れ
安心への脅威→見捨てられ不安→「合わせる」生き方へ

 

⚫︎他者から恥辱を受けること(または自己批判の声)への恐れ
安定への脅威→恥(シェイム)→「隠す」生き方へ

 

安全感・安心感・自己肯定感(安定感)は子どもの心の育ちには欠かせない大切で本質的なニーズです。

ほどほどに満たされないとそれは脅威になり、「ほしい!」を渇望レベルにまで高めます。

 

ニーズを少しでも満たすために、子どもたちは命がけの適応戦略を身につけます。

 

  • *安全が脅かされないよう怒りを抑え込んだり
  • *認めてもらうために必死に「いい子」「できる子」「強い子」を演じたり
  • *弱い親やかわいそうな親のお世話を焼く役をこなしたり
  • *望ましくない反応をされないよう親の感情をコントロールしようとしたり
  • *見捨てられることを恐れて親の期待に全て応えようと無理したり
  • *支配的な扱いをされて嫌なのに黙って服従したり
  • *非難、怒り、拒絶に合わないようマイナス感情を禁止したり
  • *酷い目に遭わないよう存在を隠そうとしたり
  • *親の不遇や不幸にまで責任を持とうとしたり

etc…

 

懸命にこういった対処戦略を駆使して何とか家庭の中に適応しようと頑張ります。

もちろんその目的は大切なニーズを少しでも満たすためです。

 

そんな子どもたちも年齢を重ね、学校、職場と家族以外の社会に身を置くようになります。

 

その社会で人と接する機会が増えるほどに漠然とした「うまくいかない感じ」を覚えますが、自分ではその理由がわかりません。

 

ましてや

 

●  自分が安全・つながり・自己肯定にダメージを受けていること

●  子ども時代の対処戦略はわが家では役に立っても他者には有効でないこと

 

に気づくはずもありません。

 

アダルトチルドレン(AC)とは、この苦しい状態にあっても、それでも「生きづらさ」の克服を求めて頑張りつづける人びと。

私はそんなふうに捉えています。

 

 

ACにとっての回復とは

ACとは名札のようなものであって、疾患や症状を表す言葉ではありません。

だから「治癒」ではなく「回復」という言葉を使います。

 

回復とは、「悪いものが無くなる」という意味ではなく、「本来の状態に戻る」という意味です。

 

ところでACにとっての回復とはなんでしょう。

それは先に述べた「子ども時代に脅かされたもの」を取り戻すことだと考えています。

 

*守られているという安全感

*つながっているという安心感

*自分であっていいという自己肯定感(安定感)

 

生きやすさにはこの3つの取り戻しは欠かせないと考えています。

そしてこの3つを取り戻すためには他の何よりもまず

 

(他者ではなく)自分自身に目を向けること

 

ここが何よりも大切な回復の起点になります。

 

 

 

子育てへの影響

AC特有の生きづらさは、可能であれば親となる前に軽くしておくことが望ましいと考えています。

なぜなら、回復を待たずに親になったとき、往々にしてさらなるしんどさが訪れることが少なくないからです。

ACとして育ったある人が大人になり、そして親になりました。

自分が苦しかったからこそ

  • 「子どもには絶対に私みたいなつらい思いをさせない!」
  • 「私は絶対にうちの親みたいにはならない!」

 

そう固く心に誓って子育てを頑張りはじめます。

言わば“理想的な親”を目指して。

 

でも子どもは思うようにはなってくれません。

 

なぜなら子どもは感情と欲求の塊。

思い通りにならないのが自然だからです。

 

しかしその状態を良しとできなくて、子育てに強いプレッシャーやストレスを感じ始めます。

 

いくら頑張っても子どもが思い通りにならない。

子育てが思い通りにいかない。

そしてあるときそのストレスが限界を超えます。

 

ぜったいに「私と同じような思いをさせない」「私は親のようにはならない」と決めていたはずなのに、気づけば同じことをしていた。

 

自分と同じような苦しみをわが子に与えるかもしれない…。

 

それはとてつもない恐れとなって、今まで以上に「理想的な」子育てを目指しますが、頑張っても状況が思うように良くならない。もうどうしていいかわからない…。

 

そんな苦しみや絶望感を抱えて相談に来られるおかあさんたちは少なくありません。

 

ただでさえ子育ては大変なのに、そこにACとしての生きづらさまで加われば、それは計り知れない苦しみと化します。

 

だからこそどう子どもを育てたらいい?のその前に、苦しんでいる自分自身を助ける(育てる)ことに取り組むことをお勧めしたいのです。

 

つまり

①自分の育て直し(自分の生きづらさを解決する)

②子育てを学んで実践

という順番で。

 

人は自分にしてあげられないことは他者にもしてあげられないと言います。

 

子どもを慈しみ、勇気づけ、尊重できる親になりたいなら、まずは自分を慈しみ、勇気づけ、尊重してあげてほしいのです。

 

自分にあげられるものは、わが子へもあげられるようになります。

だからこそまずは自分から、が大切なのだろうと思います。

 

 

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